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はてなキーワード: 町内会とは

2024-05-16

anond:20240516163225

そのために老後に囲碁とか将棋とか酒場とか町内会やるわけですよ

これ先人の知恵ね

anond:20240516080701

これ、リアルに考えると馬鹿馬鹿しいって分かるから

何で馬鹿馬鹿いかというと

まず資産としての話

賃貸しろ、持ち家にしろ、誰の家になるの?という話が面倒

持ち家なら親族相続権があり、共有財産でも共有分は相続対象

それまで町内会やらのイベントで使えていた離れが、当人が亡くなったら息子が出てきて使えなくなったとか普通に聞くだろ

んで、賃貸だと個人名義しろ共同名義にしろ、名義人が変更になる場合、都度再契約になる


さらに厄介なのが健康問題

若い時のルームシェアと違って、葬式介護の話がリアルに出てくる

痴呆が出るとさらに厄介だ

資産が使い込まれても「痴呆無罪」の可能性が出てくる

んじゃ、痴呆からと放り出すのかい

身内に引き取ってもらう?

連絡できるほど親しくしてる?

脳梗塞や脳溢血で倒れて寝たきり、さぁどうする?

そういう年齢の話を、寒村で個々の家として寄合構成するならともかく

「一緒に暮らそう」ってのは無理よ


解決策としては、資産を出し合って起業して老人ホームみたいにしちゃう

資産企業体管理して、介護要員なども雇えればなおよし

でもそんな事考えないでしょ?

2024-05-13

実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

そのじいさんが亡くなった。

昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家帰省するときレンタカーを予約する。この連休もそうした。

安いので、地元自動車修理工場フランチャイズでやっているインディーズレンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元DQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。

そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。

正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。

実家所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロック会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。

母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。

じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。

じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。

寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。

じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。

そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。

その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。

そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。

それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。

死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。

最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。

最初友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき友達わたしの隣にいないという人はきっといない。

父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。

父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。

父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。

亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEわたしに送ってきた。車というもの私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。

ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。

(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)

そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかたことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。

こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。

まれから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。

生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。

じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。

それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。

ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。

私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省ときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。

私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。

2024-05-12

たくさんたくさんSOSは出したんだよ、昔。

自動車で轢かれそうになったこともあった。自動車運転していて、急スピードでバックしてきてぶつけられそうになったこともあった。実際にケガしたり、何か壊れないと警察は取り合わない。

町内会子供会学校も、同じような事をされた人達さえ、どちらかの言い分を信じる事はできないから(攻撃自分達に向かうのがイヤだから傍観。仕方がないのだろうけど。

子供が泣いて帰ってきても、罵られただけで暴行を受けた訳じゃないでしょう、と。

SOSなんて出してもムダだって知ってる。自分我慢できる。配偶者我慢させる。

ただ、これ以上子供に何かしたら許さない。

町内会役員になった

お金を集めていたところ、とある人物20分近く罵られてきた

そいつに思うことはいろいろあったが、必要言葉以外発しなかった

罵られたと町内会会長らに言ってもムダ

どちらにも肩入れしないと言うから

こいつのせいで子供達がここらへんで遊べなくなったの知ってるくせに

2024-05-05

anond:20240505020820

社会進出」っていう言葉自体問題があって、賃金労働をして税金を納めていない女は社会参加していない、という言い方の裏返しになる。

家庭も地域コミュニティ社会で、そこでできる役割もあったはずなんだけど、お金を生まない活動意味ないよねってどんどん潰していっている。

最近町内会嫌い、PTA嫌いとかずっとこの路線

2024-05-02

anond:20240502165759

町内会用事で5分ぐらい家空ける」を「ちょっと外出てくる」で済ますのは無理あるんでは

ちょっと外出てくるって言ってたな。ってことは息子のこと見てろってことだな」までわかるのはかなり気が利く人でしょ。

凡人は「ちょっとってどんぐらいだ?」と思って終わるから、いわんや気の利かない旦那に言うのであれば「5分ぐらい外出るから息子見ててね」まで言わないと。

まあ主題としてはわざわざ見ててって言わなくても見てろよってとこだと思うけど。

世代差?男女差?個人差?私が悪い?

