はてなキーワード: 性的マイノリティとは
クィアベイティングは同性愛者やバイセクシャルでない人がそのように振る舞う事を批判してる
逆に言えば同性愛者やバイセクシャルの嗜好がある人間の場合はどう振る舞ってもクィアベイティングにはならないと言う事になる
そこで思うのが同性愛の嗜好を持つ事ってそんなに程遠いものなのかという事だ
例えば同性の人間やキャラクターで自慰行為をすれば同性愛の嗜好になるか?
自慰行為するだけでは駄目で性行為を経験しないとそのような嗜好があるとは言えないのなら
性行為を経験してない人間は皆が無性愛者という事になるだろう…それはおかしい
自慰行為の回数によるのか。それとも特定の人間・キャラクターでのみ自慰行為をするだけでは駄目なのか
一人の人間にしか性的興奮を得た事のない人間を無性愛者にしていいのか?
性欲に基づく物だけでは駄目で愛情も無ければいけないのならば肉体関係だけ求める人達は無性愛者にならないか?
色々考えるとやっぱり同性で自慰行為をするだけでも同性愛の嗜好があると考えてもいいように思う
同性愛者やバイセクシャルに振る舞う人を安易にクィアベイティング扱いしてもいいのか気になって仕方ない
オナニーした程度の同性愛の嗜好しか無い人がそれ以上の嗜好を持っているように振る舞う事が駄目なのか?
その程度の振る舞い程度まで批判していくと多数の性的マイノリティの人間の行動を制限していくようになるんだがそれでいいと思っているのか?
結局はすべての議論が人が同性愛の嗜好を「中途半端に」持つ事を考慮してないから起きる気がする
https://anond.hatelabo.jp/20231212212651
胸が痛い。
でもこういう人が確実に存在していて日々苦しんでるのは想像に難くない。
最近ネットのそこかしこで「弱者男性」がおもちゃにされてるのを見る。
ある時は仮想敵として
このワードがいくらでも叩ける便利なサンドバッグみたいになっている。
それなのに、社会問題で発言力のある人たちも、「すべての差別やヘイトに反対」と表明してきた人たちも、新聞などのマスメディアも、誰もこの状況を止めようとしない。
女性や性的マイノリティや人種が標的だったら絶対に声が上がるし問題視される。
メディアで取り上げられて「こういうことはやめよう」と呼びかけられる。
なぜ?
そこで遅まきながら
「ああ、これが男性差別なんだ」
ってわかった。
恥ずかしながら「本当にあるんだ」と思った。
明らかに攻撃に晒されている弱者がいるのに誰も助けない、味方しない。
まるで身分が固定されているかのように庇護の対象と見做されていない。
私たちの社会は穢多非人のいた時代に巻き戻ってしまったのだろうか。
人権や平等意識のアップデートを繰り返して進歩してきたと思ったのに、実は一歩も進んでなかったのだろうか。
とても恥ずかしく、情けないことだと思う。
弱者男性をリアルで救うのは政治や行政にやってもらうしかない。
せめて私たちはネット上のこの差別にはっきりノーと言いませんか?
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トランスジェンダー(他いろいろの性的マイノリティ)の味方になりたいアライさんとGC側の果てしない論争が目を引いたからだ
毎回議論が脱線していき、論破合戦になるばかりで肝心のトランスジェンダーは置いてきぼりの状況が悲劇的だ
なんとなく自分の考えがまとまってきたのでまとめておく
文献を引いてくる気はないし単語とかいろいろ間違ってるんだろうけど当事者たちも全然その辺統一感が無いので気にしない
これは自分がトランスジェンダー関連をこう思って過ごそうと思っているというまとめである
あの界隈は本当にややこしいのだが、性同一性障害と言われている疾患とトランスジェンダーがまず違うらしい
性同一性障害は数百万人に一人の頻度で発生し、幼少期から自分の体の性別に強い違和感をもって生きていく疾患である
その違和感を改善するために適合手術という外科的手術があり、見た目を変え、違和感の根源である生殖器を取り去ることで苦痛を和らげようとする
この手術がめちゃくちゃ体の負担になるのは容易に想像できるし、外科手術だけでなくホルモン投与なども行わなければならない
そこまでしても実際に異性になれるわけではないのでもともと男として生まれた人は妊娠出産はできないし、女として生まれた人は精子を作れるわけではない
それでも手術をしてよかった、見た目が異性らしく見え、生殖器を取り去ることで、周りからも異性として扱われやすくなるし、自分自身がもともとの性別から変われたと思えて楽になった、という人はいると思う
どれくらいいるのかはわからない
もともとが数百万人に一人だし、そこから実際に手術する人は一部だろうし、そこから長きにわたって後悔せずに生きていける人はさらに一部だろう
手術なんてしなければよかった、しても意味がなかった、多少は意味があっても苦痛のほうが大きかった、という人も絶対にいるし、手術をした人の中でどちらのほうが多いのかはわからない
性同一性障害の治療の一環としての外科手術はいまだに試行錯誤されている段階であって、決定的な治療ではない
五十年後に同じことをしているかというとしていないだろう
今できる精一杯としてこの不完全な処置をしているに過ぎないし、それが今できる最善なのかもわからない、それでもやる人はいる
特例法はそうまでして体を変えた人が特例として戸籍を変えて生まれた時と違う性別で生きていくことを容認する法律だが成立して何年もたっているので現状とはずれてきている
現状のずれとは何か?
