1980年代に反解釈がやってきたころにも反権威主義だのを掲げる実際はただの反知性主義の人間たちが過剰に持ち上げ、そいつらの反解釈の実践がしょぼすぎて下火になったが、Charlotte擁護で見かけるとは思わんかった。あの時と同じようにやはり同じような反知性主義の人間が持ち上げていたのでもう苦笑するしか無い。
反解釈は何も考えずに豚になれっていう知的怠惰とは全く逆だ。自分が興味ない部分は全部解釈って枠に押し込めて無視し、自分が興味ある点については感性って言えばおっけーみたいなヌルい態度のやつがソンダクを引き合いにだして何かを悟ったかのように語ってるのマジで滑稽。ソンダクの理論がそんな簡単に実践できるようなものなら誰も苦労しないが、バカはすぐこの理念みたいなところに吸い寄せられて、わかった、俺の感性で勝負すればいいんだ、という勘違いを起こす。反解釈的態度というのであれば、「キャンプの奥の奥にある純真なもの」について自分が官能的態度で感じ取ったものを語るべきだ。だが殆どの人間はそれが出来ない。僕は反解釈的態度で見て楽しめましたって言ってる割に書いてる内容が全くそういう話じゃない。自分が好きだから好意的に解釈するって言ってるだけ。それはただのえこひいきであって反解釈とは程遠い知的怠慢にすぎない。Charlotte擁護してるやつも、"評価するべき点としては、綺麗な映像の数々、楽曲の質、不満を感じさせない人体の動き・アニメーションといった「作品外形」が高水準な所・そして「毎話楽しかった」ところ"などと書いているが、それはそれすべてCharlotteの本質に関係ない部分であってPAWORKSすげえアニメすげえという話しかしてない。これを今期終わった後のワンパンマンの評価に置き換えても何も変わらない。つまり何も語ってない。こいつは作品そのものについては何も語らず逃げたのだ。キャンプそのものは確かに語ろうとすると逃げていくようなものであるが、その輪郭を語ることはできる。それすらもせずにワンパンマンでも語れるようなことしか語れていない以上80年代によく見かけた「エセ反解釈信者」だ。。Charlotteという作品そのものについて語ることから逃げて、僕はこの作品楽しめました。なぜなら反解釈的態度を手にしているからですってアピールしてるけど、成果物が全くCharlotteという作品そのものについて語れていない以上オマエがそう思うんならそうなんだろうなって話にしかならねえ。ただの豚なら余計なもの持ち出してないでブヒブヒ言っていればいいのだ。