はてなキーワード: フリーライダーとは
ついでにもう一つ加えておこう。
1.冤罪があるからだめだ、というならば現状の社会すら意味がない。重罰社会化によって減らされた犯罪(これは予測不可能)と重罰社会化によって生まれた冤罪の数を考えなければならない。重罰化によって冤罪が増えるかはわからない。しかしながら重罰社会は確固たる法定主義を前提とする。少なくともhttp://anond.hatelabo.jp/20080804091101で述べたように重罰社会の前提は冤罪を減らす方向に向かうはずだ。重罰社会によって減らされた犯罪によって増えた利益と(なぜそれが犯罪と呼ばれるかはそれが大多数において不利益を起こすからである。)冤罪によって被る不利益を考えなければならない。
2.重罰社会はある種の選別を行う。何度も言うように犯罪を行う莫大な不利益を考慮できず目先の小さな利益を追うものは「普通ではない人間」だ。言い換えよう、異常者だ、キチガイだ、池沼だ。そういった人間は必ず社会に不利益を起こす。そういった不利益を起さぬために選別として重罰社会は意味を成す。
3.「普通でない人間」を生まないために教育が直されるのは重罰社会の前提条件だ。教育が直されることによりより「普通でない人間」を減らすことができる。
4.重罰社会において社会福祉は改善される、いやされなければならない。(http://anond.hatelabo.jp/20080803143006)犯罪を犯さぬよう、少なくとも生活の困難という理由で犯罪を犯さぬよう社会福祉は最善されなければならない。そして人は社会福祉を知らなければならない。
5.重罰社会においてフリーライダーは大きな問題となる。社会福祉が整備させることによってその社会福祉を悪用する人が出てくる(現状も同じだが)それはケーススタディとして経験を重ねるしかない。しかしながら重罰社会は法が身近にある故、そして教育によって法を学ばざるを得ない故に人は法を変える意味を学ぶ。むしろ学べない人間は重罰社会において「普通でない人間」なのかもしれない。
少なくとも重罰社会の前提に社会福祉の向上と法制度の整備と教育の改善が必要となる。重罰社会が先に実現しても社会福祉の向上と法の整備、教育の改善は必ず実現される。なぜなら人は重罰から逃れるためにそれらが必要であると気付くからだ。重罰から逃れるために重罰をなしにするかこの三つの条件を作り出さなければならないからだ。
人権無視だと非難されようとも、人権蹂躙だと罵られようとも、私は重罰社会を望みます
私はありとあらゆる罪に対する罰を厳罰かつ重罰にすべきだと考えます
僕は即刻情状酌量など廃止すべきだと考えます。
人は法によってのみ裁かれるべきです
僕は罪を犯す利益に対して罪を犯す不利益を限りなく大きくすればいいと考えます
そしてもし不利益を考慮することができず目先の利益のために犯罪を犯す人がいれば
私はその人を「障害者」だと考えます
確かに人は生活に困って犯罪を犯すかもしれない
ならば私たちは生活に困らないような社会を作ればいい、少なくともそういった努力はすべきです
もし重罰社会が実現したならば私たちは教育を変えなければなりません
いかに犯罪が不利益であり、真っ当に生きることが不利益を起こさないかと教えなければまりません
もし生活に困ったときどのような行動をとるべきか、もし家を失ったときどのような行動をとるべきか
確かに学力は必要かもしれません、しかしながら私たちは子供たちに社会がどのような社会福祉を持ち、それをどのようなときに活用すべきか教えなければなりません
重罰国家を作り上げるなら、私たちはいかに犯罪を起さずに生きるかを教えなければなりません
そして私たちはフリーライダーを生まぬようそれを罰していかなければなりません
私は重罰社会を望みます
ありとあらゆる罪に対する罰を重くすることを望みます
人が犯罪を犯さぬよう罪を重くすることを望みます
人に非難されようとも、それでも私は重罰社会を望む
すべての人が生まないという状況にならない限り社会は存在し続ける。だから出生率上げる必要なんてないんだよ。人口を永久に増やし続けることなんかできるわけもない。生みたくない人は子孫のこさず勝手に淘汰されるんだから生まなくても放置しとけばいい。フリーライダーがいやなら、福祉なくしてもっと小さな政府にすりゃすむ話。
実際子供を産み育てるのは社会貢献になってるんだからしょうがないでしょ。
(不良になるかもとか犯罪者になるかもとか、アホな反論はやめてくれよ)
子無し税?:http://anond.hatelabo.jp/20080520102659 (児童生徒への公的学費補助は年間100万/1人)
