食事と睡眠、炊事、掃除などの家事、仕事、仕事関連のタスク、仕事関連の交流など、時期にもよるが大なり小なりできなくなって、しばらく経った。
しかし私は病んでない。
笑うこともできるし、鬱々とした気持ちを抱えていない時間も持てている。
同居する人間とはたまに喧嘩するし、お前とは合わないからもう離れたいなどと言われることもあるが、一緒に食卓を囲むこともある。
身体面での持病が悪くなり、日中屋外で活動することが困難になった。
外見上では分からない病気であり、自分もやたらめったらそんな話を他人にすることもないため、他人の目からは「何も支障がない人」に映りやすい。
しんどいなぁと思うことも、こんなに苦しんでいるのにと周りや自分の人生を恨むことも、未だにやることはあるが、あまりにも繰り返しやってしまったので、飽きてしまってやらなくなってきた。
相変わらず同居人は昼でも夜でも寝ている。
彼は家族の金で生きられる。だから働かなくとも障害者年金をもらわなくとも生きていける。
私は金がない。
同居人を恨むこともあるが、たまにメシを奢ってもらうので、あまり強くは出ないし、恨むことは同居のストレスを増大させるのであまりしたくない。
同居しないと家賃が払えない。水光熱費が払えない。インターネット代が払えない。
一人だと、できないことがよりできなくなる。
だから同居をやめようという気も起こらない。
毎日自殺のことばかり考えていたあの頃よりも、毎日恋愛を拗らせた執念で血を吐きながら人にストーカーしていた頃よりも、今は穏やかで、苦しみが少なく、ぼーっとする時間が増えた。
分かりやすく私を傷つけてくる人もいない、搾取しようとする人もいない、同居状態を続ければ生きていけるだけのお金は何とか手に入れられる、身体も頭も、生活が困難なほどには壊れていない。
だから私はまだマシな地獄を生きていて、まだ病んでいるとはいえない。
病んでいると認めてもよいけれど、お前程度で、と怒ってくる人がいるだろうから。
病んでませんと言ってしまう方が楽だ。
お前が当たり前に生活していることが腹立つ、と苦情を言われたことがある。
私がその人にとてつもなく悪いことをして、そのせいでその人は苦しくて寂しくてやりきれないらしい。
自分の人生は自分で切り開いてくれよ、とも思うが、とにかく私が関わっているのだから、私を責めるらしい。
頭悪いなぁと思う。
しかし、他人を貶めて自分の非を認めない人間は頭が悪い、性質が悪いと言われるから、私は謝り続ける。
つらいな 勝手に涙が出てくる。 あなたに安らぎの時間が少しでも訪れ、体が楽になるように願う。
外見上では分からない病気であり、自分もやたらめったらそんな話を他人にすることもないため、他人の目からは「何も支障がない人」に映りやすい きついね。。