はてなキーワード: 本来とは
実用書は漫画や小説と違って、ある程度信ぴょう性のあるものなら誰が書いたものでもいいと思う。事実には著作権がないから。
だからこそ、わかりやすい、読みやすい、信頼出来ると思える本を選びたい。
ということで良書に出会いやすくなると思った個人的な本の選び方を書いていく。
■本文より先に著者プロフィールを見る
なにかの本に興味を持った時、真っ先ににどんな人が書いた本なのかを確認することをおすすめする。
その本を書いた人が本の内容に沿った専門家なのか、専門家の中でも異端な立場の人なのか、脱サラしてなんちゃって専門家になったような人なのか、個人の意見を売りにする人なのか、スピリチュアル系の人なのかは、著者プロフィールを見たり、著者の名前をネットで調べたりすると大体わかる。
■本をパラパラめくった時に何がどこに書いてあるかわからないものは避ける
章の見出しがある程度で、小説みたいに図もなく文字の大きさも変わることなく、パッと見てまえがき、体験談、具体的な知識、まとめが判断できない本は読んでてしんどい。
このタイプの本はまとまっててすごく読みやすい!と感じるものも中にはあるけどそういうタイプの本の大抵は作者の自分語りや体験談がページの大多数を占めていて、実態は3ページあればその本が伝えたいことが全て収まるような内容の薄いものが多い。
立ち読みくらいだとわからないかもしれないけど、なにかの続編とわからないタイトルで、重要なことを詳しくは既刊へ、などと誘導する本や、続きはセミナーへと誘導するような本はお金の無駄。その著者の本は二度と買わないし読まない。
既刊を別に買ったりセミナーに行くために本を買ったわけではないのだから悪質だと思う。
著者プロフィールや最後あたりのページを見た時にセミナーの事が大っぴらに書いてある場合は注意しよう。
■気になった本は同じ著者が同じテーマで書いた既刊を中古や図書館、電子書籍読み放題サービスなどで読んでみる
ベストセラーで中古でも1年近く定価近い価格で取引されてるような本がある場合、それと同じ著者、同じテーマで書かれた本が既にある場合、そちらは中古で100〜300円くらいで買えたり、図書館ですんなり借りられたり、読み放題サービスに入ってたりする。作者が同じなのでだいたい同じことが書いてある。それで知りたいことが間に合うこともあるし、失敗しても損は少ない。気に入ったら永久保存版として本来読みたかったタイトルを新品で気持ちよく買えばいいのでおすすめ。
■読んでる途中でしんどくなったらすぐ手放す
色々本を読んでると、本の評価は高いし内容は真っ当なんだろうなと思うような本でも読んでてしんどくなる本が結構ある。作者の語りが高圧的だったり、自分にとって内容が分かりにくかったり。そういうのは内容が頭に残りにくいし、素直に実践しようと言う気持ちは起こりにくいので、別の人が書いた同じテーマの本を読むべし。
その内容が事実ならば当然似たような内容の本はいくらでもあるし、もしないならその本の内容は作者の持論でしかない可能性もある。
「人間扱いしろ」とか自分自身をごまかす言い方を使うから、おかしなことになる。
人間とは、奴隷として労働させたり、店員として自動レジ扱いしたり、兵士として死地に追いやったりするのが当然の存在である。
それ扱いしたから何?