「独身税」「子供無し税」はすでに存在する: http://anond.hatelabo.jp/20070128180339 (たとえば健康保険の負担金は子供が増えたって増えない、年金にしたって「遺族年金」は独身者には無縁なのに負担は同じ…等)
だからといって子無し家庭が子有り夫婦に「おまえらフリーライドだ」とまでは普通言わない。それは子無し家庭も、一般的には「選択の結果として」子無しを選んでるケースがほとんどだし、文句があるなら産めばいいという話だろうから。
でもウチのように最初から子供作れないことがハッキリしてる家庭としては、事実上のフリーライダーに「おまえらフリーライドじゃねーか」と言われる理不尽さを感じるな。あんたらそんだけ社会から援助して貰っておいて、その上文句あんなら最初っから作んな、と言いたくもなるさ。そもそもなんで子供作ろうと思ったの?あんたら。「社会貢献しようと思ったから」…じゃねえだろ絶対。
いくらご大層なことを言ってたってアニメをただで見たいだけなんだから。YouTubeが出たときは「広告効果を利用しCDやDVDを売り、ネットではただで配信するべきだ」みたいなことがいわれ、YouTubeみたいなものが次世代のサービスみたいに言われていた。ほとんどのテレビ番組はDVDを発売しないのにもかかわらずにね。こうした主張はニコニコ動画が出たあたりでもっとも盛んに言われていた。しかしその後アニメーターやアダルトアニメの制作会社などが「売上が下がった」などと違法アップロードを非難しはじめるとこれが変わった。広告効果はほとんど無いことがわかったからだ。広告効果がほとんど無いことがわかったせいで「広告効果で??」というフレーズが使えなくなった。ほんとならここで間違いを認め、どこが間違っていたのか反省すべきであった。ニコ厨みたいな奴らは口では作品やクリエイターを尊敬しているなどと言っていた。そうであれば自分たちの考えがどう間違っていたのか反省し、建設的な議論を進めるべきであった。今までの考え方を改め現行のフリーライダーを排除する著作権法を大筋で認めるのもよし、「広告効果で??」という考えを発展させるというものでもよかった。しかしそうはならなかった。ニコ厨みたいな作品を軽視する奴らは誤りを認めず、自分たちの考えのどこが間違っていなかったのか全く考えなかった。YouTubeなどを賞賛し、テレビ局などの「既得権益」を批判していた小倉弁護士や池田信夫氏などもいつの間にか「違法アップロードはよくない」と主張するどちらかといえばテレビ局よりなMIAUに鞍替えしていた(あくまで「広告効果を利用しCDやDVDを売り、ネットではただで配信するべきだ」などの意見と比べた場合。「広告効果を利用しCDやDVDを売り、ネットではただで配信するべきだ」と考えるのであれば違法アップロードもよいことになるので、MIAUの主張はこの考え方よりもテレビ局よりといえる。そういう比較を抜きにすればMIAUは反テレビ局だが)。それどころか開き直りまた新しいもっともらしい理由を考え出した。「クリエイターが無能で良い作品を作ってないからだ」と。結局ニコ厨みたいな作品を軽視する奴らはクリエイターや作品のことは何にも考えてないのだ。本当に考えているのであれば自分たちの誤りを認め議論を発展させるべきだった。だがそうしなかった。奴らの本音は「アニメをただでみたい」それだけなのだ。だから自分たちの主張が崩されても反省しない。ただアニメを無料でみるためのもっともらしい主張を新しく作るだけだ。ニコ厨みたいな他人の創作物を軽視する奴らとは議論しても無駄だ。そこには何の建設的な議論は生まれないし、考えを改めさせるのも無理だ。この件で言えば「電通の中抜き」うんぬんはDVDを買わずフリーライドするための口実にしかすぎない。それが崩されてもまた新たな口実を作るだけだ。ニコ厨みたいに他人の創作物を軽視する奴になにをいっても無駄なのである。
さらに、コンテンツを完全コピーフリーにし、税方式で一律に使用料を徴収した上で、クリエイターや作品の人気投票を行い、得票に基づいて配分するという仕組みも提案した。この仕組みなら(1)フリーライダーがいなくなる、(2)DRMの開発コストが不要になり、社会的コストが減る、(3)将来、どんなメディアができても継続できる、(4)作品をできるだけ自由に流通させようといううインセンティブなる――などといったメリットがある。
