はてなキーワード: 竹村健一とは
「僕は原発賛成ですが、反原発運動もそれなりに必要だと思いますよ」と
発言していたと記憶している。
『事故を起こさないようにしよう』『情報をなるだけ公開しよう』
と心がけるようになり、いい意味での『緊張感』が産まれる」
と言っていたと思う。
さて、最近『ホメオパシー』批判が朝日や「はてな」で沸き上がっている。
なるほど、確かにホメオパシーは『カルト』だし、山口地裁の件は
これは弁解の余地はない。
ただ、そうだからと言って、ホメオパシーを『100%抹殺』していいのかどうか、
『現代医学に対する野党勢力・批判勢力』として存在することは、
それはそれで意義はあるのではないか?
効果が出るのであれば、それはそれで『存在意義』が出てくるのでは?
それと同様に、自分は反ホメオパシー派だが、ホメオパシー一派の
存在意義を認めてあげたい・・・と思わなくもないのだが。
「橋下もそう。全く論理的な事を話さない。」
橋本に限らないけど、日本には「政治とは結果責任だ」という人が少なからずいる。
村上春樹が小説の登場人物:政治秘書に理想溢れる政治家がどんどん堕落していくのとか
唾棄すべき最低な性根が見事な結果をだしたことなんて、いくらでもある、みたいな感じのことを
「ねじまき鳥クロニクル」で言わせていた。
その「結果責任」の立場を取る人からみれば、タイゾー騒動なんて全く持って論理的ではない。
タイゾーが何をしたか、あるいはしなかったかを議論するのなら解るのだけど、彼の非政治的な言動を
マスメディアが報じるのってなんなんだ?とか。
もちろん「政治家は信条責任だ」と思っている人達にとっては、結果がどうあろうが評価には関係ないんだよな。
ちなみに竹村健一も昔そういう「信条責任」を批判して辛口評論家と言われていたんだが、それはまぁいい。
橋本の立場に立たない、知りたくもない者には論理が解らんだろうな。俺だって全て理解している訳じゃないが、
母子家庭でいじめられっ子だった少年の立身出世の過程で培った信念とか思想を、聞きかじった程度では
論理的だと思っている。