http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/030300121/042800010/
この話を読んで思い出した、父に愛想を尽かした話。
もともと酒を飲む人ではあった。高校に入ったあたりから酒癖がひどくなってきた。
母をよくわからない理由で怒鳴る、たまたま父が知っていて私が知らないことがあると、ここぞとばかりにバカにする。少しでも言い返すと「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ」「それが親に対する態度か」というテンプレまんまのご回答。でも次の日になると酔っ払いの常套句、「酔っ払っていて覚えていない」
で、母も愛想をつかしたのか若い男に走り、私は遠くの大学に行ったので父と顔をあわせることが減った。大学に行っている間に両親が離婚し、まああんな風に酔っ払って怒鳴るような男じゃしょうがないとあきらめつつも人並みにショックを受けていたのに、なにかというと私に「どうせお母さんの味方なんだろう」と絡んできたり、数年後に再婚したら、私に「新しい家族と一緒に正月を過ごそう!」などと誘ってきたり、相手をするのがしんどくなってきたので、なるべく連絡は取らないようにしてきた。でも就職して10年ほど経って、家族ぐるみで付き合いのあった叔父にがんが発覚したことでまた頻繁に連絡を取るようになった。
叔父は一度手術はしたけどもう手の施しようがなかったそうで、手術から5ヶ月ほどであっけなく亡くなってしまった。
そしてその5ヶ月の間、父はせっせと怪しげな薬やサプリを叔母に送り続けた。
私はまさかそんなことしているとは思いもよらなかったのだけど、叔母から、仕事をし、子供の世話もしながら、余命いくばくもなくなった夫に会いに病院に通っている叔母から、血の滲むような声で電話があった。辛いからやめさせてくれ、と。
私は慌てて父に電話した。怒鳴りつけたい衝動は強かったけど、とにかくやめさせることが大事なので必死になって説得した。もう叔父と叔母は静かに死を待つ覚悟をしている。叔父本人と叔母がやめてくれといっているんだからやめるべきだ。話しながら情けなくて涙が止まらなかった。すると、高校のころから聞き慣れている、酔っ払って人をバカにする口調で、「なんだ、お前知らないのか。あの薬はな〜」とヘラヘラと説明し始めた。この瞬間、私ははっきりと父を見限った。泣きながら「とにかく叔父や叔母が嫌がってるんだからこれ以上はやめて」と怒鳴って電話を切った。
そのあとも、頻度は減ったが(これは私が言ったからではなく送れるものが少なくなったか、飽きただけだろう)代替療法品は叔母に届き続け、そのたびに父に電話し、もはや泣いたり怒鳴ったりすることもなく、何を言われても「どうして叔父や叔母が嫌がることをするの?」という言葉を繰り返した。結局私の説得は役に立たなかった。叔母には今でも本当に申し訳なく思っている。
私がごく小さいころは、私が飽きるまでいつまでも遊んでくれるような優しい人だった。人をバカにしたり怒鳴ったりするようになったのは、年をとって酒に飲まれるようになったからだろう。父からすれば、(酔っ払っていて覚えていないので)身に覚えのないことで妻と娘の心がどんどん離れていったように思えたはずで、辛かったのかもしれない。叔母に代替療法品を送りつけるのも、娘に再婚相手の家族と仲良くしろというのも、想像力がないだけで悪気があるわけではないのは分かっている。大学まで学費を払ってくれたことには本当に感謝しているし、介護が必要になったらお金は出すつもりでいる。でももう一生関わりたくない。小さいころに蓄えられた愛想は、あのとき人をバカにした笑い声を聞いた瞬間に尽きてしまった。