この制度でフリーライダーがいなくなるというのは大嘘だろ。コンテンツを利用する人が利用しない人にも負担させるわけだからコンテンツ利用者が丸ごとフリーライダーになるだけ。自分が払った税金が新興宗教の本とか携帯小説とか占いやスピリチュアルに流れるのはたとえ小額でも納得できんわ。人気投票すれば間違いなくこれらが上位になるだろうし。
22 Resources to Easily Create CSS Layouts | Vandelay Website Design December 17th, 2007
CSSのレイアウト作成に役立つ便利なリソースいろいろ - GIGAZINE 2007年12月18日 14時28分00秒
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愚直なまでも著作権 > 著作権侵害が懲役10年以下になる意味 : ITmedia オルタナティブ・ブログ
著作権法 - 10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
公訴時効 - 長期15年未満の懲役又は禁錮に当たる罪については7年
見出しの無断配信は不法行為、知財高裁が読売新聞の訴えを一部認める判決
StarChartLog - 無断翻訳は著作権法違反の幇助ではなく正犯のはずなんだが
剽窃、世界大学では通じない - 米国の大学では剽窃事実が成績表に残る
作曲において、「剽窃」「盗作」とみなされることは不名誉なことだ。
盗作の境界はどこ「科学史から消された女性たち」事件 [ EP: 科学に佇む心と身体 ]
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今もまた誰か病気に苦しむ人に救う会が健康保険でまかなえない負担を肩代わりしようとしている。
この問題は炎上しがちだ。したがって相互の言い分は多分に政治色を帯び、印象に残る「分かりやすい」批判と擁護のフレーズが飛び交う。
しかし少し引いて見れば分かるようにこれは健康保険制度そのものだ。それも不完全な。
大数の法則によって少数が直面している突出したリスクを社会の多数が広く薄く負担することで吸収しようとするところは保険の概念だ。
では既存の強固な制度である健康保険や生命・医療保険を利用しないのはなぜか。これらが利用できれば金銭の扱いは当然として、公平性確保や給付金額、自己負担の範囲などあらかじめ決められていて揉めようも無い。
利用できないのは制度の不備だけでなく、無制限の保障の拡大が制度を維持できないからだろう。つまり『給付・反対給付均等の原則』に基づいて参加者の公平さを担保しながら『収支相等の原則』をもって持続的な運営が出来ないからだ。
映画「ペイフォワード」はよくできたおとぎ話だが見た誰もが「だったらいいのにね」と思わずに居られなかった。それは直接の見返りを期待せずに施すことで自らの境遇が漫然と良くなることを期待する話だったからだ。
そこでは合理的にはフリーライダーにならざるを得ない。
見返りをよこさなかった者への社会的報復も許されないのだから当然だ。
随時に任意に組織された保険の負担をしても自分が扶助対象になる保証もなく、制度が持続する構造的な裏打ちもないどころかフリーライダーになることが最も合理的な保険に何の意味があるのか。
(保険金給付の審査が気の毒そうな境遇だけでいいなら傷害保険金詐欺がしのぎのヤクザはずいぶんと仕事がはかどるだろう)
アフリカの難民に何かを期待して寄付するのかといわれればそうでもないのも確かだ。
しかし、これが持続的に発生している情況で、少なくとも募金だけでなく新たな難病保険の設立も含め、既存保険制度に対する干渉を行わなければ(なんら報いることも出来ず喜捨を期待するだけの)乞食の群れといわれても仕方が無いだろう。
確率論・統計学で確立されている大数の法則をわれわれの社会におけるさまざまなリスクに適用すると、個々の局面で捉えると予測困難で、かつ致命的な損害になりうるようなリスクであっても、同等の危険を十分な数集めることによって確率的に予測可能になり、また経済的損失も変動の少ないものになりうると考えられる。
P = ωZ
ここでPは保険料、ωは定量化された保険事故のリスク、Zは保険金を表す。この原則は、保険事故発生のリスクを媒介として保険金(給付)と保険料(反対給付)が等しくなるように要請されていることを示す。
保険会社が同一のリスクを持つ保険契約者の集団から集めた保険料の総額と、保険会社がその集団の中で支払う保険金の総額とは等しくなくてはならない。これを収支相等の原則といい、保険が継続的に安定して運営されるために要請される。
ちょっと文芸さんが通りますってだけじゃない?
