運営が終了してしばらくたったアニメの円盤やグッズや、それとはまた別のジャンプ漫画や、そのほかにも親に内緒でこっそり貯めてた薄い本をまとめて明日売りに行く。年を越す前の断捨離である。
ただ、今回の断捨離は私にとって完全にオタクを退くための儀式のようなものだ。
私は高校生の頃からアニメや漫画が好きで、大学1〜2年の間まではバイト代の多くを注ぎ込むほどオタク活動に勤しんでいた。
しかし、私はオタク活動にハマりきれておらず、当時から熱狂する別のオタクを見て若干引き気味だった。今にして思えば、そうした緩やかなスタンスで好きなジャンルを見つめてればよかったのかもしれないのに、私はなぜか熱中できないことが恥ずかしくて、そのことの埋め合わせをするかのように円盤を買ったりイベントに行っている節があった。
そうこうするうちにオタク向けのコンテンツ全般に飽きてしまって、別の物事に興味関心が移って、別の趣味を確立させてる今があるんだけど、こないだ部屋の片付けをしてたときにオタク時代に集めまくった円盤やグッズを見つけて、押入れに放置されたままの軽く総額20万円は超えてるそれらに対する罪悪感に耐えられなくなって、価値がこれ以上下がらないうちに売りに出すことに決めたのだ。
無駄遣いした分のお金はもちろん惜しいし、自分のバイト代といえど無駄遣いした罪悪感は大きい、ただ、何か別の趣味があったとしても私は飽きやすいので何か別のものが溜まって売りに出したり処分しに行ってただろうなと思うから、お金のことはまぁしょうがない。それ以上どうして全力でそのコンテンツを楽しめなかったのか、それなのに意地になって高額なグッズを買い続けたのか、もっと早くコンテンツに見切りをつけてもっと面白い別の文化に触れ合おうとしなかったのかと昔の自分に対して思ってしまう。
きっと、私はオタクでしかなかったから、アイデンティティを失うのが怖かったんだと思う、“オタクであること”を確立させるために私はグッズを買って、イベントに通っていたのだろう。
明日、グッズを売った後、前から気になっていたスポーツジムに見学に行こう。
それから、大学図書館にあったニーチェ哲学の入門本を読んでみよう。