2020-08-28

世間一般の同年代に比べて、日常における思考感情経験が、自分には圧倒的に足りない気がする。

「ある時、何も持っていないことに気付いた。」

幸せが詰まっていると思っていたポケットは、実はからっぽだった。」

「そこに何を詰める努力もしてこなかったんだから、当然だ。」

「でも俺は、そんなことさえわからなかった。」

「漫然とした、中身のない人生を歩いてきたからだ。」

「そしてある日突然、自分がたくさんの時間を失っていると感じた。」

「俺の人生は、ひどく薄っぺらものだった。」

18歳の夏、初めて読んだこの文章は、自分を見つめ直す時いつも頭に浮かんで来る。

アルバイトによって、人生で初めて得た労働の対価としての給料

その全額と引き換えに買ったゲームで、一番最初に表示されたこの名文は、常に俺の心に纏わり付いている。

もうすぐ28歳になる今、改めて「俺の人生は、ひどく薄っぺらものだ」と思う。

好意を寄せた相手が、自分にも好意を抱いていると思っていたら勘違いだったとき

この時に生まれ感情は、ずっと羞恥だと思っていたけれど、困惑であることを知った。

投げたボールが急に落ちたような、引力がめちゃくちゃになった感じだ。

何故?どうして?何か間違った?あロードし直さなきゃ

ストーカーが生まれ理由が分かってしまった気がする。

「知らないことは何でも知りたくなる」なんてのは絶対に噓っぱちだ。

全く興味がないものに興味を持つ人間なんているわけがない。

興味を持ったものを深く知ろうとするかどうか、が人生を形作るんじゃないだろうか。

興味があっても知ろうとしないから、自分人生はたちが悪い。

自分は間違っていない、きっと正解に辿り着けると信じているから、本当に救いようがない。

これって、臆病な自尊心尊大羞恥心ってヤツなんじゃないか

人生は有限だ。

人生は有限であるが故に、マイナス思考に割くリソースなんて勿体ないだけだ。

相手自分好意を抱いてない状態から、振り向かせることができるほど自分が器量が良くないことを知ってる。

今回の経験他人思考パターンを得ることができた貴重な経験だった。

そう結論付けて、限りある人生を進むしかあるまい。

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