もともとこれは性同一性障害の患者用の特例だったが、そうではない人々も戸籍の変更を強く求めるようになったことである
性同一性障害ではないのに戸籍の変更を求める人々、それはトランスジェンダーである(と私は理解している)
トランスジェンダーという概念は性同一性障害を含んでいるが、もっと広義なものであるらしい
本来の性同一性障害であれば幼少期から違和感があるはずだが、幼少期には特に違和感がなかった人が人生の途中から違和感を感じ始めることがままある
幼少期から違和感があった人のなかにも性同一性障害ではない人もいる
ここが本当にややこしい
色々見てみても、言葉遊びみたいなのになっててわかろうとすればするほど難しかった
今の私の理解としては、性同一性障害ではないトランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人のこと
女の体でも男だと思っているし、逆もまたしかり
だから外科手術をしたりホルモン投与をするしないに関わらず自分は男ではない(女ではない)と思っているし、必ずしもそれらの医学的補助を必要としない
そして、これは全員ではないかもしれないが自分だけではなく周囲からも自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいる
その一環として自分の望む性別に戸籍を変えたいというのは、自然な流れである
性同一性障害だけではなくトランスジェンダーに対しても戸籍変更を認めるか否かが問われていて、おそらく流れとしては認めるべきであるという方向に進もうとしている
で、ここで議論になるのがトランスジェンダーという存在が社会の中で存在感を増すということは必然的に性別によってわけられていたことが意味をなくしていくということについてである
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性別によってわけられていたことが意味をなくしていく話をする前に改めてトランスジェンダーについて話す
トランスジェンダーは幼少期からずっと違和感を抱えている性同一性障害とは異なる
疾患ではないとする動きもあるらしいが、それは非常に納得できる感覚で、トランスジェンダーとは疾患ではなくライフスタイルに近いと考えると私としては非常にすっきりする
そういう風にしか生きていけないの人たちもいるのだからライフスタイルと一緒にするなと言われるのは間違いないが、トランスジェンダーの定義自体がどんどん変わっていっているのでどうしようもない
ライフスタイルだと思うのはデトランスする人たちがそれなりにいるからということと高齢になってから突然トランスする人たちが一定数いるからだ
自分の体の性別についての違和感が不可逆的なものなのかどうか、というのは大切なポイントだと思う
ここでベジタリアンのたとえを使うけど、ベジタリアンとして一生生きていくひとと、途中でやめる人、両方いる
もしベジタリアンとして生きていくと宣言して社会的にもベジタリアンと認識され、以後一切肉も魚も食べられません、これはあなたが決めたことです、途中で気が変わったといっても無理です、と言われたら困る人は沢山いるだろうな
そしてその人が一生ベジタリアンとして生きるかどうかは寿命が来て死んでしまうまでわからない
いまトランスジェンダーが異性として生きていく、一生そのままだ、と思っていてもそうなるかどうかはわからない
実際高齢になってからトランスする人がいるのだから、いま三十代でそう思っていても六十代になると変わるかもしれない
トランスジェンダーというライフスタイルが定着すれば必然的に性別というのは可逆的なものになる
いまそういう概念があるのかわからないが、不可逆的トランスジェンダーと可逆的トランスジェンダーがあるんじゃないのかなと思っている
実際どういう扱いなんだろうな
トランスジェンダーだと思っていたけれどそうではないみたいです、という人たちは確実にいるわけだが、アライさんはトランスジェンダーだった場合を考えてその人が最大限トランスジェンダーとしての生活を送れるように推奨していると思われる
不可逆的トランスジェンダーにとっては歓迎すべき対応だろうけど、可逆的トランスジェンダーは後悔する可能性が高い