本来言わなければならないのは、「人権を侵害せずに扱え」でしょ。
そういう言い方をしてれば、さすがのバカサヨどもも、自分がキモオタの人権を侵害していること、ブーメランが返ってくることぐらいすぐわかると思うよ。
セクシー田中さんの両社の報告書を流し読みしたが、日テレ側に書いてあった故・芦原先生に関する行動や心境の記述が、小学館側では何故か触れられていない。
具体的には以下。
7 話のプロットのラリー中の同月 16 日に、本件原作者から A 氏に対し、ベリーダンスのショー観覧の誘いがあり、本件原作者、C 氏、A 氏、F 氏が同席した。本件原作者と A 氏はここで初めて会ったものである
本件原作者は本件脚本家の 1 回目の投稿があった直後の 2023 年 12 月 25 日に関係者と食事をした。食事の際、本件原作者は以下の内容を関係者に話した。
・ A 氏は最初から本件ドラマについて改変ありきで進めていたのではないか疑問に思う。
・ 1 話から 8 話までは自分が大変な思いをして修正したものであるのに本件脚本家の手柄にされており、自分が脚本として作った 9,10 話が駄作と言われているのが許せない。
(中略)
関係者は、本件原作者他とグループ LINE をしていたが、本件原作者の投稿後、本件原作者から「こんな騒ぎにしてしまって申し訳ありません」というメッセージが来た。
関係者が「謝ることはないですよ、言いたいことがやっと言えてよかったですね」というメッセ―ジを送ったところ、本件原作者は「ありがとうございます。」とメッセージを残した。
これらは先生の心理を紐解くヒントになる重要な出来事であるにもかかわらず、日テレ側では調査できているのに小学館側が載せていないこと自体が、何らかの意図があると感じる。
先生からの制作サイドへのベリーダンスへのお誘いは、先生からの唯一の歩み寄りだったはず。同行した小学館関係者は、この時の先生の心理を説明できるはずでは?
また小学館側は1~8話の制作過程は詳細に記載しているが、9話、10話に関しては、先生が執筆することに決定後、それに関する記述はほとんど無くなる(クレジット問題を除き)
原作者が書いたからそこには何も問題が生じていなかったというスタンスだろうか。上記の関係者の内容やブログを見る限り、執筆した為に生じた苦悩があったことは明白であると思う。
全体的に、小学館側は芦原先生の代理人・代弁者という立場で仕事をしていた自覚がないようにみえる文書になっている。
芦原先生が強硬姿勢になる原因を作ったのは日テレ側の制作プロセスの問題だが、原作者と日テレ側が直接やり取りしない体制に合意した以上、それを制御できる立場にあったのはパイプ役の日テレ側の窓口・編集者だけだった。
にもかかわらず、強硬姿勢になるまでの間に小学館側が何らかの具体的なアクションを取ったり、先生の苦悩を慮る配慮をしていた様子が見られない。または報告書の中からカットされている。
日テレ側が負担や問題を押し付けてた結果生じた事件であるということを強調したいが為か、恣意的な、ドキュメンタリー感ある報告書になっているように感じる。
あとついでに。
(2) クレジットについて
本件ドラマの第 9 話、第 10 話の脚本を書いたのは芦原氏であり、その著作者は芦原氏であるから、芦原氏が単独のクレジット表記を求めることはおかしなことではない。
この主張はヤバくないか?
関わっていないと断定して外部の人間のクレジットは外せという要求は、明らかに著作権の範囲を超えた越権的行為だ。
スペシャルサンクスに書かれてる人間全員何もしてないだろ!消せ!とか言ってる人間いたら、どの立場でも顰蹙買うだろう。
(補足:前提として、制作サイドが提案したクレジット案を原作サイドが全て拒絶して9話に脚本家はどの役職でもクレジットされなかった。10話はオールクレジットという手段で認可された。小学館側はこれを妥当とする主張)
・クレジットとは本来敬意を示す箇所であり、直接携わっていなくても表記するケースは慣例として幾らでもある
