自分はパートナーがいたとしても自分の友好関係は自分の友好関係だから、異性がいる旅行だろうが遊びだろうが行くし逆に同じパターンでもパートナーを止めることはない。でもこれって世間では少し違うのかもしれないと最近思った。なぜなら友人たちと話してみると、旅行や飲み会に異性がいればパートナーにはいちおう伝えるし、「できれば行かないでほしい。」と止められる、指示されることも結構あるっぽい。実際うちの片方の親も異性の友人が多くて、色々イザコザも起きて離婚した、と聞いている。(実際他にも原因はあったと思うが、異性の友人がたくさんいてそれを気に入っていなかったのは事実だったと思う。) それに「たとえパートナーがいたとしても、もしそんなに嫌いではない異性と二人きりになって、雰囲気でそういった流れになったら、」と想像してみたら、いたしちゃうのも分からなくはないと思ってしまった。でもそれでも自分はパートナーを止めないしパートナーに止められる義務はないと思っているのだが、この「パートナーに対する絶対的信頼はなんだろうか?」と考えた結果、信頼しているからとか貞操観念が強固とかではなくて、「自身のそもそものヒト嫌い」と「触られることへの嫌悪」があることに気がついた。自分は他人をそもそもそんなに他人を好きにならないのだと思う。世の中は他人に対して興味があって友好的に他人と関わるする人間が普通で多数派で、私はそれとは真逆なんだ。人間不信で常に他人に怯えていて相手に威嚇されると怖くて逃げ出すぐらい他人が怖くて嫌いなんです。「映画で嫌いなジャンルは?」、「ホラー映画かな。ビックリさせて怖がらせてくるし化け物グロいし気持ち悪いし嫌い。」みたいな感じ。したがって自分がパートナーという親しい間柄になりたいと思うほどの相手はかなり私の中の存在として唯一無二でその人以外にないから、たとえ遊びに行った先に異性がいようがなんだろうが、パートナー以外は自分にとって唯一無二の存在ではないから眼中にないんです。そして2つ目の接触が嫌いは、読んで字の通りです。自分は親が苦手で手を触られたりハグされたりすると鳥肌が立つ。同性の友人と手を触ったりじゃれたりするのはあることだが、基本的に触らないでほしい。パートナーも、触られても大丈夫な人に入れられるかもわからない。そうするとパートナーでもない人にとてもじゃないけど触れない、触ってほしくない。自分はこれらが他の人にも当てはまるという思い込みで、なんで相談するのか、パートナーに止められなくてはいけないのか、そもそもなぜ止めるのかが分からなかったのだなと最近気がついた。別に信頼して送り出しているわけではなくて、単純に自分自身の他人を受け入れられない特性をみんなも持っているという勘違いだったのですよね。でもこれらは自分自身の特性だからパートナーに当てはまるものではなく、パートナーがもし出先で別の人とやっちゃっててもなんだかそれはそれでいいと思ってしまった。他人は他人、自分は自分だから。と考えたら、「別にパートナーはパートナーでなく、普通に友人でもいいのでは?」と思った。自分は親しい友人と恋人との違いがわからないので、「性交渉をしない。」かつ「パートナーが外で別のよい人がいてもかまわない。」なら「それもう友人同士では?」となった。パートナーではなくて親しい友人がほしいのだな自分は。