YouTuberが嫌いだ。いや、嫌いというのは正確ではないかもしれない。理解できないものへの嫌悪との峻別がまだ十分にできていないような気がする。ある友人が仕事を辞めてYouTuberを目指す、と言い出してから本格的に分からなくなってしまった。人生を賭ける価値のあるものだとは思えない、というのが率直な感想だった。
しかし、人生を賭けて「YouTuberを目指す」と「野球選手を目指す」、あるいは「ミュージシャンを目指す」、「芸人を目指す」というのは本質的に違うことなのだろうか。直観として違う、とは思うのだけれど、未だに自分自身を納得させるだけの答えを見つけ出せていない。もしかして自分がYouTuberという新しい職業を理解できず、腹の底の方で単に舐めているからなのではないのだろうか、と。
「他と比較して圧倒的に高い能力の提供を対価として生活の糧を得る」というものがプロフェッショナルだと思っていたが、YouTuberは果たしてそうなのだろうか。以前、HIKAKINの24時間に密着した動画を観たことがある。彼は本当に休む間もなく赤い目を擦りながら、セブンの惣菜をかじりながら、働き続けていた。その時は「これはプロの仕事だ」と確信した。ただし、そのプロの仕事から出力される作品の魅力についてはあまり理解できていなかった。
単に流行りの、取るに足らないブームである、と結論付けるのは適切ではないと思う。そして、天ぷら屋で10年師匠の仕事を見続ける、あるいは有名どころの前座をし続ける、みたいな下積みのなさにその原因を求めるべきでも無いと思う。それでも30年、50年残り続ける、ある種の芸術的な強度みたいなものも感じられない。
自分でWebサービスを立ち上げるのがいい勉強になるんじゃない?
ありがとう、プレイヤー目線だけじゃなくプラットフォームの方から理解するのがいいってことだよね。ちょっと調べてみます。