2020-01-21

キャプテンマーベル」を見て、マスキュリニストに目覚めた

男は覚醒を求めたがっている。というギャグはさておき、あれはフェミズムではなく、マスキュリニストに目覚めるための映画だと思うんだよね。

キャプテンマーベルって、初代ハルク反省からまれた話だと思うんだ。

初代ハルク映画ハルクはいわば男性性の表象。「醜く、力が強く、粗野で乱暴」であり「論理的科学者」としての男の二面性を表している。

主人公は、兎に角感情制御し、男としての暴力性を抑えようとするんだ。

男として周りを支配し、凌駕する能力があるのにもかかわらず、論理的科学者としての自分を優先し、最後はそれを制御し生きていく。あの話は結局ファイトクラブの焼き直しでしかない。

そして、その二面性はどちらも女性にとって都合の良い存在として扱われている。

本来男は女性凌駕し、支配する力を持っているのにそれを使わない。徹底的に押さえつけられている。

キャプテンマーベルテーマは、端的に言うと「本来アイデンティティ肯定」だ。

本来は目の前の相手凌駕する事が出来る能力を持っているのに、目の前の男に体術で戦う事を強いられ、感情抑制しろと言われる。

言い換えると、「さらなる暴力」と「感情抑制」を強いられている。これは女性よりも、男性に当てはまる事だろう。

ハルクは結局、その暴力感情抑制する道を選んだが、マーベルは違う。感情を爆発させ、暴力相手を打ち負かす。

男は今まで、「女社会」によって資本労働力搾取されてきた。実際家計を支配してるのは妻だし、自殺率も男の方が高く、幸福度も男は低い。

何か戦うときも、女性が得意な感情を乗せた言語によって戦うことを強いられ、本来暴力暴力的な感情論理は押し込められてきた。

キャプテンマーベル映画は、結局「強いものが勝ち、弱いものは負ける。強いもの自由になり、弱いもの不自由になる」という端的な事実を示している。

キャプテンマーベルが怒りを使い、強い暴力によって「悪」支配したように、

男も怒りと暴力によって「悪」を打ち負かすべきなのだ

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