GC側は可逆的である可能性を憂慮しているし、アライさんは不可逆である可能性を重く見ている
特に今は思春期の子供たちが話題になることが多いが、当然両方の子供たちがいるし、一方にとって良いことは一方にとっては悪い
唯一にして絶対の正解はない
正解はないのに正解だけを求めようとするとそこからこぼれていく人がいる
置いてきぼりにされる当事者たちの出来上がりだ
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さて、そのような可逆的不可逆的が入り混じったトランスジェンダーを社会のなかで存在を増していくとどうなるか
でも現時点で性別の差は物理的にも社会的にも大きくて、突然その概念をめちゃくちゃにするようなことをすれば社会的混乱は必然
段階的な対応が求められる
私としては性同一性障害をふくめてトランスジェンダーという存在がなくなることはないので、一緒にあるべき社会を考えていくことは絶対に必要だと思っている
ベジタリアンという存在はなくならないので一緒に生きていく社会を考えるように
ベジタリアンメニュー、肉魚を食べるか食べないかの事前確認、いちいちそれに対して感想を述べたりしないし過剰反応もしないし拒絶もしない
そういう感じのイメージ
いまトランスジェンダーが議論になりがちなのはまだ社会のほうが受け入れ態勢ができてないのに理想論優先で先走ってしまうことがままあるからだと思う
非現実的な話ばかりしているアライさんが沢山いる
それに対してびっくりしてしまう一般大衆をして理解が乏しい愚者みたいに扱っているのが非常に嘆かわしい
こういう人たちはトランスジェンダーをサポートしたいのではなくて、概念で誰かを殴るために活動しているんだろうな
なぜならそんな風に一般大衆を論破してもトランスジェンダーの理解が深まるわけじゃなくてむしろ反発を呼ぶだけだからだ
ロビー活動としては下の下、愚の骨頂
トランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人であり、「トランス女性は女性です」の言葉が象徴するように常に周囲からも自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいるので、女性スペースがあるなら女性として使用したい、それが許されないことは非常に苦痛を感じるだろうことは想像できる
だが少なくとも現時点でその望みがあるとして十全に叶えることはできない
まだその段階にない
それが性別でわけられたスペース利用についての議論のスタート地点
ではゴールはどこなのか?
これは人によって目指すものが異なるだろう
そもそも性別でわけたスペース自体なくしていまいたい人、自分の望む性別のスペースにスムーズに入れるようになりたい人、スペースの問題ではなく医学が進んで実際に身も心も異性のものに転換されることだけを望む人、ほかにもいろいろいるだろう
望むゴールが違えば話はどんどん食い違う
譲歩しているのだ、と双方が思っている
トランスジェンダー関連の話になると必ずトイレフロ問題が取りざたされるが、これについてはそれぞれの思う理想のゴールをきいてから始めたほうがいいのになと常々思っている
混浴を目指す人、身体的な区別を目指す人、ジェンダーでの区別を目指す人、それぞれ違う
いずれにしてもトランスジェンダーという存在を前提とした施設を考えていく必要はあるだろう
私自身の意見としては性別で分けられたスペースは維持されてほしいしそのうえで性別で分けないスペースの併設が望ましいと思っている
性別で分けないことを多くの人が望めば性別で分けられたスペースは縮小していくだろうが、そうでない場合は一定数残していく
その数のバランスはニーズによって考える必要があるがニーズが少なくともゼロにはしないという感覚があってほしい
以上、大体私が気になっていたことについての考えをまとめました
色々考えすぎてごちゃごちゃしていたのをまとめられてよかった
満足しました
24,488人が平和を求め 軍拡を許さない女たちの会さんのオンライン署名に賛同しました。目標賛同数25,000を一緒に目指しましょう!