面白いのは面白いし、つまらないのはつまらないし、ネタに出来ないのはネタに出来ないし、盛り上がるのは盛り上がる。
今も昔もそうじゃない?
ここ最近もこんなので相変わらず盛り上がるし。ほかにも、
とか、いかにも増田っぽいけれど。エントリあげるのは別に構わない。私は暖かく見守りたい。
そう、見守りたいのだ。見えない所でゴソゴソやるのは感心しないな。やるならここにも結果を投げてくれ。
最終的にどれが出品作でどういう評価の結果、なにがどうなのか。
べっ、べつに文芸に興味があるとかじゃないんだからねっ!!
あ、大事なの忘れてた。
これなんか、いかにも増田だよね。
って、どこにトラバればよいのかわかんないんだけれど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6ce8ac492c3f703cea78f2d69afd22d5
一つ目のお願いは『冷静になってくれ』
はてブ内では、特定のブロガーにある種のレッテルが貼られていることが多い。
その人の書いたエントリに対して、良いところは良い。悪いところは悪いと、是々非々の態度で評価、コメントしているだろうか?
今までの経緯をちょっと取り除いて、冷静に評価してみてくれないだろうか。
だが、その方のエントリには、そこまで否定されるようなものだろうか。
エントリは、何割かの事実誤認、何割かの悪い感情(というか悪意)、そして何割かの良い指摘から構成されていて、全てが誤りではないんじゃないか?
たしかに、そのブログには感情的なエントリが多い。誤解も多い。
だが、聞くに値する、検討に値することも言っているんじゃないか。
たしかに、子どもっぽい人だとは思う。
負けず嫌いな性格が無理を押し通して、その結果自滅しているのだとは思う。
だが、ユーザ側が一歩大人になって、"そういう人"として扱うことがなぜ出来ない?
なぜ、わざわざからかいに行くようなことをする?