・脚本家は9話は第5稿、10話は第4稿まで提出していて、その中のアイディアが決定稿に使われていると主張している
・日テレ側は脚本家が9話と10話に関わったことを認めていて、脚本家の名前をクレジットするつもりだった
・氏名公表権の観点から、(利害を人質に)他者のクレジットを消させる行為は、違法である可能性がある
これらのことを考慮せずに、制作側ではなく、取引先でしかない小学館が、一方的に判断してクレジットに口を挟むことを是とすることが強い違和感がある。
小学館はクリエイターファーストの精神であるのであれば、クリエイターの尊厳を軽視するようなことを主張すべきではないだろう。
政治の汚職って、本当に終わりがないよね。毎回どこかの政治家がバレて、ちょっと謝って、結局何も変わらない。この腐ったサイクルをどうにかしないといけないわけだけど、じゃあ具体的にどうするかって話だよね。
まずさ、政治家の収入を完全に透明化することが大事だよね。あいつらは何かと「秘密だ」「プライバシーだ」とか言って隠そうとするけど、そんなの許されるわけないだろ。政治家になった時点で、プライバシーの一部を捨てる覚悟を持てって話。収入や支出をすべて公開させて、国民がチェックできるようにするべきだよ。これで、どこからお金が来てるのか、どこに使ってるのか一目瞭然。もちろん、抜け道がないように、第三者機関が徹底的に監視するのも必須だね。「何年後に公開する」とかは、逃げだね。
次に、企業や団体からの献金を完全に禁止すること。これが一番の問題だよ。政治家は企業や団体からお金をもらって、その見返りに有利な政策を取る。こんなことが許されるわけがない。全ての献金は個人からのみ、しかも上限を設けて厳格に管理する。そうすれば、少なくとも金で政策を買うようなことは減るだろう。あ、もちろん、名前を変えて複数回献金するなんていうインチキを防ぐために、しっかりとした監視体制も必要だ。
さらに、政治家が辞めた後の天下りも禁止するべき。これもまた、汚職の温床だよね。政治家が企業に有利な政策を取って、その後にその企業に高額報酬で雇われるなんて、誰が見てもおかしいって分かるだろ。政治家は、辞めた後も公務員としての倫理を持ち続けるべきだし、少なくとも一定期間は民間企業に関わらないようにするべきだ。
「それじゃあ政治家のモチベーションが下がる」とか言い出すやつらもいるだろうけどね。そんなの、まともな政治をするためのモチベーションが金だった時点で、その政治家は辞めるべきだよ。政治は国民のためにあるもので、金のためにやるもんじゃない。
結局、本来あるべき政治資金規制法の改正ってのは、政治家が国民のために働くことを前提に、徹底的に透明化と監視を強化することなんだよ。どんなに言い訳を並べたところで、汚職が許される余地を残すのは全く意味がない。政治家も、国民も、真面目にこの問題に向き合わないと、未来はないよね。
君はさあ
これのみを『ぬいペニ』だと定義してるフシがあるけど、実際には『(恋愛感情にしろ性欲にしろ)ないフリを続けた上で急に(恋愛感情にしろ性欲にしろ)出す』が『ぬいペニ』扱いされているから。
同棲してる恋人のことを「同居人」とか言ってぼかしたりするけど、その言葉の使い方をする意図がわからなすぎて、気になり始めたら止まらなくなった。
で、ぐるぐる考えてそこそこすっきりしたので残しておく。
最終的には「なぜ同居人を使うのか」ではなく「なぜ引っかかっているのか」という自分の感情掘り下げですっきりしちゃったので、結局「同居人」という言葉を使うこと自体はどうでもよかったのかもしれない。
モヤモヤしない例でいうと、会社で「同居人が怪我をしたので病院に連れていきます(だから遅刻します)」みたいな文脈だったら、遅刻する理由は説明しないといけないけどプライベートに踏み込んだ話はしたくない、TPO的にするべきじゃないと思っての「同居人」チョイスはわかる。その同居人は友達かもしれないし恋人かもしれないし事実婚関係かもしれない。でもこの文脈でわざわざ関係性を明かす必要はないし(どちらかといえば同居しているという事実のほうが重要)、聞いてる方もそこまで説明してとは思わない。
