2014-11-18

こじらせ系女子

なぜ、女子はこじらせるのか

https://note.mu/yuuuuuiiiii/n/n5873e003b1ea

上記の記事を読み思ったこと。ただしあまり関係はない。

何か突出して優れた点がある人々や、あるいは多くの点で平均点前後を確保し大きな欠点もなく平凡(以上)に社会で生きることの出来る人のことは省き、

また先天性後天性にかかわらず(福祉対象になり得るような)障害を持つ人のことも省き、そして残った少なくない人々こそが社会を考える上でもっと重要な位置にあると思う。つまり人よりも少し劣った人々のことだ。

日頃そう考えている自分にとって上記の記事は大変興味深かった。

勿論学生時代青春時代ヒエラルキーがそのまま社会に移行するわけではないが、実際はそうなることも多いだろう。

人生における満足感に必要な要素は大きく分ければ二つある。

まり社会的成功地位や金銭にもたらされるもの)と人間関係成功家族や友人によりもたらされるもの)だ

前者は知能や度胸、学歴などがあれば得やすくなり、後者容姿があれば得やすくなる。勿論人間性が重視されるのはどちらも同じだ。

そしてもしこの二つのどちらかしか得られないとするなら、多くの人は後者を選ぶだろう。

だがそこで一つの問題が生じる。

後者必要容姿、そしていわゆるコミュ力はなかなか努力では改善されにくいものからだ(勿論、特にコミュ力は前者にも必要だろうが他で補うことも十分可能だ)。

ならばその点で恵まれなかった人々はどうするか。

現代日本において、特に若い男女の間で一番の差異を生むのはここだと考えられる。

男性は前者を頑張ることでそれを異性に対する魅力とすることができるが、女性にはそうすることが難しいという違いだ。

男性は一方向の努力により二つの面での成功に近づけるというのに、女性は両方とも努力しなければ両取りは困難なのだ

仕事のできる男性にはATMとしての魅力だけではなくきっと性的な魅力も感じられるだろうが、女性場合はそうは感じてもらえないに違いない。

結局のところ、”男はかわいい女が好きで、女はカッコいい男が好き”という構図を解体しない限り『本当の』男女平等は訪れないのだろう。

そしてその構図は感情的個人的趣味である以上、無理に変えることも決して出来ない。

それこそ長い年月をかけて変えていくしかないのだろうが、恐らくこの構図は数千年以上も続いてきたものであろうしその道程は果てしなく険しい。

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