今までの人生『推し』というものがなく、ぼんやりとどちらかといえばまぁ好きかなみたいなモノばかりだった人生に始めて『推し』というものができた。
彼女について語ることは多い。彼女がどういった配信をしていたのか、彼女がどんな歌を歌うのか、彼女と仲良しのキャストが誰なのか、彼女のTwitterがどれだけ僕に元気を与えてくれていたか。
しかし、全ては無意味になります。だって彼女はもういなくなるのだから。
彼女の引退発表を聞いたとき「まぁ、長く続くもんでもないしな……」といつかやってくるであろう終末が予想より速かったことに驚いて、それから頭の隅っこに置いていたどこかの誰かが言っていた「こういう時は笑顔で送り出してあげよう」という言葉が辛うじて僕の冷静さを保っていた。
今、僕は冷静さを欠いている。それは単純に別れが辛いからだ。本当に辛い。あまりの辛さに午前中は仕事にならず、午後に早退した。正直、自分がこれほど精神的にやられてしまうとは思わなかったし、情けなさなどよりも驚きが勝った。
彼女の存在は僕を構成する一部になっていたのだと早退途中に気づいた。あまりにも遅い気付きにまた驚いた。湯水のごとく彼女というコンテンツを摂取していたことに今度こそ情けなく思う。
家に帰ってずっと彼女の配信を見ていた。彼女は弾き語りが素敵でそこにいない存在であるのに、そこに存在を感じ取ってしまうほどだった。意味がわからないかもしれない。僕はVという存在がこの世には存在しないものみたいに見ていたんだ。
どうしてそういう風に思うようになっていたのか、多分別れが辛いからだと思う。キャラ設定みたいなものを素直に受け入れるための防衛策だったのかも。
彼女はこの世に存在しない。だから引退というよりは自分の故郷に帰るのだ。帰郷するんだよ。
アホかと。そんな素直に受け入れられたら早退しないし、ここに垂れ流すこともしないと。
彼女は確かにここにいて、僕や他の人たちの一部になっていたんだと思う。
彼女は消えます。彼女は一部から消えていきます。きっとそれは前向きな一歩なわけで、僕らは手を振って手を叩いて、それを見送るのが良いのでしょう。
彼女との別れが本当に辛くて、消えてほしくないと本当に本当に心の底から思っています。そんな気持ちを押し殺して手を振ることが正解なのでしょうか。
足にしがみついて鼻水を垂らしまくって懇願してもいいんじゃないのか、貴女が本当に好きなんですやめないでください、と言ったっていいんじゃないか。
気持ち悪いヲタクでもなんでもいい、醜態と罵られようとも、引退するキャストのことを考えていないとも言われても構いません。
でも彼女の存在はもう自分の一部になってしまっていたのです。自分の身体から足が、腕が消えるとき、はにかみながらまた会おうなんて言えるわけがないじゃないか。