二つ目のお願いは、人をあざ笑いたいだけの人間は『他所でやってくれ』
頼むから他所でやってくれ。頼む。
はてブ開始時から、幾度となく話題に上った衆愚化なんて言葉は、もはや語られることもなくなった。
ある意味、落ちるところまで落ち、もう現状を受け入れる段階にきているのだろう。私も似たような気分だ。
それでも、"はてなブックマーク=人を貶めることに喜びを見出す人の集まり"と、そこまで落ちぶれてしまうのは、悲しすぎる。
これは、名もない一ユーザとしての(無駄終わるであろう)お願い。
ところで話は変わるが、池田先生エントリでこの部分については心の底から同意した。
diggのように相互批判できるようにし、他人の評価によってコメントにランクをつけるとか、Slashdotのように評価の低いコメントを隠すこともできる。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6ce8ac492c3f703cea78f2d69afd22d5
人をからかうことを目的としているようなユーザのブクマコメントは、"見えにくく"されるような仕組みがあって良いのではないか。
(現在の仕組みでは、はてなユーザのみが特定ユーザのブクマをオフにすることができる)
池田先生のエントリには読むに値する指摘が、しばしば含まれていると私は思う。
※本エントリ中、行き過ぎた表現があったかもしれません。お気に触りましたら(いろいろな方に)謝罪いたします。
「価格はあなた次第」のレディオヘッド新作、幾らで売れた? - ITmedia News
(ソース:http://www.comscore.com/press/release.asp?press=1883)
【一銭も払わずにダウンロードした人が6割】
【平均価格は2.26ドル】
この記事を読んであなたはどう思うだろう。
「こんな素晴らしいアルバムに2ドルだけなんてひどい!」
「6割も卑怯なフリーライダーがいる!」
「アーティストは缶ジュース2本分の値段でアルバムを売らなくちゃいけないの!?」
うん。そうだね。
そう読めるように記事は作ってある。
じゃあ、ちょっとこっちの記事を見てみようか。
http://www.vibe-net.com/news/?news=0032416
ここには、(非公表、関係者筋情報だけど)「すでに120万枚にも上っている」とある。
2 日 で 1, 2 0 0, 0 0 0 枚 だ。
(ちなみに。Hail to the Thiefは初週30万枚、Amnesiacは23万枚、“あの”名作Kid Aはなんと20万枚! http://machinist.salon.com/blog/2007/10/11/radiohead_sales/)
さあ、後は単純な算数だ。10/12以降、In Rainbowsがまったく、1枚たりとも、売れなかったとしよう。120万に2.26$を掛けてみればいい。そこからCDプレス代は引かれない。レコード会社の取り分もない。
ジャジャーン。答えは270万ドル!!!
3億510まんえん!!!!! 2日で!!!!!
……夢のようだね! 僕だったらすぐさま南の国に光回線とメイドさんと自家用レシプロ機が付いた豪邸を買う。
で。僕たち。ユーザはトムおじさんの南の島の豪邸のために何を払わされたっけ?
そう。2.26$だ。フリーライダーを抜いた平均で言えば、6$か。
うん。えっと。
「これは、素晴らしい関係なんじゃないの」ってのが僕の言いたかったことだ。
でもあんな素晴らしいものに700円て安すぎ……と思ったリスナーたちは思い出してほしい。僕らのヒーロー、Hi-Standardは何と言ってレーベルを作ったんだっけ? さあ声を合わせて。せぇの『CDが高すぎる!』
ついでに、日本の話だ。たしかにレディへは世界的すぎるアーティストだ。特殊で、トップで、スケールメリット、つまりAmazonとかGoogleみたいな「分かっててもできないよ」という感じに見てるかもしれない。でも、そんなに遠い話でもないんだ。初週売上で行けば、だいたい1/200〜1/100するとオリコン100位アルバムがカバーできる。
http://www.syu-ta.com/blog/2007/10/24/202224.shtml
http://www.oricon.co.jp/rank/ja/w/
1/100として、12000DL。27,000$。確かにCD2000枚売るよりは小さめか、同じくらいかも。でも単純に6倍のリスナー=潜在的ファンにリーチする。それに、コストも最小限だ。アーティストに入るお金としては、そんなに悪い数字じゃないんじゃないかな。
レコード会社とプレス会社の人の給料とか、ビットレートとか、問題は確かにある。それに今回は「お祭り」だったし、といういいわけもできる。より小規模なアーティストの試算だって、乗数じゃなく指数的な減り方をするのかもしれない。