岸田政権は、5年で43兆円、GDP比2%という防衛費の増額を打ち出しました。しかし、防衛費は、その詳細が明らかにされておらず、どう捻出するかも決まっていません。むしろ、この軍拡は周辺諸国の緊張を高めました。これが、私たちの国のためになるのでしょうか。
政府がこれまで掲げてきた、少子化対策や労働者の賃上げ、女性や1人親家庭、非正規労働者、性的マイノリティ、子どもなど、社会的弱者のための公的支援の政策が、マイナスの影響を受けるのは明らかです。
政府の全世代型社会保障構築会議は昨年末、改革の方向を示しましたが、働く女性の過半数を占める非正規労働者、子育て支援のための財源論は先送りされました。現状の日本の教育への公的支出は先進国で最低レベルです。大学までの教育無償化や給食費無償化は、3兆円でできると言われながらも先送りされました。これでは物価高の中、子育て世帯の負担は重くのしかかるばかりで、この国の喫緊の課題である少子化が防げません。
ところが、自民党税制調査会は、こうした課題に真剣に取り組まず、軍事費増額については、法人税、所得税、たばこ税の3税を増税して財源の一部にあてることを大筋合意しました。
子どもや女性、少子化対策をなおざりにした軍拡は、この国を衰退させ、諸外国に敵を作るだけです。軍拡の前にもっと外交努力を積み重ね、平和を模索してください。
今こそ、軍事に進む政治から脱し、生活と平和を守る「女性」目線の政治が必要です。軍需産業の育成でなく、平和のための産業や技術、人材に投資してください。女性が安心して生活し、働ける環境なしでは、男性も子どもも貧困化します。
戦後の安全保障原則の大転換が、国会審議も、総選挙や国民投票もなく、特に女性や社会的弱者の声を聞くこともなく進められています。私たちはこの歯止めのなき軍拡の決定を認めません。
私たちは、岸田文雄首相、政府・与党、野党各党の代表、連合代表に対し、
2、歯止めなき軍拡を押し進めることをやめ、そして女性や子ども、若者や社会的弱者の目線に立った政策を進めること
この2点を行うことを強く求めます。
菱山南帆子 市民運動家
駒井知会 弁護士
宮嶋みぎわ 音楽家
黒部エリ 叙述業
髙橋済 弁護士
海北由希子 自営業
出田阿生 新聞記者
丸川司文 僧侶
森祐昭 僧侶
徳正俊平 僧侶
朝岡晶子 団体職員
松元ヒロ スタンダップ・コメディアン
打越正行 社会学者
立岩陽一郎 InFact 編集長
丹羽雅代 一票で変える女たちの会
https://twitter.com/URUWA_L_O/status/1711914705080717791
またぞろ、ぺドフィリアも「クィア」や「性的マイノリティ」に入る論が出てきたが、そんなもん入るわけないだろう。
と言うと、どこかの学者がそうtweetしていたというのが根拠として毎度持ち出されるのだが、学者一人の不用意なtweet一つで社会の共通理解になるわけもあるまい。世の中を知るべきだ。
クィアがペドを含んでるってのはどっかの一学者が言ってるんじゃなくて、クィアの元祖、本家本元のゲイル・ルービンがいってるんですわ
思ったよりおもろかった
黒い悪い甲原作の翻案、オマージュってところが下地にあったけど、
性的マイノリティとかの現代ならではのオリジナリティを交えて、しっかりと独自性を出した出来になっていた
たった9巻だけど、後半は本当に目が離せない展開だった
前半の地味さに比べるといきなり昔ながらのナントカ活劇!!!っていう落差はあるけど
なんとなく小難しそうってのと医龍だとただの作画担当だったのにひとりでこんなマンガかくとか期待できねーだろと思ってたから、
想定外だったわ
メインヒーロー?ヒロイン?と主人公の造形が医龍とほぼ同じで書き分け苦手なんだなってのはあったけど
連載で追うのはだるいけど、完結して一気読みするぶんにはいい暇つぶしになった
ぶっちゃけ犯人とかのミステリ部分は甘いとは思うし、もっと短くまとまってたらもっとよかったんじゃないかと思う部分もあるけどね
同じ内容を指摘しようとしたら、既にしてくれている増田がいた。
これ、本当にひどい状況だよ。
田村議員がこれまで、どれだけ埼玉県のリベラル政策の浸透に尽力してきたか分かっているんだろうか。
欧米の、G7の、人権分野の進んだ制度、日本が遅れている分野の制度の必要性を訴えてきた。