私:ゆとり世代

夫:氷河期世代

うちには1歳の息子がいて、さっき町内会用事で5分ぐらい家空けるから夫に「ちょっと外出てくる」つって家を出たのさ。んで帰ってきたらビッくらポン。息子がテレビ台に乗って棚からペンケースをとって、色つきサインペンを食っててさ、口の中がカラフルになってたんよ。そいで「見ててって言ったじゃん!何これ」って叫んだら、夫「は?見ててって意味だったの?」つってポカーンみたいなさ。めんどくせえなと思ったから「そうだね。そこまで言ってなかったね」つってもうそれはそれでフィニッシュよ。こういうのがうちの夫婦多くてさ、なんかだんだん会話とかそういうの面倒くさくなってきてさ、どうしたらいいんだろう。なんかゆとりって空気読みの世代とか言うじゃん。言わない?いや、言うとしてさ。だからゆとりはわざわざそこまで言わなくても男女関係なく大概は話通じるんよ。なあ、ゆとり。そうだろ?1歳を置いて「ちょっと外に出てくる」言ったらそれってつまり「みててちょうだい」ってことになるだろ?え、ならないの?実際みんなどうなの?私ももちろん言葉が足りないところはあるよ。これ察してちゃんなの?死ねばいいの?

世代差?男女差?個人差?私が悪い?

私:ゆとり世代

夫:氷河期世代

うちには1歳の息子がいて、さっき町内会用事で5分ぐらい家空けるから夫に「ちょっと外出てくる」つって家を出たのさ。んで帰ってきたらビッくらポン。息子がテレビ台に乗って棚からペンケースをとって、色つきサインペンを食っててさ、口の中がカラフルになってたんよ。そいで「見ててって言ったじゃん!何これ」って叫んだら、夫「は?見ててって意味だったの?」つってポカーンみたいなさ。めんどくせえなと思ったから「そうだね。そこまで言ってなかったね」つってもうそれはそれでフィニッシュよ。こういうのがうちの夫婦多くてさ、なんかだんだん会話とかそういうの面倒くさくなってきてさ、どうしたらいいんだろう。なんかゆとりって空気読みの世代とか言うじゃん。言わない?いや、言うとしてさ。だからゆとりはわざわざそこまで言わなくても男女関係なく大概は話通じるんよ。なあ、ゆとり。そうだろ?1歳を置いて「ちょっと外に出てくる」言ったらそれってつまり「みててちょうだい」ってことになるだろ?え、ならないの?実際みんなどうなの?私ももちろん言葉が足りないところはあるよ。これ察してちゃんなの?死ねばいいの?

2024-05-01

町内会費払わないなら住む権利無いみたいな勢いの近所ババア

人権を軽く飛び越えてくるから無知って怖いよな。

2024-04-19

町内会の会費払うのむずくね

詐欺師とどうやって区別つけるん?

近所同士とか

役所で結託して

騙そうとしてませんか?

釣りじゃないという前提で真面目に推測してみたが栃木ってホントクソだな

まずこの元増田は女で既婚。

首都圏で生まれ、働いていた都会民だった私が、とある事情田舎で働くことになった。

ここで一生を終えるのかと思うと本当に辛い。

首都圏で生まれたというなら、親の介護田舎移住しそのせいでその土地から離れられない、ということは考え辛い。

よって、結婚旦那氏の実家実家近くまたは職場近くに住み始めた、故に(旦那氏の職場または実家環境に変化が無い限りは)そこから移住できない、という事情が推測できる。

田舎に住んだ経験はないが、私の想像より街が栄えていたので生活心配はなかった。

過去形で書いているということは、住み始める前の時点でその都市概要は知っていたし、何なら行ったこともあったということが読み取れる。旦那氏の地元に遊びに行ったことがある、ということな整合性が取れる。

今は新人からで済まされているが、私も発達障害っぽいので、化けの皮が剥がれたら干されるだろう。

発達障害っぽいと自称するということは、注意力散漫、空気が読めない・コミュ力に難がある、無能あたりのなんかそれっぽい自覚があるんだろうが、どうしてそういう自分なのに「他人悪口」は理解できて覚えていられるのだろうか。

そこが本当に思い込みっぽくてむしろガチっぽさが増すのである

都会ではいまや町内会は存続の危機に瀕しており、私は町内会存在すら知らなかった。隣に誰が住んでいるのかわからない、それが当たり前だと思っていた。

これまで実家に住んでいたなら町内会行事とか全部親がやっていただろうし、自分から興味を持たない限り何やってるかも知らないだろうからこういう認識でも不思議はない。

こちらでは町内会強制で、地域お祭りなどを開催しているようだ。ゴミ袋に住所を書けと言われたり、町内会で使うからと言って、名前職業電話番号などを聞き取りにきたこともある。情報使用目的を聞いても教えてもらえなかったため、必要最低限の情報を伝えたが、個人情報保護概念はないのだろうか。

