以前から死刑制度には懐疑的な考えを(ぼんやり)持っていたが、この記事が目に留まって読んでみた。
http://originalnews.nico/45811
せっかく"法律のプロ"である弁護士が何人も集まって議論するのだから、 死刑制度廃止を判断するにあたっての論点を整理したうえで議論して欲しいと感じた。
例えば、冤罪と死刑制度廃止についてあれこれ議論されているけど、あるべき論点からズレているような気がしてならなかった。
「冤罪なのに死刑としてしまう可能性がある」という問題は、死刑制度廃止するかどうかの判断材料の1つであり、「別で議論されるべきかどうか」のような問いは良い問いだとは思えない。
判断材料の1つである以上、死刑制度の議論になれば冤罪の話が話題として上がるのは当然だし、はたまた「冤罪をどう減らすか」と言う議論であれば死刑制度の話とは別で議論されて当然だと思う。
また、「被害者遺族の精神的苦痛を救済するためにも死刑制度を存続すべき」という主張がある。
これは理解できるし、自分も大切な人が殺されてしまったら犯人の死を望むと思う。
ただ、「被害者の精神的苦痛」というのも死刑制度廃止議論の論点の1つであって、他の論点を丁寧に議論せずして「死刑制度賛成」と主張するのは避けるべきだと思う。
「冤罪」「被害者遺族の気持ち」は死刑制度を語る上で重要な論点だけど、他にも議論すべきことはある。
etc ...
# 感情
「感情で判断すべきではない」は色んな場面でよく言われる。ただ、これだけでは誤解を生むのでは?と感じる。
自分の考えは
「判断プロセスでは感情を排除すべき。ただし、判断材料には人の感情を考慮したものがあってもいい」
というもの。
死刑制度廃止の例で言えば、自分の大切な人が殺されてしまったことを想像し、「犯人に死んでもらわないと怒りがおさまらない。死刑制度は存続すべきだ」と判断するのは、判断から感情が排除できていないので、できる限り避けるべきことであると思う。
一方で「犯人に死んでもらわないと怒りがおさまらないし、死刑制度廃止となればこれ(おさまらない怒り)は大きなデメリット。しかし、他にもメリット・デメリットがあるのでそれを総合的に考慮して判断した。結果、やはり死刑制度存続すべき」という判断プロセスには感情が排除されているが、判断材料には被害者遺族の感情(怒りがおさまらない)が「大きなデメリット」として含まれている。
「感情で判断すべきではない」といっても、前者と後者を区別して考えるべきだし、後者のような考え方に基づいて判断すべきであると思う。
言い換えてるだけで同じだろバカかお前 感情を排除するってことは感情由来の動機を排除するってことだぞ
それは「感情を排除する 」の適用範囲を勝手に広げちゃっているだけでは。 判断プロセスではなるべく感情を排除しつつ客観的事実に基づいて判断し、判断材料である客観的事実の中に...
無理 死刑されることで心理的負担が軽減されるという科学的根拠も統計的根拠もない 客観的な事実など死刑肯定感情にはない 極めて主観的な根拠しかない
こういう感じで議論したい http://www.moj.go.jp/content/000076135.pdf