「LGBTQ理解増進法」が議論となる中、神社本庁の関連団体が統一地方選候補者に“公約書” 受け取った議員は…【news23】
Q.一番同意できない部分を教えてください
「こういったことを、神道を司る神職の団体が送ってくること自体が、もう神道をないがしろにしてるんじゃないかな、という思いが一番強いです。特にですね、選択的夫婦別姓や、LGBTQの問題に関して、理解がすごく足りないな、というふうに感じてます。選択的夫婦別姓を求めてる方も、LGBTQの方も、日本国民なので、この人たちはを何でないがしろにできるのか、非常に私はわからない」
神道などの宗教団体が介入してくる動きを、リベラルとして食い止めようとしてきたんだよ。
アメリカでも、宗教保守が家父長的価値観でマイノリティを攻撃してくるから、民主党系のリーダーが徹底的に戦う姿勢を見せる。
まさに同じ。
アメリカでの田村さんのスタンスは、オカシオ=コルテス議員やカマラ・ハリス議員に近い。
上の記事でも言われているけど、LGBTQに関する法律がないのはG7で日本だけ。
他の人権に関わる分野では、児童を守る法律や夫婦別姓などもG7で日本だけが遅れている。
こうした動きは、地方議員にも起こっていた。埼玉県議で自民党県議団の幹事長、田村琢実議員だ。
田村議員は、かつて日本会議に所属しており、当時は保守政治を進めるためには、選択的夫婦別姓やLGBTの権利保護を推進する必要性はないと感じていたという。しかし、当事者の声を聞いたことをきっかけに、法律や制度上困っている人たちがいることを知り、勉強会を立ち上げたという。そして2022年に埼玉県議会で制定された「埼玉県性の多様性を尊重した社会づくり条例」に関わった。性的マイノリティーの人の差別を禁止する、差別禁止条例だ。
条例案制定の直前ぐらいから、条例制定の中心的人物だった田村議員に関する批判的な記事が、保守系雑誌や日本会議の機関紙に掲載されるようになったという。地元の右翼団体に街宣活動をされたほか、批判する記事のコピーが選挙区の全戸に配られたという。「『LGBTQと夫婦別姓に賛成する田村は立憲に行け』『自民党から出ていけ』といった内容でした」
誰が、どんな団体が中心となってやっているかは分からなかったという。「僕の想像ですが、(条例の主旨や夫婦別姓に)反対する団体が、お金を出していたのではないかと思います」
田村議員は、性的マイノリティー差別の問題を解決することは、これからの日本の成長にとって大切なことだという。
「戦後の経済成長期からこれまで、日本は多様性をなおざりにし、経済優先でやってきました。それが『失われた30年』、そして日本の衰退につながっています。多様性や、一人ひとりの能力を生かすことに目を向けてこなかったために、今の日本では新しい発想が生まれず、人も生かし切れていない。そこに目を向けないと、日本の発展はないと思います」
夫婦別姓、LGBT法などの欧米の制度を採り入れようと尽力してきたんだよ。
それで、今回はG7・アメリカンスタイルで、田村議員は夫婦別姓、LGBT法の流れで、欧米主要先進国の進んだ取り組みとして児童の人権を最優先で守る法律も埼玉県に根付かせようとしたわけ。
完全に逆。
宗教保守と徹底的に戦うリベラルな立場の議員が、LGBT法と同様に、G7で唯一遅れていて児童を一日中ほったらかしにしている日本の状況を改善しようとしたわけだ。
田村団長は内容について「瑕疵はなかった」と正当化した上で、登下校に防犯ブザーを持たせるなど各家庭で安全に配慮していれば放置にならず「心配の声のほとんどは虐待に当たらない」と従来と異なる見解を示した。既に条例で規定する「安全配慮義務」が果たされていれば虐待に当たらないとした。これまで説明しなかったのは「安全配慮義務は大前提で当たり前すぎた」と釈明した。改正案を再提出するかどうかは「ゼロベースで全く何も考えていない」と答えた。
そりゃそうだよ。
田村団長の考え方はG7では何ら不思議ではないんだから、その内容自体に疑問は持たないはずだよ。
はてなの皆さんも、G7で導入されている夫婦別姓やLGBT法に疑問を持つ人がいたらおかしいと思うでしょ?
欧米主要国では導入されている仕組みなのに、日本で反対の声が高まったらどう感じる?