栃木県では6市町(例えば益子茂木)で「ゴミ袋への記名が必須である。住所ではなく記名だが、自称発達障害っぽい元増田ならその辺の間違いは許容範囲ということだろう(ガチローカルルールで住所まで書かせられている可能性もあるしな)。

また、元増田の言う「首都圏」が狭義の場合(=東京埼玉神奈川千葉)であれば、栃木の、例えば栃木市あたりを首都圏外の田舎地方都市認識していても矛盾しない。

仮に栃木市であればちょうどイオン栃木があるし「都内へのアクセスが良い」という点においても90分くらいで移動できるし、整合性が取れる。

主に職場がクソだが、田舎というコミュニティの狭さに加え、働き先がないので転職が難しいこと、遊ぶ場所もないことが田舎のクソさに拍車をかけている。

都内で働けばええやんけという感じではあるが、基本的に家の近くで働いて欲しいと旦那氏が要望していたり、そもそも元増田が「都会民」を自称する以上はこれまで長時間通勤とかしたことなくて嫌なんだろう。

結論

栃木がクソ(と元増田からの主張から読み取れる)

anond:20240418200740

anond:20240418200740

今年も転勤アリ総合職で入った癖に地方転勤に耐えられずに即退職するキラキラ女さんの季節がやってきたか

ちなみにマンション住まいだとあまり意識することは無いだろうけど、23区でも普通に町内会はあるから存在すら知らないのは設定に違和感を覚える

anond:20240419081352

陰湿でドロドロしてる上に温かいわけでもない田舎もあるし、都会でも町内会やら近隣トラブル陰湿だったりするしな。

anond:20240419080243

ウチの町内はそれくらいやな

ちな町内会の入会費は50万

anond:20240419080243

月1万なんて払ってないぞ高くても精々1軒3000円とかだろ俺は賃貸からそんなのないけど、実家のとのろは月300円程度で年一集金で3600円とかだし、高いと言っても高すぎだし年額と間違えてない?その町内会長はヤクザなのかな?

それに1つの町内と言っても軒数もたかがしれてるだろ住宅街区域ごとに分けてるから1020軒程度とかだぞ

anond:20240419075604

町内会費年100万以上てファンタジーだろ流石に……

実家でも町内会参加しない奴はゴミ捨てるな論はある(町内会からゴミ捨て場の維持料金が出ていて、フリーライダー達に対しての憤り)

でも横領なんて仮にされても大した額じゃないどんだけ高い会費なんだよ

anond:20240418200740

人口数十万とかだと嘘松っぽい

私の生まれ育ったガチの山奥の「村」とかだと地場で何代も続いてる親族経営会社って増田みたいな会社になってる

あと、コミュニティが狭すぎて娯楽も少ないから人の不幸がエンタメなんよ

町内会強制参加(拒否るとゴミ捨てできなくなる)だし、普通に声や顔のデカイ奴がずーーっと会長の座に居座って町内会費を年間百万円単位横領してる世界から

大学は街中に出たこともあって、職場だけは街中にしようって心に決めた

もうあれから10年くらいだけど、やっぱりその気持ちは変わらないわ

娘(私)が都会で働いてるからって家族もろともコソコソ言われてるっぽいけどね

田舎移住希望の人、本当に移住先の短期滞在とか事前にチェックしておいた方がいいよ

anond:20240418200740

“都会ではいまや町内会は存続の危機に瀕しており、私は町内会存在すら知らなかった。隣に誰が住んでいるのかわからない、それが当たり前だと思っていた。”

これは都会というより賃貸物件一人暮らしをしてる人特有思い込みだな。分譲ファミリーマンションではそうではないもの。町会があるかはさておきマンション自治会もあるし、隣に誰が住んでるのかも分からないという状態にはならない。

