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はてなキーワード: 世界市民とは

2014-05-23

国語左翼教師

学生の頃

国語の教師がおもいっき左翼

なにかある度に日本人とか何人とか民族国家時代遅れだしおかし

これから世界市民時代だといつも言うので

ある日少し機嫌が悪かったこともあって何故かものすごく頭にきてたので授業後にその先生

さすが先生これから日本国日本人じゃなくてやっぱ個人を主体とした地球市民ですよね

あれ?てなると真っ先に国語の授業いらなくりそうっすね?

だって地球市民日本に縛られないから国際公用語英語だけ使えればいいっすもんね!?

あっ!て事はやっぱ先生転職活動するんすか?

と聞いたら黙りこんでそれから地球市民云々言わなくなった

おそらく自分立場を考えずになんとなく言ってたんだなと思う

2013-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20130110111201

elm200氏はブログアフィリエイトで食ってるよ。

東南アジア起業準備したり、アメリカCPA取得してたけど

今は受託開発も断って、アフィメインのライター稼業らしい。

稼ぎは少ないけど、実家に戻って母と二人暮らしなのでなんとかやって行けてるそうです。

東南アジアでボーダレス世界市民だと言っていた頃はTwitterで崇める人も多かったけど・・・最近はさすがに陰りが見えますね。

2011-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20110830121602

そいつおかしいだけで、

一般的に「脳のお花畑」って揶揄精神病患者よりも

世界市民とかぶっ飛んだ平和主義とかそういう人をDisる用語だと思う。

2009-07-17

平和主義者と現実主義

http://blog.tatsuru.com/2009/07/16_1121.php

これを呼んで流石にひどいだろと思ったので。

そういう人間でも、どこかに帰属していない限り、生きてゆくことは苦しい。

その場合、「平和主義者になる」というのはひとつの選択肢である。

世界的な政治単位に帰属することについては要求される資格は何もない。

誰でも自己申告すれば、平和主義者になれる。

そして、世界市民という巨大な集団に帰属する代償として、平和主義者に求められるものは何もないのである。

ゼロ

平和主義者にはどのような義務もない。

好きなときに、好きな場所で、好きな人間を相手に、気が向いたら、平和主義者になることができる。

私は平和主義者だ。私は世界市民だ。私は人類全体の利益をあらゆるものに優先させる。人類利益を脅かすもの、無辜の市民平和な生活を踏みにじるものを私は許さない。

などということをぺらぺら言い立てることができる。

その代償として要求されるものは、繰り返し言うが、ゼロである。

真正の平和主義者であることを証明するために「今、ここ」でできることは何もないからである。

平和主義者は国際関係について熟知している必要がない(アメリカ大統領名前を知らなくてもノープロブレムである)、もちろん外交内政についても、歴史についても(政治思想史についてさえ)、無知であることは平和主義者の名乗りにいささかも抵触しない。

むしろ、そのような外形的知識の裏づけなしに「いきなり平和主義者」でありうることの動機の純正さが尊ばれる。

一方、平和主義者はしばしば「自分が信じる規範」は「すべての日本人が当然に共有せねばならないこと」であるという不当前提を採用しているので、論争においてほとんど無敵である。

彼らの論争術上のきわだった特徴は、論理的な帰結を無視して自分の個人的理想現実における施策に直結させることである(「ダメなものはダメ」とか「人殺しは悪いことでしょ」「誠意を持って話し合えばどんな人とでも理解し合える」とか)。

そして、「はぁ、そうですか」と応じると、「だから憲法9条は守らなくちゃいけない」「日本軍隊なんか要らない」「無防備都市宣言に賛成してくれるわよね」という結論にいきなり導かれるのである。

これはきわめて知的負荷の少ない「論争」術であるので、好む人が多いが、合意形成や多数派形成のためには何の役にも立たない。

もう一つ大きな特徴は、平和主義者にはその立場を証明するための直接行動が要求されないということである。

家庭や会社でそれなりの敬意を得るためには、具体的な行動によって集団に貢献することが要求されるが、平和主義者は「領土問題」とか「外交問題」とか「防衛計画」とか、ほんらい政府が専管する事項を問題にしているので、個人としてはできることが何もないのである。

