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2024-05-13

実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

そのじいさんが亡くなった。

昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家帰省するときレンタカーを予約する。この連休もそうした。

安いので、地元自動車修理工場フランチャイズでやっているインディーズレンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元DQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。

そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。

正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。

実家所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロック会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。

母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。

じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。

じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。

寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。

じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。

そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。

その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。

そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。

それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。

死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。

最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。

最初友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき友達わたしの隣にいないという人はきっといない。

父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。

父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。

父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。

亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEわたしに送ってきた。車というもの私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。

ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。

(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)

そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかたことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。

こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。

まれから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。

生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。

じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。

それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。

ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。

私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省ときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。

私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。

2022-09-16

生の魚の増田臭さよ差作出す間の中佐真魚回文

おはようございます

鮭のいいアラが手に入ったので早速お粥よ!

ちょうど昨日生鮭ぶっこみたい!って言っていた矢先、

みかん花咲く丘公園前の商店街のお魚屋さんで

本当に偶然ちょうど良くおあつらえ向きに鮭のアラがあったのよ!

しかも100円!

安っす!

いいでしょー!

まあアラなので魚をさばいた後

魚の身を切り出したあとに残る部分なのね。

あんまり食べるところがほとんど無いけど、

アラの当たり具合によっては

良いアラに当たることがあるのよね。

今回の鮭のアラはいいともうわ!

そんで早速鮭粥に挑戦!

生の鮭なので、

霜降りにして明星になったこ粗品でもらったキッチンペーパーでちゃんと水拭いて、

わかるかなー?

わかんないだろうなー?

生臭さを処理したつもりだけど、

いざ鎌倉!ばりに

お粥にしたら鮭のというかー魚の生臭さが際立ってたわ。

まあ食べられないってワケではないけど、

ちゃんともうひと手間

霜降りにして明星する前に、

塩振っておけばよかったわ。

そして粗品でもらったキッチンペーパーで出てきた水分をおさえてって手間。

わかるかなー?

わかんないだろうなー?

その手間を怠ったがゆえの結果として

ちょっと臭い鮭粥ができたとさ!

うまんが日本昔話ばりに話を終わらせたいところだけど、

生の魚を使うとき特に粥にするとき

ちゃんと下処理しないと生臭くて笑うわ。

まあ当たり前の魚なので魚臭いのはご愛嬌だけど、

下処理怠らないようにしなくっちゃって思ったわ。

アラなので結構いい出汁出ててそれこそ匂いはともかく

味はまずまず美味しかったし、

面倒くさいけど骨もある程度取り除いて鍋に突っ込むべきべきだったわ。

あんまり骨気にならないんだけど、

お粥の柔らかさに対比して骨の硬さが余計に目立つのよ口の中で。

一回試してみて鮭感を感じたかったので、

次回はちゃんと下処理するか、

だいぶ高いけど切り身の鮭で本格鮭粥を試してみるかだわね。

鮭粥もなかなかパンチあって私は好きよ。

パンチの中にも優しさがある感じがして、

もちろん冷凍餃子お粥の中にも優しさがあることを私は忘れていないから!

手軽さと簡単さと食べ応え強さと

の私のお粥テーマで言えば

圧倒的に手軽さと簡単さで分がある冷凍餃子圧勝よね。

人類はまだ生の魚を取り扱いには早すぎるのよ。

うそう!

今度はって思い付いたんだけど、

鯖缶粥試してみようかしら!

