まずは慰安婦像について。いま日韓はたいへんな外交的困難を抱えています。けれども、そのようないまだからこそ、焦点のひとつである慰安婦像に、政治的意味とはべつに芸術的価値もあると提示することには、成功すれば、国際美術展として大きな意義があったと思います。
政治はひとを友と敵に分けるものだといわれます。たしかにそのような側面があります。けれども、人間は政治だけで生きているわけではありません。それを気付かせるのも芸術の役割のひとつです。あいトリがそのような場になる可能性はありました。
ただ、その役割が機能するためには、展示が政治的な扇動にたやすく利用されないように、情報公開や会場設計を含め、もっとていねいな準備と説明が必要だったように思います。その点について、十分な予測ができなかったことを、深く反省しています。
「「社会の外」を示すから、政治的対立を超えた衝撃で人をつなげる」「政治的な文脈を利用してもいいけれど、そこに埋没したらアートではない」
今回の「表現の不自由展・その後」は、「一方的な」政治表現に偏ってしまったことが問題だ。しかし、「手続き的正義」の考え方をしっかり踏まえれば、実は、表現の自由の限界や慰安婦像の問題点などを深く考える非常にいい展示になっていたと思う。ただし、慰安婦像に賛成する者、反対する者、天皇制に賛成する者、反対する者、特攻を揶揄する者、尊崇する者、それら両者から猛批判を浴びることになるだろう。場合によっては命の危険すらある。