逆にモヤモヤする例は普通にプライベートの雑談とかで自ら「同居人が〜」って言われるor書かれるとき。「なんでその言葉のチョイスにしたの?」ってなる。
しかも大抵そういうときって「同居人」である必要がない。「友達」「恋人」「知り合い」でも通じる。なんなら「友人」「恋人」「友達の友達」とかはっきりしてくれたほうがスッと頭に入ったりする。そこでわざわざ「同居している」という状況説明を付け加える意味とは。
結論として、私は「同居人」という言葉を変な意味を付け加えてしまっていたのだった。
私の中で「同居人」は「相手との関係性を表す言葉カテゴリ」じゃなくて「状況を表す言葉カテゴリ」であると変に捉えていた。さらに「同棲している恋人のことをぼかしたいときに使われる通称用語として新たな意味を持った一般名詞化しつつある謎用語」みたいな感じになっていた。って考えに至ったらわりとスッキリしたのでモヤモヤが供養された。
前者は、「同居人」は「「誰か」と同居している」というのを名詞化したものであり、概念であり個人を指してないだろ!という感覚だった。「人」って付いてるのにね。
後者は一般名詞を一般名詞でぼかす不思議さを感じていた。性行為のことを「仲良し」ってぼかす謎文化(?)あるけど、あれに近い感覚。
辞書によると「一緒に住んでいる家族以外の人」が同居人ってことらしいので、文字通りで「相手との関係性を表す言葉カテゴリ」が本来正しい。友達とか恋人と同列で語れる言葉。ラベルみたいなもの。そりゃそう。カテゴリが一緒だけど、レイヤーは違う感じかな。
もちろん辞書的な意味はわかってはいたけど、私の実体験として「同居人」が実態として同棲している恋人であることがほとんどであったから、バイアス(?)のようなものがかかっていて、色々ごちゃごちゃになっていたのだと思う。
だから「同居人」という言葉で説明されるとなんとなく全体がモヤがかっている文章に思えて、本質が掴めないような気がしてた。本当に「同居人」としか言いようがない関係の人もいるだろうけど。
「ぼかす」意味で利用している人も、「一般名詞を一般名詞でぼかしている」のではなくて「レイヤーをあげてぼかしている」なんだとやっと気づけた。そしてレイヤーをあげてぼかしている理由は私にとってどうでもよかった。千差万別だろうし。
なんだか文章にしてみると当たり前過ぎてなんでそんなモヤモヤしてたんだという気はするけど、これで明日から「同居人」と聞いてもモヤモヤしなくなるのは嬉しい。
画面にやたらと出てくるウザい広告にウンザしないやつは少ない。
ネットを見ていれば、どこに行っても追いかけてくるあのバナー広告、うっとうしい。
第一に、Web広告は「ユーザーに価値を提供するべき」だ。見たことある?価値を提供する広告なんて。
広告ってのは、基本的にユーザーにとっては邪魔者。だからこそ、少しでも役に立つ情報を提供しなきゃならない、本当はね。でも現実は、欲しくもないものを無理やり売りつけるような広告ばかり。誰がそんなの見たいと思うのか。
美しく、さりげなく、邪魔にならないように配置することが大切なはずだ。
現実は、ページをスクロールするたびに目に飛び込んでくるド派手なバナー。特に動くな!追いかけてくるな。
これは、嫌がらせとしか言いようがない。少しはユーザーの気持ちを考えたデザインにしろよ。
広告がないと無料でコンテンツを提供できないんだって話があるのは分かる。広告収入は重要だ。
だが、そのためにユーザー体験を犠牲にしていいわけじゃない。広告がユーザーの邪魔をするんじゃなくて、自然に溶け込むように設計する。それができないなら、広告の在り方そのものを見直す必要がある。
そして、ターゲティングの問題。適切なユーザーに適切な広告を見せるのが理想だが、現実は?