平和主義者は「人類皆兄弟」と幻想的な集団を形成しており、そのような幻想的な集団の中では、具体的に誰も彼に仕事を命じないし、誰もその貢献を査定しない。

だから、平和主義者は誰からも文句を言われない。

というように、平和主義者であることは行使できる権利に対して義務負荷がきわめて少ない。

商品交換のスキーム社会的行動の特質を考量する人たちが「権利が多く、義務が少ない」平和主義者・オプションを選好するのは怪しむに足りないのである。

グローバル資本主義の爛熟の中で、平和主義者の若者組織的に生まれるのはそのような理路による。

現実主義者というのは、その逆の行程をたどる。

現実主義者は自分が今在る状況を理解し、自分が現に帰属している集団のパフォーマンスを高めることを配慮し、隣人たちに敬意をもって接し、今自分に与えられている職務を粛々と果たすことをおのれに課す。

そのような「場所」や「集団」や「隣人」たちの数を算術的に加算してゆくことを通じて、やがて「国民国家」にまで(理論的にはそのあとは「国際社会」まで、最後には「万有」に至るまで)「私の帰属する集団」を拡大してゆくことをめざすのが現実主義者である。

若い人たちにはできることなら現実主義者をめざしていただきたいものだと思う。

政治的なものであれ学術的なものであれ、何かの主張をすれば何らかの集団に帰属することになるのは当然です(本人が望むと望まざるとにかかわらず)。そして、それを「奴はほかに居場所がないんだ」とレッテルを張ることは実に簡単です。特に、ナショナリストといった「幻想的な集団」にレッテルを張る場合、そのレッテルの正しさはほとんど問題になりません(ナショナリストの具体例たる1個人を想像できないため)。

論争術についていえば、それぞれの政治的主張と議論の巧拙に相関がないというのは自明だと思うのですが。

学者とか評論家とかオタクとか、およそ何かを論ずる人々の大半に適用可能な優れたテンプレートとして、末永く保存されるべきだと思います。

2009-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20090529200203

自分は見識に優れた目覚めた世界市民ホルホルするための道具としてしか使ってなくて、

狭いお仲間同士で「さすがですぅ正論ですぅ判らない奴は愚民ですぅ」とグルーミングしあってるけど、

本当はいつまでたっても彼らが望む「正当な評価」が得られないことに気がついてるのかね。

まさによくこの界隈でいわれてる「仲間は増えても味方が増えない」状態。

2008-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20081208103256

私は日本人という立場より世界市民という帰属意識を優先させる!

という人もいるね。

2008-03-21

哲学が云々

いったいこういう前進が、純然たる哲学の力で行われえただろうか。(略)超感覚的なイデアのうちへ人間イデアをも明らかに含めているプラトンは、しばらくのけておこう、―けだし、この考えから、人間はすべてが同じ本質のものだということが続いてこなかっただろうか。この考え方から、人間たるかぎり万人が同等の価値を持っているという思想までは、またこの本質の共有によって万人に同じ基本的権利が与えられているという思想までは、ほんの一歩でしかない。しかも実に、この一歩が超えられなかったのだ。(略)ストアの哲人たちは、すべての人間は兄弟であり、賢者世界市民だと宣言していた。だがこの方式は、要するに頭で考えられた理想の表出、それもおそらくは実現しまいと考えられていた理想の表出でしかなかった。ストアの主だった哲人たちのうちだれ一人として―帝位についたあの哲人でさえも―、自由人奴隷との、ローマ市民ローマ市民ならざるものとの間の障壁が低く出来ると考えていたとは思われぬ。権利の平等と人格の不可侵とを含蓄するかの普遍的兄弟愛の観念が現実の力をもつためには、キリスト教の出現を待たねばならなかった。

ベルクソン道徳宗教の二つの源泉」

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