はてなキーワード: 浪人とは
生涯年収の話が出ているけど、Fランから一浪して東大だったら浪人した方が金貰えるとおも。
上位駅弁にたどり着くまでは三年ぐらい浪人してももとが取れるんじゃないかと思っている俺がいる。
やばいぐらい金に困ってないなら浪人したほうがいいよ。金持ちの家庭を考えればわかる。
やる気があるなら納得行くまで勉強しとけ。
大体において浪人中は親のすねを齧っていいという家庭が多いので、
その分だけ親御さんには負担をかけることが多いだろうね。
学費以外にも食費やらなんやらも親の負担だろうし。
(一人暮らしかつ学費も自費でってのもありえるけどね)
あとは進学しちゃった友達がなんとなく君に対して気を使うようになります。
このへんは人間関係だから必ずそうとは言えないけど、傾向としてね。
浪人した友人はことごとく面白かった的なことを言う。俺の周りだけかもだけど。
ま、高校とも大学とも違う場所で人間関係作り得るってのはイイコトだ思う。
あとは単純に偏差値的にいい大学に行き易いって事だろうか。努力次第だけどね。
極端な多浪とかじゃない限り思いつかない。二年くらいまではありだと思う。
浪人だろうが現役だろうが入っちゃえばあんまり変わらないと思ってます。
(本人が気にするのはなんともしてあげらんないけどさ)
生涯年収について言えば、統計的に見れば当然差が出るんだろうけど、
結局体感的に判断しずらいから、ほぼ無いといってもいいんじゃないだろうか。
浪人した場合の年収と浪人しなかった場合の年収が同じである根拠はどこにもないだろ。
俺は浪人しなかったけど、生涯収入は小沢一郎(二浪で私立文系だったかな)の数年分の年収より絶対少ない。
まぁ小沢が現役で通ってた場合のことなんて誰にもわからんけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20071021154057
メリット…頭が良くなる・ふてぶてしくなる・(軽いもんだけど)挫折を知れる
デメリット…親の負担(40万??100万程度。勉強できる奴は10万切るらしいけどね)
言っとくけど入ったら現浪関係ないぞ。
一番不味いのが行きたくも無い滑り止めに進学して結局また受験しなおすこと。
http://anond.hatelabo.jp/20071021154757
これは同意なんだが、休学中も学費取る大学がけっこうあるので、それは気をつけた方がいい。
授業全く受けないのに、年間の学費まるまる取るところも私学ではけっこうある。
調べてからやった方がいいよ。
んー。俺、友達で二人高校中退した奴いるんだけどさ。
中退っていうとなんてーか、マイナスイメージっつーか、暗い奴だとか引きこもりチックだとかそういうイメージが漠然とあったんだけど、その二人、全然そういう風じゃなくてさ。普通に明るいし。中退したけど何か?くらいの勢いでさ。
俺も実は、色々あって、もう学校辞めたい、と思ったりもして、でもまあ根が臆病だもんで、一応卒業はしとかないとってことでなんとか切り抜けたんだけどさ。中退して、すぐ大検とって(そいつらも2年くらいはいたもんだから、ほとんどの単位はとれてて、大検も楽勝だったらしい。そもそも、とれてなかったとしても大検の問題はかなり楽勝だったらしいが)、普通に俺らと同じく大学受験(か、専門)やってたよ。中退した後も、時たま学校きたりして、全然なんていうの、正直中退したらあんまり学校いってるやつらと顔合わせたくないと思うんだがそういうのも全然ないみたいで、普通に学校ふらっと寄ったりしてさ。大検は簡単すぎて勉強する必要もないからってんで、専門の試験あるまで1日単位のバイトしては、その金で遊んでたり、なんか普通に楽しそうでさ。結局そいつら、普通に一人はゲーム系の専門行って、一人は一年浪人して大学行ったんだ。
