僕の同僚に、海外ボランティアで働くことが夢、という人がいる。
あまりに何度も聞かされるので、彼の心理には何かあるのではないかと思い、僕なりに同僚の心理を分析してみた。
まず、夢を語った後、必ず今はそれができない理由もセットで語る。これもありがちな理由である。要するに家庭の事情である。彼の家は母子家庭で母親、祖母の面倒を看なくてはならず、家を空けることができないということらしい。確かにこれは素晴らしい。実家住まいで親のスネをかじりまくってる僕からしたら、なんという立派な心がけだろう。
海外でボランティアすることは確かに素晴らしいことだ。理想が高い。ただ単に、経済的に成功したいとか、女にもてたいとかいうよりはワンランクもツーランクも高い崇高な理念だと思う。要するに、目標とする人は、ビルゲイツではなくイエス・キリストですと、言っているようなものである。
ではなぜ、そんな高い理想を掲げるのか?
僕は最近、ある資格を取った。その分、数万円だけど給料が上がった。その分だけ、同僚よりは毎月もらっている給料も多くなったはずだ。でも、その資格を取るのに10年以上の時間をかけてしまったため、とても月数万円の手当ではペイできているとは思えない。この資格は職場の上司も取れなかったものなので、上司にも認めてはもらえず、職場では仕事できるキャラとして扱われてはいない。むしろ、職場のお荷物扱いである。でも、職場から離れた第三者から見れば、彼と僕なら資格を持ってる分、僕のほうが仕事できるように見てもらえるかもしれない。もちろん同僚もその資格の勉強はしていた。毎年試験シーズンが近づくと勉強を再開する。 数カ月すると勉強の話をしなくなる。すると、海外ボランティアの夢を語りだす。毎年、この繰り返しだ。
要するに高い理想を掲げることで、二人の勝ち負けを決めるラインを引き上げたいのでは?と僕は思った。
つまり、海外ボランティアしてないおまえも負けだよ、と暗に言いたいのではないかと思った。
俺たちの勝ち負けを決めるラインは、こんな小さな会社でやってる仕事ではなく、地球規模で活躍してるかどうかだよ、と言いたいのではないのか?
どちらも世界を股にかけて仕事していない。つまり俺も負けだけど、お前も負けてるよ。
だから、おれと話しするとき、ドヤ顔するんじゃねーぞ。このクソ野郎!!
おそらく皆さんの周りにも大きな夢を語る人がいるはず。ただ、その大きな夢を語る人は、その夢の実現よりもむしろ、勝ち負けラインをあいまいにしたい人がほとんどなのではと思う。本音は実現させるつもりはないので、語る夢はデカければデカいほど良い。勝ち負けラインをはるか彼方に引き上げることにより、自分の周りから勝者を消滅させる。
そういう人は、いつも人との勝ち負けを気にしながら人と接しているので、誰かにその勝ち負けラインを超えられはしないかといつもビクビクしている。僕もその同僚にお道化やお世辞もいっぱい言っているつもりなんだけど、彼との関係はどうも上手くいっていない。
団栗の背比べ
【読み】どんぐりのせいくらべ
その人がどんな人かは分からないけど、 純粋に善人に憧れる人と憧れることに満足してる人も世の中にはいる。