2020-08-28

女ならば母親にならなければいけない



確かに女性には、子供を生むための内臓が生まれつき備わっている。月経や排卵は自動的に行われ、その度に「自分が女性であること」を強く認識させられる。

しかし、悪い言い方をするが、所詮子供はガシャだ。比較的子育てが楽な子供が生まれるか、それとも異常に辛い子育てを強いられるか。生んでみなければ分からない。

辛い子育てに嫌気が�さして嘆いている母親に向かって「子育ても出来ない女は欠陥品」「女は子育てが仕事なんだから弱音なんて�吐くな」などという辛辣なトラバも幾度か見た。

さらに、「子育てが楽すぎると母親として成長しない」というトラバもあった。

子育てが辛く弱音を吐けば追い討ちをかけるように叩き、その人の存在する価値すら否定する。子育てが楽だと言えばそれも良くないと否定される。なんと恐ろしいことか。

上記に述べたようなトラバを見て、以前こんなことを考えたのを思い出した。

正しい子育てとは何なのか。それは母親が一人でやることが正しいのか。『母親』である前に『人間』であることすら、忘れなければいけないことなのか。

いずれも小論文を書く練習をしているときに考えていたことだが、それから何年か経った今でも答えなんて分からない。自分が答えだと思っていたことは、ネットでこっぴどく批判されていた。

幸い私にはまだ、子供もいないし、パートナーもいない。

職場や友人からは、よく結婚しないのか聞かれるが、結婚をして子供を望まれたところで、私には正しい子育てなど分からないから(今考えたところで、生まれた子に当てはまるとも限らない)、いっそのこと生めないようになってしまおうかとすら考えている。

そもそも結婚をしないという手もあるが、決定的なのは子宮をとったり、卵巣をとったり、極端な話性転換をしてしまえば、「女は母親になるべき」という価値観から逃れられるだろうか。

いや、そこまでしないと逃れられないのだろう。自ら望んで女性に生まれてきたわけではないのに、生まれただけで義務を押し付けられるのは、変な話だ。

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