これなら冷凍餃子匹敵する手軽さと簡単さでは負けないと思うし、

ニュートンさんが木からリンゴが落ちてきてアイデアが閃いてリンゴ粥を作ったように

私もそれと同じ要領で

鯖缶が頭の上に落ちてきたような閃きをアイデア

ちょうど鯖缶の縁の角の部分がクリンヒットして私の頭に当たったような衝撃よ。

実際棚から鯖缶落ちてきてってリアルな話しよ。

私の頭の上で

ツーバウンドならぬスリバウンドぐらいしたかもしれないわ。

でも顔面を含む頭もセーフよね。

幸い血は出なかったので良かったけど、

鯖缶が空から振ってくることもたまにはあるのよ。

大谷翔平選手鯖缶ツーシームで投げて

4回転のフォーシームより遅い2回転なので、

その分なんとか遅い回転中に鯖缶賞味期限を見極められるような芸当を身に付けるぐらい、

その大谷翔平選手が投げた鯖缶も頭に当たったら危ないから気を付けた方がいいわ。

あなたも気を付けてね。

うふふ。


今日朝ご飯

例のその鮭粥よ。

うそう思い出したけど、

お米切らしていたのでサトウのごはん的なサトウのごはん

ちなみに小盛りのやつで

こしらえたんだけど、

あれも常備しておけば急に思い立ったときに便利極まりないわ。

世の中便利なものがあるのね。

覚えておくわ。

デトックスウォーター

桃缶買ってきたわよ。

たまに食べたくなる甘んまい桃缶よ。

それを1つ桃缶ウォーラーにしてみました。

プレーン炭酸での桃缶の桃で桃も炭酸ウォーラーでもいいわね。

炭酸桃も桃よ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2020-07-03

anond:20200703180633

産婦人科医療スタッフ男性男性医など)  詳しくないなら免許かえせ

生理ちゃんというまんがを書いてる前田かい漫画家男性名)とその編集者(角川は女性かもしれないがオモコロ男性経営している)

・既婚男性の一部(平成以降で性教育をしっかりやった私立高校出身とか、不妊治療夫婦で取り組んだことがあるとか)

くらいじゃないの

うちの旦那の自慢していいならするけど3番めに当たるだけなんだよな

2020-02-13

恥ずかしながら知りませんでした

731部隊のものを知らなかった」と

731部隊のことは知っていたが、それが人体実験に使う捕虜のことを丸太と呼んでいたことは知らなかった」

とでは天と地ほどに違うと思うが、

後者の方の認識であっても非難されて当然というように言われるとすみません恥ずかしながら知りませんでしたすみません

という感じ。

もちろん自国の負の側面について最低限の知識を持っておくことは大事だと思います

とはいえ・・・ヒロアカキャラクターネーミング騒動についてはときどきこの二つについて混同したまま話が重なっていくような現場を見たので、

一体全体何の問題の話をしてるんだと思わなくもない。

だいたい、

くだんの名前がつけられたのは人体実験をしている方で、

被害者加害者対応関係がちがうんじゃねーのとも思うが、

今回の議論731部隊を想起させる」ではそういった解像度の話は求められていないものなのかなあと違和感を覚えるわけです。

まあこの違和感自体はこどかのweb記事の中にあった

被害者を指す“マルタ”という言葉加害者を現すものとして根付いてしまう”

というロジックである程度自分の中では吸収できたような気もする。

はたしてヒロアカというまんがに「まるた」という言葉意味を書き換えるだけのパワーがあるかどうか・・・まだわからないよね

→だから、気にすることなバンバンやっていこう

→だからたかがまんがと見くびることなく注意してやっていこう

からない「から」どっちのルートがより良いかどうかは結局個人個人スタンス還元される。

俺としては Be a doer, don't be a don'ter 的なスタンスより立ち止まってしばらく考えるスタンスの方がいいと思います

2019-08-27

秋の気配を感じ増田魔人家を居捌けノキア回文

妖精たちが夏を刺激する~

生足太めのマーメード

出すとこだしてたわわに実れば秋の梨狩りは狩り放題~

おはようございます

なんか急に涼しくなってきたんですけどーと思いながら、

夜は蒸し暑かったりするので、

どっちなの?って思っちゃうけど、

いよいよ秋到来シーズン目前な気がしてならないわ。

トータルテンボススキマスイッチピアノの人が裸足でピアノを弾くくらい熱かったけど

もうこの涼しさなので

私も裸足になりたいと調子にのって、

事務所内を歩いたら足の裏が真っ黒になりました。

忍びなく半端なかったし、

秋なのでそろそろ靴下を履くわ。

あのさ、

こないだユーチューブで観た、

まんが日本昔ばなしの悲しいときのビージーエムが

禁じられた遊びの曲だと思って改めてじっくり聞いてみたら

スティングさんのシェイプオブマイハートでした。

意外とまんが日本昔ばなしにそぐわない感じだけど、

またあのもの悲しさをさらにいっそう盛り上げてくれるので泣けるわよ。

あの曲ってさ、

世間では勝手レオン感あるけど、

これ聞いちゃったらもうまんが日本昔ばなしわ!ってぐらいしっくりくる感じが

またさらに泣けるーマジ泣けるわ。

涙活よろしく

泣くのもいいんだってよ!