内容は正しいけど、正しさが日本の有権者にうまく伝わっていないと考えるよね。
ところで、田村議員と敵対する保守系グループが、今回の条例案取り下げで狂喜乱舞する姿もXで見られるよ。
田村議員の「欧米由来のリベラルな政治」を止められたから喜んでいる右派がたくさんいる。
それをなんだ、なんだこの仕打ちはよ。
埼玉県民が怒った!「留守番禁止」条例案、異例の取り下げへ 何が問題だったのか:東京新聞 TOKYO Web
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/282874
田村琢実はモラロジー・親学・新しい歴史教科書をつくる会と強いつながりがある日本教育再生機構の委員。モラロジー・親学・つくる会の重鎮髙橋史朗は統一教会と強いつながりがある。
誰にどういう評価をしているのか、分かっているのかな。
埼玉県にG7の進んだ動きを取り入れる議員に保守派のレッテルを貼り、背後から撃とうとする。
田村議員の歩みを止めたら、どこのグループがほくそ笑む結果になるのか理解して言っているんだろうか。
ご自身が日頃から憎しみを抱く本当の敵に、塩を送ってしまっている方もいる。
今、田村団長を突き放すと、「○○をやっていないのはG7の中で日本だけ」という強力なエビデンスの武器も失うかもしれないんだよ。
他の見方、考え方をしてみる思考実験とでも言いましょうか、他の人の意見をきいたり調べたり別人になりきって視野とか思考を変えることで対処してますね。
言及のあった性的にマイノリティであることをセールスポイントにして人前に立っている人でいえば、同じ性的マイノリティ当事者の中には勇気づけられている人がいるかもしれない。性的マイノリティをカミングアウトされたマジョリティ側の親御さんの中には、テレビで見る性的マイノリティのコメンテーターを見て、理解の入り口に立つこともあるかもしれない。薄っぺらいと思う自分はそのままに、もしかしたらこういう有用性があるかもと考えたりしますね。
また、セールスポイントに好き好んでしてるかは当事者でないとわからないものです。LGBTQを啓蒙するために尊厳に関わる大切な指向・志向を曝け出し、身を削る思いで、まだ見ぬ仲間のためにカメラの前に立っているかもしれない、とか自分でしたら考えます。
自分の意見、感性に合わないものを差別だと自覚しながら距離をとるというのは、もちろんそうした方がいい手合いは多いですが、一方で柔軟性を失わせて視野を狭くしますので、なるべく他の視点、立場、見方をして、迎合はせずとも切り捨てはせず、受け流したいものだと日々過ごしています。
そう思いながら過ごすと快適だ。
雷は強い。
雷が強いと感じたのは24歳になり一人暮らしを初めてある程度順調に生活をしていたときだった。
ムシムシと暑い7月半ば。私の住んでる市は台風に見舞われた。ものすごい風だった。横の工場の屋根が住処のマンション1階のベランダに刺さった。アレは刺さってた。見事なもんだった。工場の屋根も強いのだ。
話がズレたが風の次に襲いかかったのは雷だった。ものすごい雷だった。まず稲光だ。
そうあれはまさしく大閃光だ。大閃光といってもオタクがライブの時に振り回す棒のことじゃないぞ。あれは一番盛り上がってる時に自分のボルテージを顕すために折る。そう考えると大閃光も強いのだ。
話がズレたが大閃光の次に襲いかかったのは轟音だ。ゴロゴロ…と鳴ったと思ったらいきなりゴガシャゴゴギガガガグゲゲゲヒヒヒベンベンベーンとなにかが折れたような音がする。
その瞬間、私は暗闇に襲われた。一瞬で暗闇だ。そう停電だ。
雷は市の一帯を停電にした。スマホをつけるとTwitter(現X)でも同じ市の人間が慌てふためいている。
私が一人暮らしを初めての停電だ。湯沸かし器はお湯を排出しなくなり、私はスマホ以外の光を失った。
私はその晩震えながら寝た。こんな思いは久しぶりだ。中学生の時にどうしてもえっちな画像が見たくて深夜に親のPCでアダルトサイトめぐりをしてデスクトップに金を払わないと消せない広告を表示した時依頼だ。そうだ。アダルトサイトの広告があまりにも強いのだ。
一晩経つと台風は去っていった。私は取引先に「そちら状況いかがでしょうか。オフィスは停電しているので今回はそちらにお伺いします。」と連絡をして車を走らせた。
そして帰ってくるととんでもない異臭がした。電気はまだ回復していない。なにの匂いだ?まるで何か腐ったような匂いだ。
そう。冷蔵庫に入れていた半分だけ使った鶏肉が完全に常温になっており異臭を放っていたのだ。
それに呼応するかのように卵、豆腐、もやし、キャベツ、そういったものが全て異臭を放っていた。もやしなんて2袋ぐらいのストックが異臭を放っていた。異臭を放つもやしは強いのだ。
