10年前に非モテ論客だった俺も、懐かしいのでこの「弱者男性の一件」について一言書いておこうと思う。
経済的な「弱者男性」については、たまたまEconomistが今週取り上げているのでそれを読め。俺は非モテについて書く。
近年ヘイトスピーチに批判が集まったが、ハゲ、デブ、チビ、不細工を馬鹿にする行為についてヘイトスピーチだという批判が集まっただろうか。
「モテ」に関わるヘイトはどれだけ表明しても問題視されないのだ。なぜならば、恋愛という行為そのものがそもそも差別的な行為だからだ。
ある女が俺ではない男を愛している。俺がこんなにも彼女の事を愛していて、その男がどれだけ他の女とも影で浮気していても、彼女はその男を愛している。
恋愛というのはそう言うものである。恋愛にはそもそも「差別」が内包されているだ。
ゲイやレズビアンの恋愛について俺はよく知らないが、ヘテロセクシャルに置ける恋愛は、未だに男女差別的だ。
女は最初のデートくらい男におごってほしいという。重い荷物は持ってほしいし、車道側を男に歩いてほしいという。実に前時代的な発想だ。
しかしながら、それがセクシーなのである。政治的に正しい男は(そして政治的に正しい女は)、セクシーではない。
我々は、現時点では進化した猿に過ぎず、生殖をする必要がある。生殖は獣の領域だ。一方、政治的な正しさは神の領域だ。
より政治的に正しい道を進もうとする先進国では、出生率が下がる。学歴が高いほど初体験は遅くなる。
政治的な正しさを求められば、生殖は遠のいていく。政治的に正しく生殖できるのは、神に近い存在(=イケメン&美女)だけなのだ。
フェミニズムは政治的正しさを追求する。生殖とは無関係だ。フェミニズムに非モテを救う力なんてないし、そもそも目的から外れている。
政治的に正しくない道を選び、生殖するか。政治的に正しい道を選び、童貞を貫くか。おれは童貞を貫いている。毎日、神に近づいている。
君も神の道を進め。