2023-06-12

判例という形で示された社会通念と全く異なる基準で中止要求するのが問題

フェミニストにも様々な考え方があるように、表現の自由戦士の考え方も一つではなく、表現の自由公共の福祉によって制限されることを認めない原理主義的な表自戦士は表自を代表しているとは言えない。表自を自称はあえてしていないが、考え方は表自に近いので反論しておく。

まず、判決文の原文 (https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/271/051271_hanrei.pdf)を読んだがこの判決については特に異存がない。

事件概要なんかは載せてくれているしわかりやすくまとめっているので割愛する。ここでは増田が書いていない社会通念部分について判例を要約する


まり刑法175条における猥褻社会通念で決まり裁判所が決める社会通念に基づいて判断した結果が判例として基準となる。

明示とは言えないが、ある程度境界線場所は見えていて共通認識を持てている。それこそが社会通念と言える。

問題は、その線からはるかに離れた独りよがり社会通念を振りかざして排除しようとするフェミ姿勢である

JCP埼玉の主張を引用する

6月2324日に県営施設であるしらこばと水上公園において「水着撮影会」が行われます。入場料は1万円から3万6千円と高額なもので、過去イベント動画をみると水着姿の女性わいせつポーズわいせつなしぐさで映っており、明らかに「性の商品化」を目的とした興業です。


猥褻基準刑法175条の過去判例とすれば該当しないのは明らかである。陰部を露出していないどころか乳首すら出していない。もしこれをもって猥褻とするのであればオヤジ雑誌の袋閉じどころかヤングジャンプの発行責任者ですら逮捕されているだろう。もちろん、刑法175条における判断基準出版物に対するものなのでイベント適用されるものではないが、イベントを中止に追い込むのであれば、同様な根拠(我々の観念こそが社会通念であるという証拠)を法令類似事例の判例で示す責任が中止を求める側に存在する。

最高裁判例の中で、

判断の基礎は一般社会において行われている良識または社会通念として存在しているから、事前に不明であるはいい得ない。

とあるが、裁判所がいうように判断の基礎は一般社会において行われている良識または社会通念として存在している。そこから逸脱した社会通念とは違う別の何かを持って中止に追い込もうとする輩に対して基準を示せというのはごくごく当たり前の主張と言えるのである

追記

トラバの指摘対応タイトルに「全く」をつけた

anond:20230612115318

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