「才能なんて努力の積み重ね」だとは言うけれど、自分は過去に努力をした覚えがない。そういう意味で自分は全くの無能だ。
血眼になってゲームをしたことはあるけど、そもそも実のないことを努力とは呼ばないし、それでも人には遠く及ばない。
いじめられ(ある本の言葉を借りれば、性質は「いじり」に近い)、心を閉ざし、誰とも口を聞かない、典型的ないじめられっ子に堕してからは、
ああ、ここにいる自分は自分じゃない、こんなクズなわけがない、他の場所では、人とも話せるような、面白い自分でいられるはず、ただ、この場所ではこういう役割を演じないとダメなだけ・・・
そういう上っ面だけで地に足のつかない、浮ついた理想を糧に生きてきた。
逆に言えば、努力することを知らなかった自分には、それが無ければその時点で今のように絶望し、前向きに生きてこれなかったとも今なら回顧できる。
今でも親に「他人行儀でものを話すな」と言われるけど、そうやって理想として形の無い自分と現実に形を持った自分とで存在を分けてきたのが一つの原因だと思う。
もちろん、いざ「いじめられっ子」というレッテルの拭われた場所で一度他人と会話をしてみても、ノリも悪く全く面白みのない話しかできない自分しかそこにはいない。
面白いと思われているような人がどういう生活からそのパーソナリティを形成してきたかはまるで見当もつかないけど、周囲の人間と多く接し、会話が手馴れているということは自分にはありえない。
それはおろか、会話の要点すら変な言葉ばかりを選んで的確に伝えることすら覚束ない。理想の自分とはかけ離れていた非コミュも甚だしい社会不適合者が出来上がっていた。
今から直そうとは思わない。直すための猶予期間は、とっくに過ぎている。
いじめられていたから、高校生活では、部活にも入らず、ただただ「高校から逃げたい」という一心で過ごしていた。
その中で通信制高校という逃げ場の存在を見つけたけど、そこに入るためにどうしても退学したいとは切り出せない。そこで、自分は退学せざるを得ない状況を作ろうと考えた。
暴力は自分の性質上振れないし、振る対象もいない(いじめに対抗することも考えられない)。自分がとった方法は成績を極端に下げて単位を取れなくするというものだった。
そのために、テスト前であろうがいつであろうが、ひたすら勉強をしなかった。それまで無縁だった赤点もいくつも取った。
ただし、禁忌に触れるのはやはり否定したのか、最終的にはいつも追試はパスし(させてもらい)、低い成績ながらなんとか単位はもらっていた。
3年になって大学入試の勉強が必要な時期に入っても、先述のいじめに関連して「大学には入りたいけど大学に入っても今のままじゃ高校時代と同じだから」などと理由をつけ、勉強から逃げた。
「成績は下げても学力はキープしておく」という発想が全く無かったことから、勉強をしなかったのは単純に怠惰で、先の「退学したかったから」という不勉強の理由も実はこのように後付のものではないかと思ってみたりもする。
大学に落ち、一年浪人をしたけど、結局それまで勉強部活その他諸々努力するという習慣がついていなかったことから全くうまく行かず、再び居場所を失った。
部活といえば、中学生の頃は運動系の部活に入っていたけど、毎日出た反面、面倒臭さ3/4ぐらいで接していた分なのか、その腕前は見るに堪えないくらいにひどいもので、試合でも同級生の中で一人だけ別のカテゴリで試合に出されたり、同級生や後輩からひどく馬鹿にされていたのだけど、改善しようという発想は無く、下手なことを甘んじて受け入れていた。
そうした過去の積み重ねが、今ことごとく悪い方向に作用しているのだと実感する。むしろ、今まで現れて来なかったのが不思議なくらいだ。自分はもう、世間一般と同じ尺度で測ることなど到底できないクズへと、人が輝かしい過去と懐かしむような学生時代をかけて、変異していたのだ。
自分の兄も、学生時代に見た目は自分と同じように全く努力しているように見えなかった。今でも努力を放棄し呑気にしている部分がいくつか見受けられる。自分は彼をそういう目で見てたけど、気づいたら自分も同じだった。ある意味、影響されたのかもしれない。そんな彼は、現在まともに職もなく、派遣社員として降りかかる就職問題に苦しみ喘いでいる。自分はどう足掻いても、じきに彼と同じ、いやそれ以下の人生を進んでいくのだ。虚しい。
人間は納得無くして動けない。また、納得する為には材料が必要だ。 それは逆に言えば材料があれば、納得の一歩手前にあるということでもある。 材料は例えば問題の根本的な原因で...