だいたい世の中に蔓延ってるなんとか活って出尽くされた感もあり

私も何か活動しなくちゃと思う秋、

親子丼活というのに参加してみようと思ったけど、

親子丼なのかカツ丼なのか音で聞いて一瞬で分からいくら困惑しそうな親子丼カツ丼を同時に食べられそうなそれは

とにかく秋目前の食欲増進の手助けにはなってくれそうよ。

ジューシー鶏肉と半熟玉子のとろーり美味しい親子丼

いいじゃな!

お店によってはさ、

ギブミーチキン

鶏肉ちゃんをもうちょっと具に増やして入れて欲しいんだけどなぁと言うところもある反面、

いやもうこれ鶏肉ちゃん入れすぎでしょ!ってところもあり、

なかなかほどよいバランス親子丼ってなかなか巡り会えないのもまた事実

意外とそう言う親子丼のお店って探すの難しいから、

そう言う親子丼活って追求して活動してる人がいるんだなぁって、

なるほどなぁと思っちゃったわ。

うふふ。


今日朝ご飯

トマトジュースアイスコーヒー

まだまだアイスでもいいけど、

これがホッツに取って代わったらあき竹城って感じだわ。

グーグルマップの音声検索あき竹城って検索したら竹田城ではないですか?って真面目かよ!って思った朝でした。

お昼は何か美味しいものでもいただきちゃいたいマンモスだわ。

デトックスウォーター

うそう梨の話ししてたのも

マーケットにもう梨出てたので、

秋梨ウォーラーにしてみました。

21世紀なしって言う品種の梨があるんだけど、

梨通の間では20世紀梨の方が美味い!って言う人もいたりするから

バチバチにそれビンテージ決めてるわね!って思いました。

今でも20世紀なし少しは作ってる農家さんがあるそうよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-02-21

菱沼聖子

動物のお医者さんというまんがを読んだときに誰でも気づくことがあると思う。

それはハムテルたちのライフイベントが意外とあっさり流されていく一方で菱沼聖子ライフイベント比較的濃密に描かれるという点だ。

そこで 1 巻末のおまけマンガ確認すると、佐々木の友人の友人であるSさん」なる獣医学部所属者に取材したことが記されている。そして、 1-12 巻全巻において、取材協力者として同じく「Sさん」がクレジットされている(単行本中には本名が記されてますがわざわざ検索やすインターネット拡散する意味もないと思うのでとりあえず伏せます)。そして、この「Sさん」は常に協力者として末尾にクレジットされている。

これは通じて「Sさん」への取材ストーリー構成のメインとなっていたことを示していると思う。

また、「Sさん」は初取材時時点ですでに獣医学部にある程度長期間所属しているような人間であったことが 1 巻のおまけマンガから推察される。

これらの事実は何を示すか。

Sさん」こそが菱沼聖子なのだ

まり信用のおけない情報ではあるのだが、菱沼聖子モデルとされるすっとろい優秀な女性研究者というのが実際に当時北大に在籍していたという情報インターネットには散在しており、「Sさん」==菱沼聖子説を補強してくれる。

おそらく現在彼女は 50 台中盤であろう。その後の菱沼聖子は一体どんな人生を送っただろうか。まだ企業研究者として現役だろうか。などといったことをたまに考えたりしている。「Sさん」にしてみれば迷惑もいいところだろうが。

2009-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20090323151009

うまんがとか、ろまんがとかだっけ。

変態美形執事?とツンデレお嬢ロリが居たことだけ覚えてる。

執事が腐向け臭強すぎて読めなくなったけど。

2008-12-14

関西人A「マクド行こうでんがな

関西人1「おう、腹減ってたやし行こうまんがな」

関西人A「わしゃビッグマクド食うでぇ」

関西人1「わてはマクドフライドおいもさんを注文するんや!」

関西人1・関西人A『ほな、行こかぁ??』

 
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