2019-04-29

トランスジェンダー論争と「教室にいてはいけない子ども

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うん、ぐうの音も出ないほどの正論なんだ。教室にいてもよいのか、存在のものを問うのは傲慢なんだ。忘れてた。なんで忘れていたのだろう。多分、ある種の属性を持った子どもたちが「教室にいてはいけない」と公的認定されるのにあまりにも慣れ過ぎていたからなんだ。

その属性を持った子どもたちが、その属性を持っていない子どもたちと同じ教室にいたいと願ったことが報道されても「特別学校に行け」と言われておしまいTwitterで何か月も論争になることはない。もちろん、著名な学者署名運動を先導することもない。

来年も再来年も、その属性を持った子どもたちは「特別学校に行け」と言われ続け、同じ教室にいたいとの願いはかなえられることはない。

そんな子どもたちが同じ教室にいることによる懸念として、「異常行動による被害」がWikipediaにさえ当たり前のように書かれる。

ときには、そんな子どもたちが親に殺害されても、「悲劇」として加害者減刑嘆願署名が集まるほどだ。トランスジェンダー女性殺害した加害者減刑嘆願署名なんて集めようものなら「ヘイトスピーチ」として批判されることであろう。

トランスジェンダーに対して行えば「ヘイト」「差別」とされる行為も、ある種の属性を持った子どもたちに対してなら同じことをしても当然のこととして片づけられる。

そんな子どもたちが成人して、特別施設生活することがある。その施設が襲撃され、19人の男女が殺傷されて初めて、取ってつけたように「共に生きる」などと呼びかけられる。

もう何十年も前から、「同じ教室にいてはいけない」と言われ続けてきたのにね。

障害がある子どもが同じ教室にいていいかを問うことが、傲慢であることを自分はすっかり忘れていた。

多分、多くの人も忘れているのだと思う。みんな、何かの差別無視して生きている。

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