義理ふぁぼ(今はいいね)は良いことなのか悪いことなのか。私はめちゃくちゃ良いことだと思う。なぜ言い切れるのか、それは私が義理ふぁぼすら貰えない人間だから。
義理ですら反応が貰えない。これは、結構キツイ。なんていうか、頑張ったものを見てほしくてネットにあげたけど評価無い。単純なしんどさ。それ以上に「友達が描いた絵(当方絵描きです)にいいね押す」これさえして貰えないほど私に価値なかったんだな、と思う。私自身にも、私の描いた絵にも。
創作物をネットにのせるってもうそれ承認してくれって言ってるのとおなじなので別に承認されなくてもいいやつははなからネットの海に放逐しないから、押せる時には押しといた方がいいと思う。
現実で会うと友達は「絵がうまいね」とほめてくれるけど、その実SNSでは一手間さえ嫌なくらいの価値しかないのだということをまざまざとわかっている私は、「嘘をつかないでほしい」そう思った。思ってしまった。敗北した、と思った。SNSに向いてない人間になってしまったんだなということだ。
青春や人生ををTwitterに捧げてきたけどもうやめる時期なのだろう。
友達が常にTwitterにはり付いているわけではない、何をいいねするかなんて自由だし強制されるいわれもない。私のTwitterを確認する責任もないし、こんなものただの言いがかりでしかない。傲慢な我が儘だ。
でも思っちゃったんだよね。口ではなんとでも言えるやんて。そのお口と行動が会ってないんやて。だから私の負けです。
二次創作アカウントの絵にはいいねくれたりするんで、「好きなキャラを都合よく描いてもらえる」くらいの存在だったってこと。私自身に価値がない。そういう事実、頑張って受け止めます。
こういうことを考えて文章におこして匿名で投稿しちゃう。そういう性格だからダメだったんだと思う。なにもかもが悲惨だ。人格に問題あるけど辛うじて絵は描ける存在だったのにそれすら価値ないよって言われてしまった。
詰んだな。