勘違いしていただきたくないのだが、当然「好きなものを描く」のは自由だ。それが個人の範疇で収まるのならば、その意欲を第三者に侵されるべき理由などというものはどこにも存在しない。
しかし、タイトルの台詞は個人のみの創作活動のことを指しているのではなく、公開というかたちを含めたことを指していることは想像に難くないだろう(再度言うが、個人で完結するならば他人など関係ないのだから)。それを考えてしまうと、これを持て囃す人間における「好きなもの」というものは所詮"一般に受け入れられる・拒否される"という通常の反応をされる程度の無害なものでしかないということが見えてきてしまうのだ。
通常の反応をされない性的嗜好とはなにか。受容・拒否の以前に理解ができないのである。だから嘲笑し排斥することしかできない。それを避けるためには「好きなものを描き公開する」ことを捨て閉鎖的なコミュニティで外部からの"お客様"に怯えながら嗜好を共有するしかないのだ(それが悪いことだとは思わない。ただそれを無視して「絵描きが好きなもんを好きに描いて何が悪い」などと言うことが驕りであるというだけだ)。
それを語るお前は何だ、と言われると上に述べた「受け入れる・受け入れない以前の反応をされる性的嗜好」を持つ人間である。
全身から陰茎が生やされているのが好きだ。人間をオナホールにして無抵抗に犯されるのが好きだ。肥大化した陰茎や乳に飲まれるのが好きだ。人の身を獣に堕とすのが好きだ。
「闇が深い」「どうやったらこれでシコれるのか聞きたい」「Harmful for Everyone」「ブラクラ」「サイコ」「嬉々としてるから始末が悪い」「方向性が違いすぎて感性が追いつかない」等々外部から言われた。かといってそれ自体にどうこう言うつもりはない。自分でも自分の嗜好がよく分からなくなるときがあるのだから。
そのような状況があるにも関わらず、自らも理解できない嗜好を排斥するだろうに「自由にしていい」などと勝手知ったることをいうダブルスタンダードな輩が気に食わないのだ。