一度でも関連するキーワードを検索したら、その後何度も同じ広告が出てくる。しかも、買った後も追いかけてくる。お前、俺がもう買ったの忘れたのか?何個買えば満足なんだ?こんな無駄な追跡広告、誰も望んでない。
でも過剰な追跡はプライバシー侵害だし、ユーザーを不快にさせるだけだ。もっとユーザーの行動を尊重した、適度なパーソナライズが必要だろう。
結局のところ、Web広告は「ユーザーのために存在するべき」、これに尽きる。ユーザーの体験を損なうことなく、価値を提供し、自然に溶け込むような広告。それが本来の在り方だ。広告主もプラットフォームも、そのことを忘れかけてる。ユーザーの信頼を得るためには、まずユーザーの視点に立つことが大切だってことを。
簡単に言えば、「男は決してぬいぐるみなんかじゃない。全員ペニスを持っている」ことを女性は忘れるべきじゃないんだ。
男から見ればぬいぐるみの男なんていないのに、勝手に女がペニスをないものとして男を扱ってるだけに見える。
人畜無害な男なんていないんだよ。
別の言い方をすれば、「ペニスがないと思った女が悪い」とも言える。
もちろん「ペニスがないかのように振る舞ってる男が悪い」とも言えるが、これはそうしないと怖がられるから隠してるだけ。
「メメント・ペニ」
だ。
「ペニスを忘れるな」
「男にペニスがあることを忘れずに接しよう」
女性のみなさんはこれを胸に生きていってほしい。
さああなたもご一緒に。
「メメント・ペニ!」
政治の汚職って、本当に終わりがないよね。毎回どこかの政治家がバレて、ちょっと謝って、結局何も変わらない。この腐ったサイクルをどうにかしないといけないわけだけど、じゃあ具体的にどうするかって話だよね。
まずさ、政治家の収入を完全に透明化することが大事だよね。あいつらは何かと「秘密だ」「プライバシーだ」とか言って隠そうとするけど、そんなの許されるわけないだろ。政治家になった時点で、プライバシーの一部を捨てる覚悟を持てって話。収入や支出をすべて公開させて、国民がチェックできるようにするべきだよ。これで、どこからお金が来てるのか、どこに使ってるのか一目瞭然。もちろん、抜け道がないように、第三者機関が徹底的に監視するのも必須だね。「何年後に公開する」とかは、逃げだね。
次に、企業や団体からの献金を完全に禁止すること。これが一番の問題だよ。政治家は企業や団体からお金をもらって、その見返りに有利な政策を取る。こんなことが許されるわけがない。全ての献金は個人からのみ、しかも上限を設けて厳格に管理する。そうすれば、少なくとも金で政策を買うようなことは減るだろう。あ、もちろん、名前を変えて複数回献金するなんていうインチキを防ぐために、しっかりとした監視体制も必要だ。
さらに、政治家が辞めた後の天下りも禁止するべき。これもまた、汚職の温床だよね。政治家が企業に有利な政策を取って、その後にその企業に高額報酬で雇われるなんて、誰が見てもおかしいって分かるだろ。政治家は、辞めた後も公務員としての倫理を持ち続けるべきだし、少なくとも一定期間は民間企業に関わらないようにするべきだ。
「それじゃあ政治家のモチベーションが下がる」とか言い出すやつらもいるだろうけどね。そんなの、まともな政治をするためのモチベーションが金だった時点で、その政治家は辞めるべきだよ。政治は国民のためにあるもので、金のためにやるもんじゃない。
結局、本来あるべき政治資金規制法の改正ってのは、政治家が国民のために働くことを前提に、徹底的に透明化と監視を強化することなんだよ。どんなに言い訳を並べたところで、汚職が許される余地を残すのは全く意味がない。政治家も、国民も、真面目にこの問題に向き合わないと、未来はないよね。
なんだか忙しくなりそうなこの時期の開始。
私もそろそろまた借り出されそうな季節。
私が前いた会社は同じフロアにあって私は自分の所でやってんだけど、
この時期からまた忙しくなりそうで隣が。
それで借り出されそうなのよ猫のように。
そう言っている間に
持って帰ったばかりの3本の矢先に
また再び持ってくる羽目羽目になっちゃったのよ。
極寒!
なのでこないだはその寒さゆえ努々しく私は早期に事務所からあとにしたの。
そんでまだ16時台だったから
ルービーでも決めて帰りましょう!ってなって
さっきまで寒くあった極まった寒さだったのに
ルービーと聞くや否やさっきの極まった寒さの極寒の中にいたくせにどうしたの?って我ながらルービーを飲みながらそう思ったわ。
だって、
外に出れば外気温は通常の温度を保った極めて極まったこの季節にふさわしい常温。
なので、
しばらく歩いていれば、
身体の中も極まった寒さで芯まで冷えていたけれど案外すぐに戻んのよ。
おかげでルービー美味しくいただいてーって感じよ。
それでまだご機嫌さんだったから
さっきの寒さもすっかり忘れて現金ね!なんて
そのルービーのお支払いはアイディーだったけど、
いつか一昨日かに行ったコンビニで新聞買おうと思って行ったらネット決済使えません!って
もうこのご時世なんかそんなピンチが訪れるとは思わなくて
現金持っててよかったーって鳴ったのよね。
それぐらいもう現金なほど気持ちはルービーにジョッキを傾けていたのよ。
世の中のすべてのさ、
言葉としてあいつは現金なやつだ!って言う意味も無くなっちゃったり変わっちゃったりするかも知れないわよね。
こんなに便利な世の中になったのに
本来の意味を見失ってしまってからが国語の進化の本領発揮というところかしら?
