ある行為が差別か、差別でないかを語るのであれば、その行為を誰が行ったか(主語)が必要。
「女性専用車両は差別」とか「女性専用車両は差別じゃない」なんて雑な言い方すると論点が錯綜するだけだからやめてほしい。
主体が民間の業者なので、乗客を選別することにもある程度の裁量を認める必要がある。ただし鉄道と言うのは、非常に公共性が高いので、乗客を性別によって排除ことは、一概に差別でないと言えない可能性もある。
現在の女性専用車両は、「女性専用」というのは名前だけであって、実際には男性も乗れることになっているので、差別であると考える余地は無い。
一般の個人の行為について差別であるかどうかを語るべきではない。民間の一個人が性別によって他の人間を排除したりしても、あくまでも個人と個人の関係でしかない。その際に暴力あるいは暴言などが用いられた場合は、それぞれの行為について刑法犯あるいは民法上の不法行為の可能性が検討されるべき。
現在の女性専用車両は、前述した通り、男性も乗れることになっているので、全く問題ない。その際に他の乗客から制止されたりすることがあるかもしれないが、乗客である以上、その車両に乗ることが咎められるべきではない。もし咎められた際に暴力あるいは暴言などが用いられた場合は、それぞれの行為について民法上の不法行為あるいは刑法犯に当たるかどうか検討する余地がある。
何らかの理由で男性がいない車両に乗りたい女性は、必要な要求を国あるいは鉄道会社にするべき。他の男性客にするべきではない。
こういう風にして、論点を分けて書いてみると、ほとんど議論の余地は無い。これをわざと論点をあいまいにして女性専用車両は差別だあるいは差別でないなどと言っているのは本当に不毛だし、有害だからやめて欲しい。これは他のことについてもいえる。名詞だけをとって〇〇が差別あるいは〇〇は差別でないなどと言う事は同じ様に有害だ。