尊い一票がこの国を変える
という謳い文句と海外の同年代が政治の討論を日頃からやってるという放送などで若者に参政に対する国民としての義務感を植えつけ、あたかも自分自身が政治に参加しているという錯覚を与えようとする。
それからよくいう「こんな間抜けな政治家を選んだのは愚かな国民、私たちだ。」という都合の良い責任感を若者にも与えたくて仕方がない。
私も含め、若者の多くはまじめに投票に行くにも関わらず、自分たちが何をしているのかを理解できず、政治参加を体験しない。政治と若者はこのようにかけ離れていると思う。
ところで、私は今回の衆議院選挙の結果に特別不満はない。むしろ、選挙の時だけ
政治に参加しよう!
この国をよくしよう!
という人たちに不満をもつ。そういう人たちこそ、選挙に行ったから私は偉いんだ、私は政治に参加したんだ、とさも言いたげに選挙に行かなかった人を非難する。
それから私は選挙に行かなかった人は彼らの立場があるのだと思う。投票率が低いというのはそれだけの理由があるわけで、それがどんな理由であろうと、投票率が低いという事実を重視しなければならない。
さらにどんな年代であれ、そして特に若者における政治の認識はほとんど選挙とデモという狭い領域で成り立っている。私は数ある問題の中でこれこそが重要な問題であると思う。選挙の時だけ張り切っている人たちはいつもあの狭い領域で意見するだけでその重要なことについては何も言わない。それだから私は彼らに不満をもつのである。
つまり、政治参加は選挙で投票したり、特番や討論番組を見たり、それから政治に関心が低い人を非難することだけではない。というよりもむしろ、それらは極めて狭い範囲のことのように思える。
私はもっと国民が、市民が、私たちが、自分たちの住んでいる街のことを考えるべきだと思うし、自分たちの住んでいる街をより良くしようとすべきだと思う。それは国政ではないけれども、それこそが最も「力強い」政治参加だと思う。
国民全員が政治に関心を持つのが正しい民主主義政治だと思うけど、実質それは無理なので、せめて信頼できる人に票を託せるようにしてほしい。 選挙で議員を選ぶのではなく、個人の...
あえて言うなら、議論についての煽り耐性もつけて、そのうえで煽る馬鹿を適度に放置して議論するということも進めたいね。 議論について煽って怒りを招いて、怒りを招く方向に誘導...