2022-07-08

頼むから最初に読んでほしいこと:

無知人間作成した感想偏見にまみれた文章であること、誰かを悪者にしたい訳ではなくて、ただ思ったことを書いただけの文章であることをご留意ください。ただの殴り書きで冗長です。

人間殺傷できる威力のある銃が自作されたこと、またそれが人に対し使われてしまたこから分かる倫理観の欠如、そして殺人、全てが当然恐ろしいことではあるが、もしも標的が政治家ではなくて、殆ど人間には無関係のただの一般人の『知らない誰か』の死であったらここまで問題が表面化して叫ばれることや危機感が広まることはなかったのではないかと思ったり。一事件として風化するのも早そうだななんて思ってしまう。

話は変わるが、匿名性によって人間攻撃的になること、現実において大抵はブレーキがかかるはずの言動を抑えられなくなる、とは昨今の誹謗中傷事件によって広く知られていると思う。フラストレーションストレスの捌け口として、画面の向こうにいる、自分と同じ『人間』のことを想像できずに、開けっ広げな言い方をしてしまえば、八つ当たりをしているのが誹謗中傷の多くの真相ではないかなと思っている。(無論、アンチと呼ばれるように特定人間粘着するタイプや、情報の取捨選択が出来ずに都合の良いものを信じてしまタイプなど様々なケースがあるために一概にそうである訳ではないことは念頭に置くとして)

そして、この匿名性による攻撃的な人間言動が、今回のような事件についての議論、討論などにも大きく影響を及ぼしているように思う。

亡くなった安倍晋三元首相に対して「死んで当然」などと発言するアカウントをいくつか見つけたし、過去に同様の発言をしていたアカウントが、今回の件を受けて掌を返したように「こんなことは許されない」と発言しているというツイートも目にした。(ここに関しての信憑性は伝聞程度、多様な情報が飛び交っている中で全ての発言を一つ一つ確認することは難しかった。申し訳ない)

なんかほんとにとんでもないなあ、と馬鹿みたいな感想しか出ないのが本音だった。こういう、ある種の、消極的殺害予告とでも名前をつけてみるが、気に入らないから殺せみたいな空気感によってテロが遠回しに容認されてしま社会になったらどうしよう、なんていう漠然とした恐怖を感じた。言論表現の自由規制に賛成はしないけど、こういう、自分他人にされて嫌なことは、自分他人にしないようにしましょう、みたいな当然のはずの道徳とか倫理がどこかに行ってしまうのが本当に怖いなと思う。

それから、《こんな事件があったのだから政治活動自粛すべきだ》《自粛などしては民主主義暴力に屈することになる》《自粛をすればテロに屈することになるのは分かるが安全確認が出来るまでは不用意なことはせすにいた方が》、みたいな事件に関する意見とか、各々心を守るために情報遮断したり、深く考えてみたり、他のことで気を逸らしたり、とか、そういう対処のしかただったりの色々な意見対処法が見られたことについては全く問題が無いと思うのだけど、ここから各々が各々の意見押し付け合って、また阿鼻叫喚様相を呈してインターネットレスバトルに変貌しそうなのもいやだなあと思った。

いやとか怖いとか、マイナス寄りの感想で終わると、この政治だとか選挙だとかに消極的になって関わりたくなくなるのも仕方ないのかもしれないと思う。

自身が参加すればこういう恩恵がある、世を変えられるとちゃん理解できた時にはじめて前向きになれるのかもしれないが、教育機関において政治の話がタブーっぽく扱われているので、そこの理解納得をできないままに選挙権を得てしまう成人が増えて、だからこその現象なのかなと今更ながら。

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