そんな現金なやつね!って
私が極まった寒さの中で外に出た途端に冷たいルービーを決めたい現金なやつだ!って言う言い回しはどういう新しい通貨が出回った時に言うのかしら?
その人たちにその言葉が残り続けていて
本来「現金」って意味も分からず言葉があるからそういったことを言っている意味合いの雰囲気で使うような感じで使われるかも知れないわね。
まあそんなわけで、
取り急ぎ「現金」って言葉が辞書から無くなってしまいはしないだろうけれど
なくなった際には
辞書を作った人に現金だなぁって言いたいわけなのよってのを今から準備したいところだわ。
私の今回のこの教訓としては
これで極まった寒さの極寒のエアコンの空調の風の谷のナウシカみたいに、
腐海の森も私は平気よ!ってマスクを取ってポーズを取るシーンを真似るように
ほら私も寒くない!って言うか言わないかはその時次第だけど、
一応はそう言うことも考えておいても悪くはないわね!ってそう思ったのよね。
対策は万全に
いつも少量の小銭の現金は持ち合わせていた方がいいかもしれないわね!って
私は現金なやつに!って
たまに使えなくなるIT化社会のネット決済が不通になったときに備えなければって思ったわ。
だから穴の空いた小銭は
うふふ。
豆乳のみね。
最近これ飲んどけばいい!って思っているわけでは無いけれど
今回はもうたくさん冷蔵庫に入れて冷やしているので
ストックを気を付けないとね!
そんな勢いでゴクゴク飲む朝の爽快レモン炭酸ウォーラーでご機嫌よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
うーん、のび太くん、それについても考えてみるね。確かに、時代が変わると価値観も変わることがあるよね。でも、不倫が少子化解決のために許容されるっていう考え方は、ちょっと問題があるんだ。
まず、不倫が増えたからといって、子どもが増えるわけじゃないよね。不倫は信頼を裏切る行為だから、人間関係が壊れやすくなる。家庭が安定しないと、子どもを育てる環境も不安定になっちゃう。子どもが安心して育つためには、安定した家庭環境が必要なんだよ。
それに、結婚している人が不倫をすることで、本来の家庭に対する責任が疎かになる。これは、子どもを持つことや育てることに対しても悪影響を与えるんだ。親が不倫をしていると、子どももそれを見て不安になるし、家庭の中での安心感が失われる。
さらに、不倫が許容されるとしたら、社会全体の信頼関係も揺らいでしまう。社会の基本は、お互いを信頼し合って協力することだからね。不倫が当たり前になると、人々の信頼が薄れてしまい、結果的に社会全体が不安定になってしまうんだ。
だから、少子化の解決策として不倫を許容するのは、根本的な解決にならないんだ。むしろ、家庭やパートナーシップを大切にすることで、安定した環境を作り、子どもを安心して育てることが大切なんだよ。
東京都港区長選は2日投開票の結果、無所属新人の元港区議清家愛氏(49)が、自民、公明両党が推薦した無所属現職の武井雅昭氏(71)ら2人を破り、初当選した。投票率は30.62%。
清家氏は区議として13年間、子育て支援などに取り組んだ実績を強調し支持を広げた。品川区の森沢恭子区長らの応援を受けた。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC023CX0S4A600C2000000/
清家の公約
①都市経営ビジョン「港区基本構想」が本来10年ごとに更新されるのに22年放置されているので更新する
②高層住宅が増えたが防災計画が未更新なので、被災時にタワマンからも避難しやすくするなど対策する
④区長の退職金が多すぎるので減らす、長期就任は癒着を産むので3期12年までにする
清家の思想、実績
・同性婚支持
・コロナ禍で親が感染した際に保育士が子供の世話をするサービス実施
https://ameblo.jp/aizeye/entry-12455543831.html
だが意外なことに、バリバリ右翼の橋本琴絵が応援していたりする
橋本琴絵は極右だが子供が障害児なので、障害児支援に消極的な前区長アンチで清家支持に傾いた
橋本琴絵
@HashimotoKotoe
