今年の四月に父が介護施設で亡くなった。八十七歳だった。
百箇日法要を先日済ませた。あれからもう百日も経過したのだ。だが、まだ実感がわかない。父が死んだという事実を認めたくない。受け入れたくない。受け入れられない。
とても頑固な父親だった。父より頑固な人を僕は知らない。しかも、思いやりが欠如した人間だった。しかも、ひとの言うことを全くきかない。毎日、毎日が苦痛だった。毎日が戦争のような生活だった。どうしてこんな人の息子に生まれてしまったのだろうか・・・。早く死ねばいいのに・・・。一日も早く父のいない世界でのびのびと暮らしたい。毎日、そんなことばかり考えていた。
僕を悩ませていたのは父だけではない。認知症の母親も同居していて面倒を自分ひとりでみていたのだ。認知症のため毎日母は失敗する。その母の失敗に対して執拗に攻撃する父。今にも殴りかからんばかりの勢いで・・・。そんな父から母を守ってやらなければならないし、酷い認知症のためトイレや風呂や着替えや見守りなど気が抜けない毎日だった。
父が風呂場で熱中症のような症状になり、救急車を呼んだ時はもう限界だった。
「ごめん、もう面倒見切れないから施設に入って!」絶対に言わないつもりの台詞が口から出てしまっていた。死ぬまで家で自分が面倒をみるつもりで頑張ってきたから。
数日後、父の方から施設に行くと言い出したので、話が急展開した。直ぐに近くの有料老人ホームに入れるように手配した。母共々。万歳!
しかし、喜んだのもつかの間、二週間後、家に帰ると言って聞かず、一晩中暴れたためレッドカード。その老人ホームにいることはできなくなり、しかたなく自宅に戻すことになった。天国からまた地獄に逆戻り。やれやれ・・・。
念願の自宅に戻れて安堵したかに思えたが、翌朝起きるなり、また暴れだした。
「お母さん(妻)がいない!今直ぐに連れ戻せ!」わめき散らして手が付けられない。もうギブアップ。助けて!
姉の家に逃げ込み事情を説明して対策を考えた。とりあえず精神科受診が結論だった。運悪く土曜の午後だったのでなかなか受け入れてくれる病院が見つからなかったが、なんとか電話で探し出した。遠方だったがしかたがない。
必死で暴れて抵抗する父親を姉夫婦と自分で車に引きずり込んで、一時間以上かかってやっとクリニックに着いた。
「この薬を飲ませてください。」その精神科医は言った。
すんなりと飲んでくれたらいいのだが、頑として飲まないのは分かり切っている。飲まなければ暴れる。今夜は寝れない。もしかしたら包丁で刺されるかもしれない。以前、姉が実際刺されたことがあるから。
このクリニックには入院施設はない。しかし、父とふたりで家に帰る勇気はなかった。
そして、出した結論が精神病院への強制入院だった。強制入院をさせるためには警察を出動させた方が良いということだったので、クリニックから警察へ電話していただき、パトカー先導で精神病院へ強制入院となった。父は命がけで抵抗した。
それから父は大人しくなった。別人みたいに。薬の力は凄いのだ。しばらく安堵の日々が続いた。三日に一度洗濯物を取りに面会に行った。
父の異変に気付いたのはそれから一ヶ月くらいしてからだった。大人しくなったと言うより明らかに弱って来ていた。それに足の甲のあたりが不自然に腫れていた。看護婦さんに聞いても寝たら足の腫れは小さくなるということだったが、そんなことはなかった。面会の度に足をもんでやったが、腫れが小さくなることはなかった。この病院に不信感を抱くようになったので、転院先を探したが空きがなかった。とりあえず予約だけはしておいた。
空きが出たのは三ヶ月くらいしてからだった。30人待ちのはずがどういう訳か空きが出た。その施設は精神科病棟付属の介護施設だったので安心していた。ラッキーだと思った。その時は・・・。
その精神科病棟付属の介護施設に転院する時、父は目も開かないくらいに弱っていた。でも、その施設で療養すれば次第に回復するだろうと思っていた。
安堵するのも束の間、始めは介助すれば歩ける状態だったが、直ぐに車椅子になった。食事もお粥になって、目もつぶっていることが多くなっていた。なんかおかしい。回復するどころか明らかに悪化しているではないか。しかも、食事は当然介助が必要であるにも関わらず放置されていた。そんなこととは知らなかったので、慌てて僕が介助して食べさせた。
その介護施設の介護サービス計画書には、こういうふうにこんな良いことをします的なことを丁寧にすらすら記載されていたが、全くそんなことはしてもらっていなかった。読んで反吐が出た。
医師に説明を求めた。施設の担当の内科医だった。内科的には特に問題はないが、精神科の薬の量が年齢的、身体的に4倍から8倍の量を投与されているので、多すぎるのではないかということだった。初めて知った。前の病院でも、この施設でもなんの説明もなかった。
父が弱った原因はこれだと思った。直ぐに量を減らすよう頼んだ。直ぐに減らすことは出来ないので徐々に減らしていくというのが答えだった。この施設に来てからもう三週間以上経過しているではないか。いつから減らすのか?遅過ぎはしないか?
心配だったのでその日に担当の精神科医に会って話を聞きに行ったが、来週しか会えないということだった。
その翌朝、未明に父は死んだ。これから薬を減らしていこうという時に。
あまりにも呆気ない死だった。納得できない死に方だった。
だから、まだ実感がわかない。父が死んだという事実を認めたくない。受け入れたくない。受け入れられない。
そして、自分が選択した強制入院について、それが正しい選択だったのかどうか・・・。
ゴメンな!父ちゃん!
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