「文学部」という言い方はやや雑だが、要するに「食えない」専攻ということ。
こういうところを卒業した男子学生は、自分の知性に対してプライドが分不相応に高い。
しかし、社会に出て10年、20年と経てば知性や生活力、人間としての魅力・価値に占める「学歴」の割合は微々たるものになっていく。
高卒やFラン卒の40歳男性(上場会社勤務・課長級)の方が彼らよりも世間知、人間に対する洞察力、協調性、年収等々要するに人間的魅力の全ての側面で優れているということはごく普通にありえる。
その現実を受け入れないまま、無駄なプライドを堅持し続ければ、現実との齟齬はやがて人間の理性が処理できない水準に達する。それが低能先生なのだ。人間として無価値な奴のくせにプライドを捨てられなかったのだ。彼は。そして彼のような欠陥品を製造し続ける九州大学文学部こそがその社会的責任を問われるべきだ。
もちろんイスラム文明研究とか大事だよ。だけどそんなもんを専攻した結果ラーメン屋のバイトに甘んじて世間への憎悪を育んでその結果犯罪に走るなら高等教育の意味がない。そういう学問は、ラーメン屋のバイトをやってでも研究を続けたい情熱を持っているひととか、大金持ちで食えない学問をやってても食えるお坊ちゃんがやるものだろ。低能先生みたいな覚悟も情熱も足りない低能がやるべきものではない。
殺害されたhagexさんは誠にお気の毒。低能先生のような低能な害虫は駆除されるべき。そして低能先生製造装置はその存在意義やあるべき姿を問い直されるべき。それが今回の一件に関して私がもった感想だ。