2024-04-18

人口一万人未満の町で生まれ大学時代社会人数年を都内で過ごして、地元に戻って公務員農家やってる自分からすると

私は町内会存在すら知らなかった。隣に誰が住んでいるのかわからない、それが当たり前

この感覚がわからないんだよな。

・隣の部屋の人に廊下エントランス挨拶しても怪しげな顔で会釈されるだけ

そもそも近隣の人たちが何をしてる人かもわからない

イベント祭りはだいたい参加者

っていう都内感覚になんとなく違和感を持ちながら学生時代会社員時代を過ごしてきた。

会社を辞めて鬱気味になってた頃は「都会を孤独に過ごす時の疎外感」が身に染みていた。

地元自分情報を近所の人が全て知ってたって何も思わないし、むしろ「あれ帰って来てたの?」って言われると「この人知らなかったの⁈」ってなる。

祭り運営楽しいし、自分地区が年番(神輿コース含め祭り自体を仕切る年)だと気合いが出る。

ゴミの選別(地元では家庭では分別せずにゴミ袋を集会所に集め、自治会で決めた当番がみんなのゴミ分別して処理場に持っていく)は世間話しながらやるから暇つぶしになる。

車を1時間くらい飛ばせばイオンもあるし、車や公共交通機関使えば日本全国どこでも行けるしネットテレビスマホもあるから退屈はしない。

これはおそらく育った場所による感覚の違いなのだろう。

田舎就職したら死にたくなるほど田舎が嫌いになった話

仕事をはじめて3週間ほど経った。しにたいくらい辛い。これ以上犠牲者を出さないために、田舎がどれほどクソか、書き記したい。

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首都圏で生まれ、働いていた都会民だった私が、とある事情田舎で働くことになった。

田舎といっても、人口数十万で、都内へのアクセスは悪くなく、商業施設は充実している。ただ、車がないと不便で、休日に出かける場所イオンイオンになってしまうような、よくある地方都市である

田舎に住んだ経験はないが、私の想像より街が栄えていたので生活心配はなかった。今ではいち早くここから逃げ出したいと思っている。

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田舎がクソだと思う理由をいくつかあげる。

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1.人間関係

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1番クソなのが職場人間関係である

他の部署の人や、社員家族ことなど、ありとあらゆる人の悪口や噂話を、いたるところで言っている。すでに私も、私に聞こえる声で悪口を言われている。

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これだけをきくと、田舎も都会も同じだと思うかもしれない。確かに、噂好き、悪口言いたがりな人はどこの職場にもいる。しか田舎は、社員の子供がどこの小学校に入っていて、性格おかしいだとか、来社したお客さんがよく使うスーパーや噂話など、ありえない程詳細な情報が入ってくる。正直言って度を超えているものが多い。職場全体がこんな雰囲気なので、かなり居心地が悪い。

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残業している人は少なく、業務自体も難しいものではないが、休職者がたくさんいるらしい。どう考えてもこの職場の居心地の悪さのせいであろう。他の部署のことはわからないが、行く先々で悪口大会が展開されているのでどこも同じと推測される。

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ある時、上司が「あの人は多分発達障害から」と言ってきた。わざわざ言ってくるあたりがキモい

発達障害であろうとなかろうと、苦手なところは他がカバーするなり、やり方を変えるなり、方法はあるのではないか。コソコソ噂するのみで、配慮のかけらもないクソ職場である

今は新人からで済まされているが、私も発達障害っぽいので、化けの皮が剥がれたら干されるだろう。

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また、地域の関わりがあるのもストレスである

都会ではいまや町内会は存続の危機に瀕しており、私は町内会存在すら知らなかった。隣に誰が住んでいるのかわからない、それが当たり前だと思っていた。

こちらでは町内会強制で、地域お祭りなどを開催しているようだ。ゴミ袋に住所を書けと言われたり、町内会で使うからと言って、名前職業電話番号などを聞き取りにきたこともある。情報使用目的を聞いても教えてもらえなかったため、必要最低限の情報を伝えたが、個人情報保護概念はないのだろうか。

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2.職場に逃げ場がない

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周りにお店などなく、職場内にも買い物をするところがないため、息抜きが出来ない。コンビニすら車がないと行けない。昼食を職場で食べざるを得ないため、ご飯も美味しく感じられない。

おまけに職場内の高齢化が進んでいるため、職場に同年代がいない。1で書いた通り、全員が敵のような職場なので、精神的に孤立している。

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3.休日に行く場所がない

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観光地は行き尽くしたし、近場のイベントやお店は職場の人と出くわすため心が休まらない。休日引きこもりになってしまう。精神衛生が悪い。

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まだまだあるが、余力のある時に追記したいと思う。

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主に職場がクソだが、田舎というコミュニティの狭さに加え、働き先がないので転職が難しいこと、遊ぶ場所もないことが田舎のクソさに拍車をかけている。

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ここで一生を終えるのかと思うと本当に辛い。仕事を辞めることも出来ない。人事部門的なところに相談したり、メンクリに行くことも考えたが、コミュニティが狭く確実にバレるため、行くことができない。しぬしかないのかと思い詰めている。

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他人に無関心で、働く場所も出かける場所もたくさんある都会に戻りたい。

転職移住計画がある人は、生半可な気持ちこちらにきてはならない。田舎に来なくてはならない理由があるならば、職場選びだけは力を入れてほしい。

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