2017-12-07

ニコ動アニ研(研連)の文化の違いをつらつら考えてみた・予告編

アニ研連こと「アニメーション研究会連合」が解散するという情報を見たので、あくまアニ研ゼロ外野立場から

※以下Twitterに投げようと思ったけど如何せん時機を逸したかもなので増田に。


いつぞやのコミケで入手した某まにけんOB作品で、アニ研でのアニメ自作することの醍醐味として「自分で声をあてる」が結構重要ポイントに挙げられていて、ああこの一点だけでもニコ動とは決定的に文化が違うなと。


ニコ動にもそのものずばり「演じてみた」「アフレコしてみた」があって、そっちはまさにギャグネタとして演じてアフレコしてみた風潮が主流だけど、一方でアニ研作品は、ギャグパロディであっても「作った自分たちで声をあてる」ことについては結構真剣に捉えている印象がある。


どんなに拙くても自分で声をあてることに意義があるし、よっぽどじゃないとそれを笑うことはない。一方これをそのままニコ動でやったら容赦ないツッコミの嵐だろう。特にストーリーシリアスだったりすると。


逆にアニ研ゆっくりとか使うのはむしろ邪道って雰囲気も感じる(研連で上映されたのもそういうのは、吉野家パロのゴノレゴさらにパロでTTS使った一本、softalkとか使ってたの二本、これぐらいしか記憶に無い)。


なんというか、同じアニメ制作でも柔道高専柔道ぐらいの違いというか。ちなみにニコ動の流れの元はFlashアニメで、ここからしアニ研とは断絶された全く違う文化だ。


あと短い作品でも結構な人数のスタッフが投入されていて、これもニコ動ではどうなんだろう。こっちはいちいちスタッフロールないとはいえ、基本一人での製作だろうし、だからこそFlashとか「一人でも作れる」ためのツールを使っている。


なぜか思い出したのは「大量の隊員を動員しながらほんの一握りしか登頂できない極地法に疑問を持った」という植村直己さんのWikipedia記事


何事も基礎は肝心で、それこそ柔道とかプロレスとかは受け身は基本中の基本で欠かしたらケガしてしまう。然るにアニ研の方は「受け身の練習と同じように大事なこと」としてコマの描き方から教えていて、ちゃんとした創作はそれがモノになってから、みたいな教育をしているのではないか


で、一枚一枚コマを描くことはそれは大事だろうけど、ぶっちゃけ受け身のようにケガをしないために必須ものなのかというと…?新人の側も「いいから作らせろ、Flash使わせろ」て思ってるところがないかなとも。


研連では「4年かけて精一杯短編作りました」とか「予告編だけで結局本編作られず」とかが多い印象で、そういうのニコ動で受け入れられるかというと疑問符つくしニコ動では「アニ研で4年かけて作られる短編レベルを長くても数ヶ月で仕上げるクリエーターの方が目立つ感じが。


名前は挙げないけど、いつぞやの研連上映会ではアンケート1位だった作品。「アニ研ってとにかく本格的にかっちりやることに拘るんだな、結局『アニメ作りを楽しむ』よりも『アニメスタジオ(というかジブリ)の真似ごと』やるための場所なんだ」というすっごく穿った見方をしてしまった。


ともあれそういうのについていけなくてドロップアウトしてニコ動で一人でこそこそ作ってるって人もいるんじゃないのかな?とも思ったりした。


※後日新しい話題も含め増田でまとめる予定。

2018年6月公開(なんちて)

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