2023-05-21

シスヘテロ精神障害者男のポリコレ潮流への感情

この記事で言うポリコレ潮流とは、今まで日の当たらなかった弱者マイノリティに光を当てたり称揚しようという世界的な流行のこととする。そして特にエンタメ業界についてに注目する。

世界的、あるいは日本世間的な言葉意味はさておき、この記事ではそうする。


基本的に僕はポリコレ潮流に好感を持っていない。

説教臭さや、諸々に配慮してますという目配せが娯楽への没入感を削ぐし、僕の美的好みから外れるキャラタレントの登場頻度が増えたからだ。

だが、ポリコレ潮流的な物が百害あって一利なしだとは思っていない。

僕は大学進学の際に、九州人口20万くらいの町から人口100万くらいの町に出たのだが、そこのツタヤに、地元にはおいていなかった僕の好きなアニソン歌手アルバムがあった。

それを見て僕は、この町は僕みたいな周囲と馴染めないキモいやつもにも居場所を準備しているのだ、と嬉しくなった。

これは利便性問題ではなくて、大衆普段使いする施設が、自分のような人間存在を想定に含めた運営をしていることが精神に与える影響の問題だ。

もう少しオタク一般に伝わる表現で言えば、アニメイトだったりとらのあなだったりコミケだったりの、オタク存在を前提とした場所に始めて行った時の感覚にも近いと思う。

から差別されやす民族とか、セクシャルマイノリティとかがエンタメでの登場頻度を増したことで、その人たちが「世界には自分たちの居場所がある」という感覚を得ることができるだろうというのは十分想像できるし、それはいいことだとも思う。

ではあるのだが、やはり僕はポリコレ潮流に好感を持てない。

最近の僕は、100万都市に出る以前の、というかそれ以上の、「この世界から僕は厄介者にされている」という鬱屈を抱えている。

ポリコレ潮流が、居場所のない人間にも居場所がある安心感を与えてくれるはずなのに、僕はそこから落ちこぼれている。

100万都市精神病み無職童貞で三十歳を超え、実家に引きこもってネットで悪ふざけしたりロリエロ漫画でシコりつつも、最近ちんちんの勃ちが悪いことと両親の老いに怯えている僕の居場所は狭まっていくように感じる。

潮流という言葉を使っているが、じっさい上げ潮と引き潮のようだ。或いは株の上がり下がりのようだ。

僕が世界存在を許されている感覚は、中学生までの頃は居心地の悪い引き潮、進学で人口の多い町に行き居場所のある感覚を得て上げ潮、おりしもネットの発達やオタク文化の一般化と共に最高潮になったが、その後潮が引き始め、下げ止まらない。

高潮の頃の遺産で居場所や娯楽自体はまだあるが、成長率は低い。

ちょうど日本が、過去遺産GDP世界三位ではあるが、GDP成長率は鈍化していて閉塞感が漂っているのと似ている。

まだ世界から捨てられきってはいないが、この後どんどん居場所が狭まるだろうな、ポリコレ潮流で引き潮になっているな、と思うから、僕はポリコレ潮流を好きになれない。

今のポリコレ潮流で、世界自分達の居場所を認めつつあるという安心感を得ている人たちの、その喜びはいいことだが、僕という存在株価が下がっていくこと抜きにそれはできないのだろうか?

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