私、今の港区に障害者差別をされたので区長は変わるべきだと思うんですよ。私、障害児を育てているんです。ウイルス感染で聴覚ほぼ喪失して。で区立小(支援学級)に決まったのに職員が「橋本琴絵の子は港区で学ばせない」と就学決定書を偽造して区外学校に飛ばそうとした。阻止しましたが最悪でしょ。
https://x.com/HashimotoKotoe/status/1796160328624906716
「常に、母親たちの代表であるという意識で活動している方です。 現場の声を集め、保育園の待機児童ゼロや医療的ケア児も入れる保育園の整備などに尽力。親が新型コロナに感染したときに、 区が借り上げたホテルで保育士が24時間常駐し子どもの面倒をみてくれる体制整備も、全国に先駆けて実現しました」
https://www.25ans.jp/lifestyle/charity/a35655799/womensday-210303-vc/
本日(2月14日)行われた港区議会の本会議で、パートナーシップ認証制度の早期導入を訴える私たちの会派の清家あい幹事長
https://www.huffingtonpost.jp/entry/toshinari-yokoo0214_jp_5c64eb97e4b0233af9716127
大学で国際政治を学び、バックパック一つで世界中を旅してまわり、
思うことは、国は、国益を重視し、強くあってほしい。
女性が、子供を産んでも、当たり前のように無理なく働き続けられる社会に。
社会経済構造が変わり、女性の労働力が必要となって、やっと「子育てしながら働ける」環境づくりが動き始めました。
でも、それだけでは、男性並みの重労働、女性にばかりかかる育児と家事負担で、みんな潰れてしまいそう。子どもたちから、親と過ごす時間も奪われるばかり。若い世代が、出産をためらうことで、国の少子化は進み、超高齢化社会を、この先どうやって支えていけばいいのか。
働き方、意識改革、制度改革、たくさんの課題を解決していくためには、意思決定の場に、もっと女性の力が必要です。根本的な発想が変われば、イノベーションが生まれてきます。経済成長もそこからです。
本来であるとお前みたいな男は採用の余地がないが、クソガキとババアが人工知能を使った社会にしようとしていて悪質だから比較衡量論によりお前を甚勝にさせた方が勝れると
判断されたからお前が勝っているんだろ。そして、 令和5年8月15日に木元が出てきた時に、ペガサスから田辺が出て来るより木元が出てきた方が可愛いという説明をしていなかったから
https://togetter.com/li/2376510
転売価格じゃなくて、本来の価格を定価としてるところがまず経済に明ることない
需要が供給を大きく上回らないと転売は成立しないし、そういう商品は完全に転売を禁止したら手に入る可能性が低くなるだけ
転売の否定は、大体定価で買えないものを定価で欲しいというわがままでしかない
たまにノーブラで出かけてる。胸が大きいうえに主張の強い乳首をしているので、かなりくっきり浮き出ていて一目でノーブラとわかる感じ。
街行く人の視線はときたま感じる。一度すれ違った男性がもう一度すれ違いに来たこともあるし、若い女性たちにじろじろ見られてヒソヒソ話をされたこともある。
男性はともかく、女性から見たら多少不快だろうなー、と思う。最近、YouTubeのノーブラ散歩が炎上しているのを見て、収益を得ていないだけで私もやっていることは変わらないなと思った。
上裸でうろついてるわけじゃないけど、本来なら隠すべきものを隠していないのはなんかの条例に違反してしまったりするんだろうかと少し不安になったりもする。
まあ、チクポチおじさんが許されて私が許されない道理はないだろうと自分に言い聞かせてこの行為を正当化しているのだけど。
ちなみにこれは夫の趣味で、私から進んでやってるわけではない。
最初こそ恥ずかしかったけども、もうすっかり慣れてしまい今や特に羞恥もなくなった。(夫には恥ずかしがっている素振りを見せているけど……)
もっと具体的に言えば、統計を「平均」のことだと思い込んで、「分散」を考慮に入れて議論することができないから。
個々のデータと平均値の差の2乗の平均のこと。分散が大きいとデータのバラツキが大きい。
