はてなキーワード: 免許皆伝とは
これを見て思ったんだが、そろそろviのなんとかモードという考え方を止めた方がいいのではないか。
vi系エディタの初学者がつまづく最大のポイントは、起動してそのままでは文字列が入力できない、という所だろう。そこで教える方は「最初は通常モードだから字が出てこないんだよー。挿入モードにすれば打てるようになるよー」とやるわけだけど、「aを押すと文字が入力できるようになる。打ち終わったらエスケープキー押しなさい」とでも言っておいたほうがいいのではないか。
というのは、このいわゆる挿入モードは、たとえば書いた文字を消すことができない。通常モードが非常に強力なのに対して、挿入モードの機能はは貧弱そのものであるのは、vi系エディタユーザー諸兄諸姉のあまねく知るところであろう。これだけ差のあるものをモードという二項対立を前提とする概念を用いて理解する必要が本当にあるのか。
おれは昔電算の授業でviの使い方を教えたことがあるが「えーと打ち間違ったからエスケープキー押して通常モードにしてxで一文字消してi押して挿入モードに戻して」なんて説明されてすんなり理解できるのはかなりの超人だぞ。だいたい教える方だってこのての編集作業は体が勝手にやってるだけで頭で考えてるわけじゃないしさ。
…とここまで書いて思ったが、そもそもviの学習をプログラミングと絡めて行うのがよくなかったのかもしれない。環境設定ファイルの編集から始めたほうが敷居が低い気がする。行ジャンプとか文字列の検索置換とかコピペのやり方をやって、最後に文字入力の方法を教えるの。これができれば免許皆伝です、とか言って。
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ttp://blog.livedoor.jp/tabbata/archives/50671047.html
新撰組を見てからというのも、ずっと、この「これは、もう刀の時代じゃないな」と内発的に確信する瞬間というのが、当時の武士たち一人ひとりの間で、いつ、どのように訪れたのか?問題がボンヤリと頭の片隅に居座り続けている。
例えば、坂本竜馬は北辰一刀流で免許皆伝まで修行したのに、さっさと刀に見切りをつけ、拳銃を携行していたようだ。この割り切りのよさは何故だろう?それに引き換え、近藤勇は?という問題だ。
言い換えれば、さっさと剣術に見切りをつけた武士と、見切りをつけられなかった武士との間を分かつものは、何だったのだろうか。
みたみた!ちらみした。
あれ、このおじさんだれっけ?とおもって口にでた言葉が村上春樹だった。
もう!村上君多すぎだよん。およよ
創作活動における「先人たちへのリスペクト」と「模倣」の違いを通りすがりのボクが答えるよ!
武士文化のころから型を重視する傾向があったよね。
なんとか道とかいうやつ。
で、流派だなんだとかいうけどまず門下にやらせることは師匠の徹底的な模倣だよね。
最初は完全な子供クラスなんで、なんとか先生の弟子みたいに扱われてるんだけど、
こうなったらもう先人の型を踏襲してるけど同時にそれは自分の型でもあるよね。
最初から我流のひともいるけどさ。
**の作品と**が先立つようになったらもうそれはパクリじゃないんじゃないかな。
流派というか流れを汲んでいるというだけで。
だって、パクリというのはその作品の最終形態を模倣することだとおもうんだ。
未消化のままそのまま自分の銘だけいれて形にする。これは模倣だよね。
未消化かどうかどうやって判断するの?
そんなの、それを見た人が判断するしかないんだ。
だから作り手は一生懸命自分のつくったものを伝えようとする。
それを判断するのはあくまで受けてであるオーディエンスなんだ。ね?ね?ね?