寧ろ、「あと一年だから、頑張って卒業だけでもしよう」とかいって、卒業した俺がバカみたいなくらいでさ。いやほんとに。ていうか今となっちゃ、俺もさっさと辞めとくんだったって後悔してるくらい。だって、別に卒業したって大検とっちゃえばあんまり関係ないんだよな。俺も浪人したんだけど、そのとき卒業証明書とか、そういうの学校にもらいにいかなくっちゃならなくって、でも浪人でそういうのもらいにいくのすげー恥ずかしくてさ。いくら向こうが気にしてないっつってもどうしてもさ。んでも大検組だと、それもないし。一体、俺がなんとか頑張って卒業した(ま、卒業した程度で何が頑張っただよ、ってな話なんだけどね、一般的には。でも鬱になって病院通いつつだったりで、俺的には結構頑張ったもんでさ。三年生時は死にたいとかずっと思ってたし)のは何だったんだろ、一年無駄にしただけだったんじゃないのかって感じで。まあ俺が情けないだけなんだけど。そいつら、普通に、三年間いた俺より、高校時の友達多いし、なんてーか、あんまりいろいろな事気にしないタイプだから、同窓会とかも普通に来てるし(俺だったら来れない…色々考えすぎて)。かたや俺は、浪人時にほとんどの友達と自然消滅しちゃってさ。本当、俺が頑張ったのって何だったんだろ、頑張って卒業したのって何の役にも立たなかったな……って愕然としちゃってさ……
んだもんで中退して絶望感を感じるかどうかってマジ人それぞれだと思う。あいつらの場合まったく気にしてなかったし。専門や大学いったあともフツーに友達作ってたし。俺?……いまだ大学の友達2人だよ……本当これかいてて泣きたくなってきた。俺みたいに無理してガンバって卒業するよか、さっさとやめちまった方が寧ろ得って事もあるってことさ。
自分の悩みとかいえる友達がおらん
今まで表面的な友達しかいなかった
その友達は好きだったけど、浪人中切ってしまった
なんだか浪人している自分じゃ友達とつりあわない
という意識があり
一日会えないかというメールがきてもそのたびごめんと断っていた
本当は会いたかったしメールもしたかったが
友達と浪人した自分じゃつりあわないと思って(ていうかもともとつりあわないと感じていた為余計に)会ったり話したりするのが恥ずかしくて
こっちからは全然メールしなかったし誘いにも答えなかった
そうしたらもともと少なかった友達からのメールは全くこなくなった
当たり前だ
自分がそう仕向けたんだから
寧ろよくいままでメールをくれたと思う
そんなこんなで今友達はゼロだ。
昔はクラスが変わるたびに無理して明るくして友達を作っていたが
大学では小中高と違って特に作る必要性もない上、もうそもそも作るのに疲れてしまい新しい友達もゼロ。
今の状態が寂しい、嫌だ、というわけじゃなく
これはこれで別にいいのだが
やはり友達がいたら楽しいだろうな
とふと思う瞬間もある
しかしどうせ自分が友達を作ったところで
また表面的なそれしか作れないだろう。
親とも腹を割って話すことができない自分では。
素晴らしい尊敬すべき友達もいたし、もっと彼女らと仲良くなりたいと思ってはいたが
素晴らしい人であればあるほど、「自分には不釣合いだ」と考え自ら身を引いてしまう癖があった。
もっと自分が「素晴らしい、尊敬されるような」人になったら、その時初めて自分に対し腹を割って話せる友達を作る許可を出そう
と高校生の時漠然と思っていた。
だがもうそんな人になることすら疲れてしまった。そもそもなれそうにない。
友達になりたいが
なったらなったでこの状態がいつまで続くのかが怖くて自分で壊してしまうし
なったらなったで相手に不釣合いな気がして自分で壊してしまう。
要するに自分は自分の汚いところを異常に見られたくないのだろう。
そんな心積もりでそもそも友達づきあいなんかできるわけがないのだ。
色々な諍いを含めた過程をふっとばして「すばらしい親友同士」の幻想だけを追い求めているのだろう。
いつまで続くのかが怖くて相手に自分の未熟な所を見せるのが怖くて
そんな覚悟で表面的でない友達が出来るわけがない。
友達に限った話ではなく、基本的に他人に弱みを見せられない。
弱みを見られないために必死でカバーする。必死で覆い隠す。
結局自分が異常に可愛いだけなのだろう。
攻撃されたくないのだ。
自分が可愛いから。
だから弱みを見せたくなくて、だから過剰に自分を守ろうとする。
全く最低の人間だ。
それでもこんな性格で20年生きてきてしまった。
最早今更変える元気もない。
つくづく自分が嫌になる。
自分を可愛がりすぎて、大事な物をいくつも失った。
バカだ。
それでも周囲の人たちが留学の準備を始めてるんだから、俺よりは断然情報量が多そう。
俺がいたのは地方国立大学。留学なんて、先輩に留学した人がちょろっといるらしいという話を聞いただけで、俺の周りに留学しようなんて人はぜんぜんいなかった。情報はウェブからのみ。辛かった。
こっちに来てみると確かに「実は非常に入りにくい大学」とか、「GPA さえよければ受かっちゃう大学」とかそういう大学があることを知った。