それでも、この事件をネガティブにだけとらえるのだけは、間違ってると思う。
すくなくとも、すごくエキサイティングな時代に僕たちが生きてる、ってことだけは断言してもいいと思うんだ。
らばQ : 違法ダウンロードされたほうがCDは売れるの法則が判明
はてなブックマーク - らばQ : 違法ダウンロードされたほうがCDは売れるの法則が判明
例のニコニコ騒動の時もそうだけど、著作権関係の議論が釣りエントリを中心に回るのって不幸だよなー。
DVD買うなの人もそうだけど、誰かが論理がむちゃくちゃな釣りエントリ書いて、そしたらブクマがガーっとついて罵倒コメントで埋め尽くされ、いつのまにか焦点がフリーライダーの自己正当化がいかにイタイかという話になってしまう、という流れが多すぎる。
らばQにしろブクマコメントの多くにしろ、いったい彼らは何について話しているのだろうかと思ってしまうことが多い。ブックマーカーにとって穴だらけの理論を論破するというのは楽しいのかもしれないけど、そろそろこういう釣りエントリは見なかったことにしてもいいんじゃないかな。なんか痛いニュースみたいだよね。ニュースの部分が釣りエントリでブクマコメントが2chのレスみたいな感じ。
http://anond.hatelabo.jp/20070827140518
この方があまりにも俺の言いたいことを代弁してくれていて嬉しかった。
つってもまぁ離婚後の公的扶助は本当に苦しい人のタメに作られたもので、フリーライダーといやーフリーライダー。なので、「国民の血税を!」とか怒る手はあるかも。
こういうツッコミが大量にくるかと思っていたら
ロマンチック・ラブ・イデオロギー的意見が多くてショックだった。
実際には単身赴任っつっても
こっちの職場が閉鎖されちまって赴任するか退職(転職)するかの2択になってる。
この場所には僕の職種の働き口はもう残ってなさそう。
嫁に関して言うと、俺の赴任先には今の仕事はないので、
同じくこっちに残るか退職(転職)して一緒に住むかの2択になっている。
同居するためにはどっちかが今の職を失うということ。
一方で片親で子育てしながら暮らすことの難しさはほぼ理解しているつもり。
だからこそ母子家庭に対するさまざまな支援制度があるわけだし。
最終的に別居を選んでもおそらく嫁は今の仕事をきっと続けると思う。
彼女は意思の強い人なのでなにがあっても体がボロボロになってもやりとげるに違いない。
別居共働きで子育て、なんていう確立していない立場の人間に対する
世間の冷たさはすごいものがありそう。
でも、離婚したら母子家庭というほぼ確立したカテゴリに入ることができる。
ちょっとでも彼女を物理的に楽にしてやれるなら離婚を選択すべきなのか、
それとも精神的なつながりを確実にしておくために離婚しないでいるべきなのか、
俺が転職してあまり時間の拘束されない職種について子育てすべきか、
いろいろ悩んでいるところ。
なんつーか、多くの増田がロマンチック・ラブ・イデオロギーというか「恋愛・結婚・出産」の三位一体にとらわれすぎててアレすぎる。というかむしろ戸籍信仰か。
戸籍制度上の婚姻なんて、「公的な優遇がある」というメリットがあるからするようなもん(逆に言えば、そうでもしないとみんな婚姻届を出さなくなって、国が戸籍を把握できなくなって徴税とか徴兵に困るからしてる)だと思ってる。それが逆に「離婚した方が今は得かも」となれば結婚してる意義は積極的に無いじゃん。
個別に。
「戸籍に傷が」とか、そんなもんそれこそ結婚の時くらいにしかデメリットにならんのに。事実婚してるならそれはぜんぜん無視できるだろ。
「子供が理解できるようになってから」とか今じゃねーととりっぱぐれるのを分かってるのに詭弁を弄するのはやめろよ。むしろ小さいころから、結婚という制度にロマンを求めさせるのは明治以降の、つまり国民国家=国民皆兵国家のイデオロギーなんだよ。分かった上でロマンに酔いたいならそれはそれでいいけど、って教えてやればいいじゃねーか。
「奥さんが勝手に結婚しちゃっても文句言えない」。ふーん。あそー。それって現象自体は結婚しててもしてなくても起きるよね。つまり結婚てのは逃亡に実際的なデメリットを科すための、懲罰制度なんだ。まあそういう面もあるよね。
【離婚】という文字にトラウマがある人がいるのも分かるけど、それは離婚という手続きじゃなくて、親子の関係やら親同士の関係っつーリアルな現象が問題なんじゃねーの。
つってもまぁ離婚後の公的扶助は本当に苦しい人のタメに作られたもので、フリーライダーといやーフリーライダー。なので、「国民の血税を!」とか怒る手はあるかも。逆の逆に制度の「意図」なんか知ったこっちゃねー! というスタンスも正しいけど。