今日、同じ気持ちになってる奴が日本中に10万人ぐらいいるかも知れない。
本当に俺はアイツが嫌いで、「いっそ死んでくれ」とか「ああいう奴が殺されたほうが政治家が国民を舐め腐らなくなる」とか「多少は間接的なんだろうがアイツは既に何人も何十人も下手すりゃ何万人単位でアイツがいなけりゃ死なずに住んだ人間を自殺や病死に追い込んでるんだから報いを受けるべきなんだ」と思っていた。
だが実際に死んだのを見て、「まともな裁判もなしにいきなり殺すのは駄目だ」と今更ながらに思った。
独裁政権がやるような形だけのものじゃなく、その国でも特に賢い人達が沢山の工数をかけて1人の人間から最大の権利を奪うことの是非を問うべきだ。
人間という生物が持つ生きる権利の重さを、軽んじてはいけないんだ。
やってきたことの報いを受けて殺されるとしても、それは日本の法廷によってその積み上げてきた罪の重さが死によって報いるのが妥当であるという判決を経て殺されなければいけなかったんだ。
裁判どころか留置の一つもなくいきなりその場で射殺されてはいけないんだ。
もしも奴が銃や刀を振り回して誰かをその手によって直接殺そうとしていたなら、いきなりの銃殺も仕方なかっただろう。
だがそうじゃない。
この国の政治や行政の手によってこれからまた間接的に誰かの未来を奪って絶望や貧困に叩きつけて間接的に多くの国民の命を危険に晒す所だったとしても、それがその手によって直接行われた暴力でないならその場での射殺はあってはいけないんだ。
今日、そのことがよくわかった。
今まで、自分が心底死んでほしいと思った人間が本当に死ぬのを見たことがなかった。
王将の社長はよく分からんオッサンだったし、板垣退助は大昔の偉い人でしかなく、暗殺されることの是非について語る時の自分の立ち位置があまりにも安全圏にありすぎた。
自分が直接殺すつもりこそなくても、誰かが殺してくれないかとどこかで祈っていた相手が死ぬのを始めて見た。
ある種の当事者意識を持って、その暗殺の是非を考えさせられる最初の機会だったのだ。
もしプーチンが暗殺されたとしても、自分は彼によって起こされた様々な迷惑をあまりにも間接的にしか被ってこなかったのでこんな気持ちにはなってないだろう。
本当に初めてだった。
そしてよくわかった。
やっぱり暗殺は駄目だな。
フランス革命のギロチンでさえもその過程において裁判は存在したのに、ただただいきなり殺してしまっているんだからどれだけ歴史を逆流しているんだって話だ。
増田の言いたいことは実感できる。 彼は暗殺などされてはいけなかった。 彼が暗殺されたことは、彼を支持しない多くの人間達に何の利益ももたらさなかった。それどころか、世の中の...
人を殺すのにはちゃんと手続きを踏まなきゃ駄目だ。 これつまりは死刑大賛成〜。悪人は死刑で殺しまくろう!ひゃっほー!ってことだろ? 死刑賛成って時点でお前も十分ヤバいんだ...