もう少しで、意味のある言葉を発するかもしれない時分の子を持つ。
かわいい。なにを欲しているかわからない泣き声をあげても、笑顔を見せても。
しかし自分自身には、子孫を残さなければという本能的な感情はなかった。
それでいて収入や環境、親となる自分たちの健康状態といった不安要素があった。
あまつさえ、これから生まれてくる子にとって、明るい将来・未来がある社会だとは思えない。
こうした思いは、今も変わらない。
それでも子を作るのに踏み切ったのは、妻に年齢的な出産のリミットが迫っていたからだ。
妻の希望を叶えられないことも善しとは思えなかった。
作らないでチャレンジしなかったことに後悔させたくない、したくないと思った。
日本死ねという思いには至らず、保育園に預けて共働きできていることも幸運だと思う。
本当にこれでよかったのかという疑問は晴れない。
楽天的にはなれない。
どうにかなるよ、どうにかするんだよ。という人は、どうにかならなかったときの責任を負わないのだ。
だが不安のないレールを敷いてやれたとしても、それが子ども本人にとって幸福であるとは限らないのではないか。
ということを誰にも、妻にも、言えずに、日々仕事と子育てでいっぱいいっぱいになっている。
妻は、二人目も望んでいる。
第二子、第三子をもつなら、あまり間をおかないほうが経済的負担が軽くなる仕組みもある。
だとしてもためらう。