はてなキーワード: ニルヴァーナとは
人を救うものは単に心奪うというよりは心奪い返すものなんでないの。
ニルヴァーナは「思春期のやり場のない鬱屈した感情」から心を逃がして返してくれた、的な。
共感が救いになるっていうのは、「同じ(ような)ことに苦しんでいる人」の姿を提示してくれるものだからでしょ。
自分もある意味この人と同じだ、自分はこの人なんだ、というのを、外部視点から見させてくれる。
苦しみの渦中から多少なりとも出してくれるし、出るとその苦しみをどうやっつけていいかがわかるから「救われた」って感じるわけよ。
元増田はそもそも自分がどこにいるのかっていうのを見失わないタイプなんじゃないの。
例えば音楽だったら音楽終った瞬間に我に返るタイプ。あるいは鳴ってる間もどっかしら我が残り続けるタイプ。
そういうのって体質みたいなもんだからそれ自体は別にどうってことないけど恥ずかしいっていうのはちょっとアレではある。
いったい誰に対して何を恥じてるん?他人事だろう?
救いがどうこうとかめっちゃ言いふらす人間が周囲に居て辟易してるってとこだとしても、それはせいぜい単にその個人がイタイだけであって「救われたという思い込み」なるものがあるという話にはならない。
(一続きの文章なのであるが、増田だからという理由だけで4分割。長いと読まれないので。
因にこの一連が最後の書き込みである。もう神みたいに3日後に復活はしない。神に誓う。ってか8日後に神の子が生まれたらしい。
「王様」だって言っているのに何故か「神」って呼ばれる。「神に近い!」神って何なんだ?括弧の中が長いので以上。)
で、クリスマスですが、三年前は「とても特別な日です。」と教えられ、二年前は「この日に大いなる意義を与え過ぎました。」と言われ、
去年は「今年は日本人の庶民が、心から楽しむ事が出来る、最後のクリスマスだなんてファックだ。フランス人はネズミの肉を喰らってでも祝う。」
今年のアンサーを待ってますが、「20世紀最後のクリスマスです。」だと予想されます。
ガキの頃21世紀への憧れを随分と刷り込まれました。結局何も変わらなかったと最初は嘆いていたのでしょう。
ですがそれは1つの事実を気付いていない者の言い分です。
「20世紀が終わる」というのは去年あたりからようやく効力を発揮したマジックワードでしょう。
マイルスもニルヴァーナも、そしてマイケル・ジャクスンも不在のクリスマスは今年が最初だからです。
http://anond.hatelabo.jp/20091216231359
〜T/H
僕は哲学とか宗教とか倫理観にちゃんとしたバックボーン(哲学科とか)がある訳ではないので、諸所の綻びがあるとは思いますが、お手すきの方に読み流して頂ければ……。
「百億の昼と千億の夜」(光瀬龍)とか「幼年期の終り」(クラーク)を読んでいて、輪廻転生であったり解脱に対してのちょっと角度の歪んだアプローチを思いついたので、メモがてら書かせて下さい。
『こんなん全然新しくねーよ!』な方は、既に語られてるそっちの説について教えて頂けると嬉しいです。読みにいきますw
以前はてなでバークリを教えて頂きまして、非常に楽しませて頂きました。今回も新たな発見に期待。
「解脱」っていうのは、一つ上の次元・階層で目覚めること。なんじゃないかと思ったんです。
例えば細胞って、それ自体生きてるし分裂という形で繁殖も世代交代もするじゃないですか。だけど細胞たちは自分が「"僕"の細胞60兆分の1」である意識は無い。(…と、思う)
だから、僕らが"細胞"的な存在でない、とは言い切れないよなー。と時折思うのです。
"国家"(←これはちょっと違うか)とか"地球"が、"宇宙"にとっての心臓とか肝臓みたいなものかもしれないし、むしろ"銀河"がもっと上の何かの胃かもしれない?
個人的には、その"もっと上の何か"が「神」なのかなー、なんて思ったりもしますが。
だから"細胞"である僕らの1サイクルが終わったときに、次はその一個上の"僕"(仮に"神"としましょうか)の意識として目覚められたらいいな、と希望的に思います。
・人間として死んで、人間に生まれ変わる("細胞"→"細胞")のが「輪廻」。
・人間として死んで、上の階層に生まれ変わる("細胞"→"神")として目覚めるのが「解脱」。
……って解釈はどうでしょう?