考えてみれば、トリアージ的にそういう天秤もありうるのだろうか
となると、コロナの状況が悪化するのは池江選手のような白血病患者にデメリットにしかならない
多分、白血病患者である前に水泳選手でありたいと思っているんだろうけど、
水泳選手である前に白血病患者であると思うならば、オリンピックに消極的に賛成なんて普通できない気がする
究極的に小林ヨシノリだの慈恵の外科医師だのが言うように、病で死ぬのも人生だから、というのであれば、
根本的に解決するわけでもない病気に無駄なお金を使うと考えることだってできてしまうわけで、
そうやってコロナ対策は無駄、白血病対策は無駄、病気で死ぬのだって人生、と切り捨てていって何が残るのか
植松聖とも同じ考え方であろう
こういう誰かを切り捨てるような行為をリアリズムと勘違いしている風潮さえあるが、
我々はこうやって自ら文明を崩壊させようとしていっているのかもしれない
というか、現実歴史的にも文明は外部からの蛮族で崩壊するというよりは自滅していないだろうか
コロナの方が経済的損失がデカいし社会の迷惑になる問題だけど、
みたいな経済優先の世界はどうなのか、という問題でもあるように思える
コロナを優先することで通常の経済活動に復旧するのが全体としての幸福の追求であり、
それ以外の多くの病気は本人だけの持病であって、それを治すのは本人の幸福にしかならない
あー、
つまり、小林ヨシノリや慈恵の外科医、高橋なんたらが言ってることは逆なのではないだろうか