2022-03-29

送別会の夢を見た。

送別会の夢を見た。

前の会社には新卒で入った。終身雇用は夢見ていなかったが、会社愛着はあったので、数ある危機も、会社の死に水を取るつもりで敢えて脱出することは無かった。

いくつかの危機の後、激務の果てに、周りの人間脱出を試み、そしてある時自分もこの会社を支えることが出来ないと自覚した。

なんとか業務健全に保てないかと8am-11pmで奮闘し、慣れない英語人材を確保し、人材派遣の会社と闘いながら日々の業務改善を進めて行った。

しかしそれも叶わず、とうとう心が折れ、内に籠って休職し、うつ診断後闘病し、フェードアウトするようなリタイアを選んだ。

収入支出をしっかりと検討した結果、今の貯蓄で充分年金まで持ちこたえることが出来、そして年金だけでその後もやっていける見通しがついた。

なので失職後は再就職を目指すことなく、FIREの道を進んだ。隠居

休職から退職、在籍中の人からは消えるようにいなくなったと思われただろう。

挨拶も何もなく、ただ消え失せたと思われただろう。

退職後、幾度も「どうやって退職するか」を苦悩する夢を見た。既に退職しているのに。

それほど、仕事自分の中で大きな要素だった。

20年以上、自分生活の中で大きな部分を占めてきたのが、仕事だった。

仕事が好きか嫌いか、聞かれれば「好き」だった。

しかしいろいろな面で、「嫌い」な仕事だった。

そのアンヴィヴァレンツな状況のまま膨大な作業量プレッシャーに耐えられなくなり、休職した。

休職後は、復職するだけのモチベーションを見つけられず、退職を選んだ。

20年、見続けていた職場を、逃げるようにして退職した。

(傷病休暇中という立場で、会社から復職するか意図を聞かれたが、それにどうしても「ハイ」と答えられなかった)

辞めた身から、まだ現場にいる同僚には自身の辞職については何も言い訳ができない……と思っていた。

「お前が弱いからだ」「お前がしっかりやらなかったからだ」という責めについては表立って受けたことは無いが、退職を選んだ時にすべての関係者から責められてもいたしかたないと思っていた。それだけ罪悪感を感じていた。

後ろ指を指されて当然と思いながら退職した。

しか自分には、その過去の知人友人同僚を捨ててでも、あの立場から脱出する必要があると考えていた。

自死や希死観念と戦いながら、「周りにいる人を悲しませない」ために取れるただ一つの手だと思っていた。

そこは、後悔ばかりの選択の中で、胸を張って「間違っていない」と言える選択だった。

今でも会社在籍中の出来事は、思い出すだけで心拍数が上がる。

罪悪感、諦念、悔恨、黒いしこりが渦を巻く。

それは在籍中の楽しい思い出(20年も務めているのだから、そりゃあ色々楽しい事もあった)を失う羽目になった、という思いも少なからずある。

人生の半分をその会社と共に過ごし、それを失ったのだから、当然そう感じるだろう。

そんな思いに折り合いを付けながら、隠居生活を3年ほど続けた。

そして、先日夢を見た。

その夢の中では、どんな理由かはわからないが、自分退職して、そしてその送別会に参加していた。

仕事上縁があった沢山の人たちが酒を交わしながら、これからも頑張れよと声をかけてくれた。

今では名前も思い出せないが、確かに顔は覚えている元同僚が、沢山集まり、一緒に飲んでいた。

目を覚ましてしばらく茫然とし、そして泣いた。

彼らにお別れを告げられぬまま退職したという後ろめたさ、祝福されて次のステージに移りたかったという想い、その両方から泣いた。

今となっては彼らにどうやって3年前の別れを説明して良いかもわからない。

自分に耐えられるだけの力があったら、もっと頑張って仕事で彼らを支えたかった。

しかしそれはもう無理だと判断し、捨てることで自分を保ってきた。

忘れようとして忘れていたのに、こんなことで思い出すとは。

彼らからしたら「いつも見ている同僚が一人いなくなった」「仕事で縁がある人が一人いなくった」ということだろう。

自分がいなくなったとしても次の担当者が取って代わるだけで、本来仕事には支障がないはずだ。いや、支障が無いからこそ自分退職という道を選ぶことが出来た。

自分退職が、彼らの負担にはならないと思ったから。そう信じたかたから。

あの時の自分はそう選択したけど、そんな選択をしなくても良い状況だったら良かったのに、とは常に思う。

しかった仕事もあった。みんなに挨拶して、笑顔でお別れを言いたかった。

でも休職の果てに退職を選ぶしかなかった。

あの時挨拶出来なかったみなさん、ごめんなさい。

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