顧客第一主義を極めるとボランティアにいきつく。だが、顧客第一主義をもなたければ生き残れない。そのパラドックスをAmazon,Facebookあるいは物々交換を例にあげて考えてみる。
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最近、顧客第一主義ということばをよく聞く。もちろん経営者ならば顧客第一主義というのはよく言うことである。Amazonの一例をあげるならば、他のIT企業とくらべてオシャレではないオフィスである。これは顧客と関係ないところにお金を使わないためであるという。こういった理屈は一般の企業にも見られる。事務所のエアコンをひかえたり、価格を抑えるために給与を削除したり。
しかし、それがベストなのであろうか。つまるところ我々顧客が求めるのは安く、沢山の物を手に入れることだ。これを企業が叶えるとしたら社員の給与を削減し、ほぼボランティアで働くことになる。顧客ばかり満足して、企業はどんどん細っていく。これが本当のあるべき姿なのだろうか?
ここで少し視点を動かして、物を買うとはどういうことなのかについて改めて考えてみる。元々お金というものは物々交換のためのものであった。つまり、商売とは物々交換なのである。そこではそもそも売り手も買い手も存在せず、どちらもフェアである。我々は原初に立ち返って、フェアな商売というものを考えるべきなのではないだろうか。
とは言っても世界にはびこった顧客第一主義はそうそうに拭えそうもない。その中でもこの矛盾をうまく克服しようとしている企業がある。FacebookやGoogleである。彼らは何も顧客のために見をすり減らしていたりはしない。むしろ自分たちの拘りや好きなことをガンガンやっている。その中で顧客が受け入れた物を残していく。こういうやり方だ。実際に彼らは莫大な利益をあげている。Amazonのように赤字だのなんだのとは無縁である。
ではいったい、FacebookとAmazonの差はどこにあるのだろうか。これを一言でまとめてしまうのは恐縮であるが、私の意見を述べさせてもらう。ずばり、「自分が顧客かどうか」である。FacebookもGoogleも自分たちが作り、自分たちが使っていた。一番の顧客は自分だったのである。だからこそ機能の拡充には果てしないモチベーションがあがるし、顧客のためだからのいってコスト無理に切り詰めたりしない。
まとめると、顧客第一主義というものは現在商売を行う上では必要不可欠なのである。ただし、その中で自分自身が顧客になることが、顧客第一主義を極める上でもっとも効果的な方法なのではないだろうか。