例えばランクを見ると CIT よりも MIT のほうが入りやすそうに見えるけど、CIT は少数精鋭だからほとんど無理なんだってね。
でもウェブではそういう情報がほとんど見つからないんですよね。やっぱり同じ大学でも学部によっても方針が違うようだし、博士だし、人が少ないのかな。
ちなみに俺は GPA 3.95 越えの総代だったけど、流石に超一流大には入れませんでした。浪人もしましたし。学部卒の段階で TOEFL 250 はきびちい。所詮地方国立の総代程度の頭でしかなかったようです。今いるところはトップ20になんとか入っている大学院ですが、学部の時以上に勉強しているのに A がとれなかったりでやはりきついです。友人は精華大学や National Taiwan、(数少ない)日本人なら灯台や鏡台から来ている人たちで、頭がいい人はとことん頭がいいです。特にインド人とかおそろしい。
で、http://anond.hatelabo.jp/20070829044032 につながります。
順調にいっても後4年。
運良く博士が取れてもアメリカの研究所か日本の教授職ぐらいしか就職先がなさそう(アメリカの教育機関はおそらく無理だろう)。
そもそもなぜ博士をとろうと思ったのだったか。そうか、昔は教授職につこうなんて考えていたのだった。
しかし、この大学院にきて教授職につくような人は人種が違うということに気づいたんだ。俺じゃないと気づいたんだ。
なんなんだろう。彼らのエネルギッシュかげんは。
で、このままいていいのかな。でも今辞めると中途半端すぎるし。次にすることの準備できてないし。とか。
あんなにGRE, TOEFLの勉強をして浪人してまで入ったのに。とか。
でも辛いと思う時も多いわけで、辛いと思ってまで、そして4年かけてまでとるものなんだろうかと。
でも今辞めると中途半端すぎるし、今までの苦労は・・・。
でも・・・
しかし・・・
まぁ、こんな気持ちではこのままいても博士落とされるだけか・・・。
あぁ何書いてんのかわかんね。
親父は戦中生まれで大陸からの引揚者で、6人兄弟の長男で父親(祖父)は早くに亡くなってしまい、一家の生計を助けるために中学から新聞配達やアルバイトしながら工業高校を卒業したが、とある大手企業の支店の営業職になり、商業高校卒の母と結婚し、田舎から母親(祖母)をひきとって、看取って、墓を建て、営業職から管理職になり、子供たちを育て浪人を許し大学へやり、子会社の取締役までなったが窓際同然なので知り合いのツテで転職して、今はとある会社で社長をやっているが、一体同じことが果たして今の自分に出来るかどうかは謎。
格差云々よくわからんけど、学力的に難しい大学にはやっぱり金持ちな家の子が多いのは最近感じるようになった。
今、ボクは大学生でそこそこ入るのが難しいような大学に入れたと思ってる。これは個人的な感覚だけど。
高校までは大学進学すら少ない感じの学校で、大学進学する周りの友達ももちろん自分も含めて、奨学金で授業料で+何か必要あればバイトかな。って感じだった。
うちの家はまぁまぁ借金があって、なんとか少し授業料の安い国立大学に入った自分は余分に奨学金をもらって家に渡してる。こんな使い方は良くないのかもしれないけど。
で、今の大学の周りの友達というと、授業料、家賃はもちろん+仕送りっていう人が多い。医者の娘とか親は自営業とかテレビ局の人とか、一人暮らしの家もなんかいい家だし。
国立ということもあってか、親の援助は受けない自分みたいなのもたまに居るけど、ごく僅かみたい。
浪人してたってのも多いし、なんか周りの経済状況にはすごい驚く。
それで当たり前っていう感覚もビックリだなぁって。
いいなぁって思うけど、そんなこと後々格差の言い訳にしてもしゃあないなぁって思うんだけどね。
人間、教育費に投資すれば頭良くなるとかそんな単純な生き物でも無いし。
言いたいことよくわからなくなったけど、パソコンとか使ってインターネットできてる自分はそういうやつと比較するとそうでもないけど、世界基準だと相当裕福だよなー。
俺もこんな様な事を学生時代ずっと思っていた。
同じだけっつーか、もう、明らかに俺の方が勉強量少ないんだけど、なぜか周りは俺より出来ない。
