バイトが
君に
見つけてもらうときを
待っている
この、労働市場における圧倒的な売り手市場を思い描かせる歌詞は、現在バイトを採用して教育する立場の昭和生まれの世代、とりわけ30代の氷河期世代にはちょっとした違和感をもたらすもののように思う。
と同時に、現実の労働市場は依然として買い手市場なのにもかかわらず、まさに歌詞の通りの世界観で「来てやっている」バイトの割合が(世間知らずの若者の図々しさとかふてぶてしさとかの話ではなく)自分達の頃よりさらに増えている、また、全体的にうっすらとではあるが、労働者としての正当な権利感覚を早い時期から持ち合わせ、上手に主張できる若者が増えているように感じている。
一応ことわっておくけど自分の管理してる職場は、バイトに課している内容に何ら後ろめたいことは、はなからない。
定刻きっちりから仕事を始め、マニュアル通りに仕事をこなし、定刻になったら帰ってもらう。
たまに、この作業がきりのいいところで終わるまで、と定刻を過ぎても残る人がいるが、その場合は速やかに次のシフトの人間に作業を引き継がせるとともに、延長分は当然払う。
もちろん怒鳴ったりしないし、社員並の裁量を求めたりもしない。
その上で、多分、学生時代の自分なら言えずに黙ってたんだろうな、と思うような場面で自己主張する学生が今はわりといる。
はじめこそ、自分の中に経験の引き出しがなくてびっくりしたこともあったけど、最近、今のような関係のほうがいいなあ、と思う。
後腐れがないし、互いに腹を探りながら話をしなくていいし。
雇用主は上で労働者が下、という図からは(指揮系統はもちろんそういう図になるけど、もうすこしソフトな、有機的な面での話)まず雇用主が率先して脱するべきだと最近つくづく思うし、雇用主は精神論でなくもろもろの労働法規に沿って従業員と話さなければいけない。