分散の平方根を「標準偏差」という。平均値を50とし、標準偏差を10とするようにスケールし直したデータをおなじみ「偏差値」と呼ぶ。
分布が正規分布に近い場合、凡そ68%が偏差値40〜60の間に収まる。また95%が30〜70の間に収まる。
もともとの日本の「一億総中流」のような、多様性を否定する信仰がさらに「平均以外に意味はない」というバイアスを強めている可能性がある。
日本人にはもともと「普通」を定義しその中に収まるという強い欲求があるために、たとえ義務教育で統計の基礎を学んでいても、その中から「平均」という普通の定義だけを学び、「分散」という多様性の定義を学ばない心理的取捨選択があるということだ。
増田自身、男女の能力差に関して「統計的に考えろ」とここに書いたら、「女は男より(平均で)下だと統計が言ってるんだ」と騒ぐやつばかりで話にならなかったことがある。
統計的に言えば、「普通」と言うのは、例えば偏差値40〜60のように平均以上以下に幅を持って定義しなければ意味がない。平均の周囲どれだけに何%が収まるのかという分散の発想なしに「普通」は本来定義できない。
「生活保護基準」と「相対的貧困ライン」は、それぞれ別の定義で、別の目的で作られた概念だが、結局は同じ層だよねってなることが学術的に知られている。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853651279758080
相対的貧困ラインは「可処分所得(手取り)」が中央値の半分を下回る水準であり、これは収入格差が大きいほど当然拡大する。
欧州などは10%程度に抑えられているが、日本のように16%もの相対的貧困層がいる場合、「生活保護の本当に必要な人」は1000万人〜2000万人は見積もる必要があると統計を理解していれば必ずわかるのだ。
アフォーマティブアクションをやりたがる奴らは、「本来は政治家が男女同数になるはずなのに性差別のせいで立候補を諦める女性が多いから女性の政治家が少ないんだ」みたいなことにして、だからアフォーマティブアクションが必要なんだと主張する。
ドラマ「セクシー田中さん」社内特別調査チームの調査結果について
https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/20240531.html
読んでみた。
企画書には、企画意図、企画ポイント(①自分を縛る“呪縛”から解放された時の
カタルシス、②真反対なふたりの女の友情がスゴい!、③9笑って、1グッとくるド
そもそも企画書の段階で、原作の重要なポイント(社会問題や格差)などを全外ししていてまったく読み込めていないことがあきらかで、テンプレをなぞった軽いラブコメにしようという意図が見え見え。こんな失敗臭しかしない企画書は速攻でゴミ箱にぶち込んで焼却するのが正解だが、この企画書を送られてきた小学館が取った対応は以下。
本件ドラマ化について日本テレビ A 氏が小学館に問い合わせ。
A 氏、小学館へ企画書を送付する。翌 2 日小学館 C 氏から返信。
A 氏、B 氏と小学館 C 氏、D 氏が小学館にて面会。原作はまだ完結していないがコ
ミック 6 巻発刊(当時)で、そろそろドラマ化可能と言われ好感触。小学館から他
局へのバラシ(断り)の期間待ってほしい旨、日テレ側に述べ C 氏、D 氏から本件
原作者は「難しい人」(原作へのこだわりが強い人)である旨伝えられる。A 氏、B
氏が原作を大切にする旨答える。
上記のクソみたいな企画書みた段階で制作に「原作者は難しい人」と告げるのは、原作者がこの企画では納得しないだろうことが分かってて映像化の話すすめてんだろ。
本来なら、原作者に変わって「この程度の理解しかできない人間にこの原作はまかせられない」と突っぱねないといけない立場の人間が、むしろテレビ側の制作者と結託して「原作者は難いひとなんで気をつけてください」なんて言ってるからこんな悲劇が起きる。
『原作はまだ完結していないがコミック 6 巻発刊(当時)で、そろそろドラマ化可能と言われ好感触』
この辺も、小学館が金につられて原作者ないがしろにしている香りがプンプンする。
なんでお前らがドラマ化可能かどうかを判断して制作に伝えるんだよ。