冷凍庫も冷凍食品はいいとしてもご飯は半解凍みたいになってたので泣く泣く捨てた。農家のおじさんおばさんお兄さんお姉さん性的マイノリティの皆さんごめんなさい。あなた達が作ってくれたお米を私は捨てます。と誤りながら捨てた。そうなると養鶏場の人に謝らなくて良いのか?となるので私は再び鶏肉と卵を思い浮かべて養鶏場のおじさんおばさんお兄さんお姉さん性的マイノリティの皆さんごめんなさい。あなた達が育ててくれた鶏肉と卵を私は捨てます。と謝った。
もやしはどうだ?もやしってそもそも農家が作ってるのか?ニ袋も腐らせたのに何も謝らないのか?おかしくないのか?私はスマホでもやしがどうやって作られているかを調べた。どうやらもやしはやはり工場で作っているようだ。私はもやし(ニ袋)を思い浮かべた。工場のおじさんおばさんお兄さんお姉さん性的マイノリティの皆さんごめんなさい。私はあなた達が育ててくれたもやしを捨てます。
キャベツは…いいか。実家がキャベツ農家だからだ。親の苦労は知ってはいるがこれは仕方なかったから完全にノーカンだろう。生きているんだ、それでいいんだ。
とにかく雷は私の冷蔵庫を完全に”終わらせ”に着た。
冒頭に戻ろう。
俺は雷なので人々の生活を”終わらせ”ることができる。今この文章を見てる人なんかは電気がないと生きられない軟弱者しかいないわけだから俺は君たちにとって天敵だ。
稲光は一瞬だが、その痛みは一生だ。
人間に生まれながらにして平等・公平な権利があると思ったら大間違いです。
マイノリティに生まれた瞬間に不利で、更に他人の財産に害をなすかもしれない存在となれば、いつ抹殺されてもおかしくないというのが適応と淘汰という生物の歴史だと学んできたでしょう。
在日朝鮮人でさえ、在日朝鮮人という理由だけで虐殺されるような世界が現実の世界。
逆に言えば、今の世の中だから生かされているくらいにまずは考えるべきだね。
そもそも、あなた自身、今は理性で実在児童への加害が抑えられていると考えているけど、お酒を飲んだときは?歳を重ねて判断力が鈍ってきたときは?
限りになく誰にも犯行が気づかれない状況に児童と二人きりになってしまったときは?
ジャニーズのように、周囲がそれをすることが当たり前の状況になっているところに不意に放り込まれてしまったとしたら?
自らがまだ経験し得ない状況下においても、自らを自制できる根拠なんて誰一人持ち合わせていないのが現実。
くどいけど、朝鮮人を虐殺したほとんどの日本人でさえ、直前まで自分が虐殺に加担するだなんて夢にも思ってなかっただろうね。
それでも同じように抑え続けられるという根拠がどこにある?
あなたにその根拠があるとして、それを赤の他人にどうやって証明しますか?
仮にある一定の基準を設けたとして、あなた自身は自分は大丈夫と思えていたとしても、あなたと同じように大丈夫と言っていた人間が加害を行わないという保証はどこにありますか?
残念ながら、そんなものは第三者がお墨付きをくれる訳がないし、自らが安全性と基準を叫び続けなければ縮小と規制が強化され続けるのは決まり切っていること。
同性愛者や性的マイノリティは、そうした偏見と戦って現在の社会的地位を勝ち得ただけであって、こんなところで不安を吐露している暇があったら理解者を集めて戦うことが先決でしょう。
そうでなければ、あなたは淘汰されるべき存在として社会から抹殺されるだけです。
自分でも気がついてるじゃないですか。
「安全に生きるためには、ただ自分を抑えて性的なことに興味が薄い人のふりをして生きるしかない。」って。
自分は何もしないまま強化される規制の前に被害者面するのはもうやめて、今すぐに立ち上がって自らの安全性を自ら証明してみなさいよ。
侵害されているのは自らの財産だってことにもっと腹を立てて声を上げなければ、これからも奪われ続けるだけ。
その点においては、あなたにもしっかりとした人権が認められているんだから。
戦うしかないでしょ。
もちろん応援はしない。
公式の許可を取らずプリキュア着ぐるみで女児と触れ合うSRS手術受けた人 - Togetter
https://togetter.com/li/2201988
こんなことはまとめのタイトルの時点で気付いてほしいんですが、「SRS手術受けた人」なんてわざわざ題付けるのはそこに軸があるんです。
「プリキュアの着ぐるみで公式と誤認させるような活動をしている」
どう見たってここを問題視するまとめじゃないでしょこれ。
それはつかみに過ぎなくて、本題は
「プリキュアの着ぐるみで公式と誤認させる活動をしている人物は、女児に近づくことを目的としているような発言をしており、さらに"SRS手術を受けたトランス女性である!"」
言いたいのはここです。
まとめの3人目のアカウント「女たちのデータベース広場 @females_db_park」はTERFのインフルエンサー的アカウントの一つです。
普段から犯罪のニュースを引いてきては「犯人はトランス女性か?」みたいなことを言っています。
がっちりした体型?男か?
