2016-06-13

なぜ人は子どもを欲しがるのか

もう少しで、意味のある言葉を発するかもしれない時分の子を持つ。

かわいい。なにを欲しているかからない泣き声をあげても、笑顔を見せても。

しか自分自身には、子孫を残さなければという本能的な感情はなかった。

子どもが欲しい、作りたいという気持ちがわからないのだ。

それでいて収入環境、親となる自分たち健康状態といった不安要素があった。

あまつさえ、これからまれてくる子にとって、明るい将来・未来がある社会だとは思えない。

こうした思いは、今も変わらない。

それでも子を作るのに踏み切ったのは、妻に年齢的な出産リミットが迫っていたからだ。

妻の希望を叶えられないことも善しとは思えなかった。

作らないでチャレンジしなかったことに後悔させたくない、したくないと思った。

幸運なことに、妊娠から出産に至るまで大きな問題はなかった。

日本死ねという思いには至らず、保育園に預けて共働きできていることも幸運だと思う。

まれていることに感謝しつつも、不安はなくならない。

本当にこれでよかったのかという疑問は晴れない。

楽天的にはなれない。

どうにかなるよ、どうにかするんだよ。という人は、どうにかならなかったとき責任を負わないのだ。

せめてなに不自由ないほどの収入があれば、違うのだろうか。

だが不安のないレールを敷いてやれたとしても、それが子ども本人にとって幸福であるとは限らないのではないか

ということを誰にも、妻にも、言えずに、日々仕事子育てでいっぱいいっぱいになっている。

妻は、二人目も望んでいる。

二子、第三子をもつなら、あまり間をおかないほうが経済的負担が軽くなる仕組みもある。

一人っ子よりも、兄弟がいたほうがよいとも思う。

だとしてもためらう。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん