出版社に長いこと勤めてるんだけど、現代人についてちょっと気になっていることがある。
うちのとある雑誌には毎月テーマに沿ったものを投稿してもらうコーナーがある。それがあるテーマになるととたんに投稿率が落ちる。
それは「私の失敗談」というもの。
さらに細かく見ていくと買い物に対する失敗談はほぼ皆無だ。
誰もそんな内容を投稿してこない。
私が新人だった20数年前は違った。せっかく買ったけど自分のテレビには対応してなかっただの
そんな話がどしどし舞い込んできた。
何故減ったのか答えは簡単でネットが発達して、何か買う前に徹底的に調べる人が増えたからだろう。
事実私がそうだ。パソコンにしろテレビにしろ、果ては映画、小説など娯楽作品まで評価を調べてから見に行く。
私はパソコンに疎く家じゃたいした作業もやらないのだが、corei5とcorei7がどの程度違うのかをずっと調べてなかなか買えなかった経験がある。
さらに一時期TOEICの勉強を頑張っていたのだが、単語帳を買うにあたって一日中ネットで本の評価を比較していたこともある。
ある程度の点数を取れたとき思ったことは単語帳なんてどれも一冊頭につめこめば別に結果はたいして違わないということだった。
この悩み方っていうのは結構いびつで、少女の「ピンクのワンピースとベージュのワンピースどっちが似合うかな」というものとは異なり
「絶対、何があっても一円でも損するものか。同じ値段なら少しでも高性能のものを買ってやる」という気概が感じられる。
こうした傾向は決して若者だけのものではなくもっと上の年齢層にも広がっているのではないか。
そして失敗しなくなればなるほどしたときの落胆は大きい。その落胆は次第に怒りへと転じていき
つまり買い物の失敗は決して笑える小話じゃなくなってきているのだ。
もちろん失敗なんてしないほうがいい。金を無駄にするのは本当に馬鹿らしい。
各種レビューサイトはそのためにあり活用するのは悪じゃないし購入者の側が賢く立ち回るのも当たり前だ。
ただ若かりし頃「何だよこれ!思ってたのと全然ちがうじゃん!」という経験が山のように有り、今となり笑い話になっている身からすると
堅実さに特化した現代人の買い物は少し寂しい気もする。
自分への戒めも込めて。
だからこそ新製品を手当たり次第試してレポートしてくれる"人柱"がヒーローになる
だいたい人柱としての役割を果たした後はかなり無残に使い捨てられるよな キリスト教国でも人命軽視は同じなんだろうか
これが行き過ぎて、何を買っても悪点を嘆くアンハッピーな人が居てさ 自分はとても不幸だと思い込んでいて、付き合いづらい
衣類はよく失敗する。 買っても着ない、ということがよくある。 物自体はいいのだが、組み合わせが悪かったり、季節が短かったり、着る機会がなかったり。 そういう失敗があるから...