https://twitter.com/females_db_park/status/1669158747233742850
犯罪のニュース見て「名前が三文字……在日か!?」「言葉遣いが怪しい……在日か!?」とかやってるネトウヨさんと全然違いがないでしょ。
みたいな雑すぎる方程式であらゆる犯罪の主体をトランス女性に当てはめ「トランス女は手術しようが男でしかないし犯罪者だらけ」って煽動してるんですよ。
オタクを叩けると見るや簡単にこんなのに乗っかってトランスヘイトの肯定に協力してしまう方々、本当にどうしようもないです。そこを自覚してほしい。
プリキュア性犯罪おじさんさえ庇うロリコン・カルチャーを堂々と表明し、咎められると「オタク差別だ!」と逆ギレする。その反社会性が問題なのでは。アニメ絵が社会で認知されるのと、sexismが肯定されるのは違う話だ オタク 差別 性犯罪
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/somethingorange.jp/entry/otakusabetu
これとか、まずかなりの不審さはあれ性犯罪と断定できるほどの材料がないのに性犯罪と言い切ってるところまでは百歩譲って目をつむるとしても、
SRS手術までしているらしい人を「おじさん」扱いするミスジェンダリングを平然とやっていて本当にすごい。
まだ一日も経ってないのに他の話題のブコメで件の着ぐるみ着用者が「性犯罪おじさん」であることが前提として語られています。
あなたTERFのヘイトを全部まるまる受け容れてオタク叩きに活用しておられますが、その自覚はありますか?
どうもこういうのを見るにつけ、決して少なくない人々の間で
キモいオタクを叩く>>>>>>>>>>>>>>>>>>>性的マイノリティへのヘイト
という図式が成立しているように思えてならないのですが。
公式の許可もなく、子供と触れ合う目的で、偽スタッフまで帯同させて、となると、男とか女とか関係なく問題でしょ。トランス差別はまた別の問題。ちゃんと切り分けて議論して
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2201988
「トランス差別は別の問題」ってトランス差別を目的とした発言が主軸に置かれたまとめで言うのもすごいですね。
やっぱり「トランス差別ってキモいオタクがキモいことなどよりもずっと加害性が低く問題視するほどじゃない」という共通認識があるんじゃないですか?
cinefukさんが反論ブコメをしてくださったけど、光の速さで消えてしまいました。なんで消したの?
コピペも間に合わないほどの速度だったので記憶で書きますけど、
みたいな内容で目を疑いましたが。
流石にTERFの主張丸呑みどころかTERFそのものでしかない発言内容だからまずいと思ったんですか?
おちんちんを切ったところで女児に危害を加えようとする危険人物であることに変わりあるまい、そうですね。
シス男性だろうがシス女性だろうがトランス男性だろうがトランス女性だろうがアセクシャルだろうがノンバイナリーだろうが同じことをインターネットに書き込めば不審人物と見られると思いますよ。
で、それがトランス女性であることを殊更に強調し属性へのヘイトを煽る連中に同調することと両立できるんですか?
「トランスジェンダーに性犯罪者はいない」と主張してきたトランスアライもいると思いますよ。
マイノリティーの中で一部の問題行動・問題発言を全体の主張であるかのように取り上げること、それはcinefukさんの中で正しい行為なんですか?
だいたい、それがTERFの主張を丸呑みしてオタクを叩く棒便利な棒程度に気軽に振り回してることを指摘された反論になると思ったんですか?
セクシャルマイノリティ関連で私が大嫌いなのは「クィア」という言葉。
クィアの意味は下記のとおり。要は「変態」という、直球ストレートな差別語でしかない。
なのに何故かこの「クィア」という言葉は、性的少数派の権利を主張する人達からやたらと好んで使われる。
一体何故「ホモ」や「レズ」は差別語だと憤る、ポリティカルにコレクトネスな人達は「クィア」は積極的に使っているの?
言葉そのものの意味で言えば「ホモ」は「同一な」という意味でしかなく、「レズ」もレスボス島の略語だ。言葉自体に差別的な意味はない。
なのに何故「ホモ」や「レズ」は全面的に否定され、「クィア」は積極的に用いられるのか……理解不能で不愉快でしかない。
人権尊重の見地からは、性的少数派であってもただの一市民に過ぎないと考えるべきなのでは?
わざわざ「クィア=変態」という用語を使って、異常性を強調する意味が分からない。
もともとは、英語で「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」といった意味合いを持つ言葉だった。性自認といえば「男か女」、恋愛といえば「異性愛」以外への理解がなかった時代では、変態という意味を込めた同性愛者への蔑称でもあったのだ。しかし現在では、性的マイノリティ当事者が自分から、ポジティブな意味でクィアという言葉を使うことが増えている。