世間一般の同年代に比べて、日常における思考や感情の経験が、自分には圧倒的に足りない気がする。
「ある時、何も持っていないことに気付いた。」
「幸せが詰まっていると思っていたポケットは、実はからっぽだった。」
「でも俺は、そんなことさえわからなかった。」
「そしてある日突然、自分がたくさんの時間を失っていると感じた。」
18歳の夏、初めて読んだこの文章は、自分を見つめ直す時いつも頭に浮かんで来る。
アルバイトによって、人生で初めて得た労働の対価としての給料。
その全額と引き換えに買ったゲームで、一番最初に表示されたこの名文は、常に俺の心に纏わり付いている。
もうすぐ28歳になる今、改めて「俺の人生は、ひどく薄っぺらいものだ」と思う。
好意を寄せた相手が、自分にも好意を抱いていると思っていたら勘違いだったとき。
この時に生まれる感情は、ずっと羞恥だと思っていたけれど、困惑であることを知った。
投げたボールが急に落ちたような、引力がめちゃくちゃになった感じだ。
「知らないことは何でも知りたくなる」なんてのは絶対に噓っぱちだ。
興味を持ったものを深く知ろうとするかどうか、が人生を形作るんじゃないだろうか。
自分は間違っていない、きっと正解に辿り着けると信じているから、本当に救いようがない。
これって、臆病な自尊心と尊大な羞恥心ってヤツなんじゃないか?
人生は有限だ。
人生は有限であるが故に、マイナス思考に割くリソースなんて勿体ないだけだ。
相手が自分に好意を抱いてない状態から、振り向かせることができるほど自分が器量が良くないことを知ってる。