2016-06-10

「いい歳した」って表現をよく聞くけど

すべての人間が等速度で精神的・肉体的に成長するって科学証明されてるの?

肉体の成長に関して言えば、どちらかと言えば等速度に成長しないという立場の方が有力みたいだし、

精神活動が肉体の成長と強い結びつきがあることを考えれば、精神能力だって等速度では成長しないんじゃない?

いわゆる「発達障害だって、色んなパターンがあるから一概には言えないけど、

「年齢相応に成長しない」という原義で考えれば、それはようするに成長速度の個人差を病気障害と言い換えただけなのは

近代特に学校教育人間ベルトコンベアを流れる自動車のごとく、

等速度で組み立てられる製品のような感覚で捉えるようになった結果、

そうした成長モデルから逸脱した人々を「不良品」を障害者扱いしてるだけでしょう?

比較的古い心理学の本とか、浅い内容の自己啓発本なんか読んでいると、

「○○くらいの歳に××の経験(例えば、挫折とか恋愛とか)をしなかった人間ダメになる」みたいなことが

平気で書かれていたりするんだけど、そういう成長の絶対条件みたいなものがあるんだったら、

社会の側がそういう経験を用意してあげなきゃ、人材育成の点で非効率過ぎるでしょ。

わざわざ手をこまねいてダメ人間を量産してどうするんだよ、って話。

(ただ、未開社会では必ず非常に困難な通過儀礼を用意しているから、近代以前には全く無策ではなかったのかもしれないけど)

そういう物事自然なかたちで経験しなきゃいけない、みたいなことを言う人もいるけど、

だったら「ダメ人間」になるのは、そうした経験に恵まれなかった不可抗力って言い訳を認めることになる。

でも、そういう言い訳を認めるために、理想的な成長過程規定しているわけじゃないんでしょう?

全ての人間が等速度で成長するわけじゃない、という単純な理屈を認めれば、そうした矛盾に陥らずに済む。

そうした単純な理屈を誰も認めず、努力教育の違いみたいな後天的説明に拘泥するのは何故なんだろう?

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