周りは塾いったり家庭教師つけたりしてなんかめっちゃ頑張ってて、で、俺はやべーそんなにやってねーよ、ていうかできねー、とか一人で焦ってて。んでも、模試とか受けてみると塾とか行ったり家庭教師つけてたりする奴らが、俺より全然できてないの。これが。丁寧に宿題毎度提出してるまじめな奴とかも。不思議なのは、授業中にそいつらが教師から当てられて答えたりするんだけど、それは結構答えられたりしてんのね。俺が答えられなくても。たまーに一緒に勉強とかしたときも、俺よりレベル高い参考書とか普通にこなしてんのね。明らかに俺より賢そうなの。んでも模試とかテストとか返ってくると、俺より全然できてない。つーか、俺はなんで普通にやってるだけなのに模試でこんな名前載ったりしてるんだろ?逆に言うと、なんで皆俺より点数とれないんだろ?模試って意外と難しくなくて、結構基本的な問題ばっかでたりするのに、なんで俺よりみっちりやってるはずの彼らがとれないんだ?ってずっと思ってた。
俺は才能があるんだと驕ることも出来たけど、やっぱ心の底では「いや、能力的には俺はたいしたことない。普通だ」という事に気付いてた。特別記憶力がいいわけでもないし。つーか記憶すんのめんどいとか思ってたし。理解力も、実は中学までは俺はいい方だなんて思ってたんだけど、高校はいって普通だってことが分かったし。知能テストとか、そういう類のものやってみても普通に平均値。要領も特別よくなくて、寧ろどちらかというと悪い気がするし。
特別能力が秀でていれば、単純に、「俺は皆より頭いいからなぁ」と思っていられたんだけど、そうじゃないって分かってたから、俺だけが点数をとれるのがどんどん不安になった。いつか俺も周り見たいな風になるのかな、って。今思うとバカみたいなんだけどマジでそう思ってて、怖かった。「なんで解けないのかわからない」とか思ってたけど、よく考えてみると、解けない人の気持ちも分かる気がする、そんな人の気持ちが分かるってことは、やっぱり俺はいつか解けなくなるのかも、とか奇妙な事を考えてた。当時は大真面目で。でもう、俺は頭よくないし、要領も良くないのに、周りの奴ら(通ってた高校は名門私立ほどじゃないが県で一番くらいではあった)より出来てるっていう(俺の中では)矛盾した事実が怖くてしょうがなくて。いっそ天才なら、「ああ、俺とは違う人たちだから」って思う事も出来たのに、そうじゃないから、「いつかああなる」と怖くて怖くて仕方なかった。
そんで、急に勉強に手がつけられなくなって、病院行かされて、鬱病だとか言われたのだけど。
一応薬飲んだりして半年ほどして治った?ぽいのだけど(つーか、俺は鬱病じゃないと思ってるのだが…いまだに)あの頃の感覚は正直、バカらしいと思いつつ今でも残ってる。結局その後浪人してそれなりの大学行ったけど、高校の時より周りができてない(でも中高時と同じく、普段は凄くできているように見える)から、またぶり返してきてる。あの時の思いが。
強迫概念とか、ああいった類なのかな。これ。
客観的に見れば多分どうでもいいことなのに、凄く囚われてる。
うちも中高一貫の進学校。「半分東大」まではいかないけど、だいたい似たような感じだ。
中学受験でさんざん勉強したから、中学合格したときは嬉しかったなー。
「もう勉強しなくてすむ!」ってね。
はいそこのあなた、「いやいや、勉強はこれからだよ!」って思ったでしょう。その通り。
しかし当時の自分にはそれがわかっていなかった。
おかげで簡単に落ちこぼれましたよ。
就職も苦労したけど、今はやりたいことをやってるし給料だって悪くない。貯金もできてきた。
親やその学校(中高一貫出ると、「その中学」や「その高校」だと半分しか指さないから呼称が難しい)をどう思っているかというと。
落ちこぼれたのは全部自分のせいだと思うから、親や学校を恨んだことはないよ。
「またまた、いい子ぶっちゃって」って思うかもしれないけれど本当だよ。
ほかに進学校を出てよかったって思うのは、クラスメイトが勝手に(失礼)偉くなってくれてることかな。
20歳大学生男。今日女友達と一緒に授業受けた。ちょっと暗いけどすごくかわいい子。
「増田君ってさぁ、誰とでも話せるよね。すごいなぁ。うちは狭く深くの人間関係が好きだから・・・
あんまり大学では友達つくろうって感じはないな。もうただ授業受けに来てる感じ。」
「そうなん?だって増田ちゃんは実家生だしさぁ。実家だと地元の友達がいっぱいいるでしょ。
僕は下宿だし。下宿は大学の人間関係がすべて、ってわけじゃないけど、大きな要素になってるのは確かだよね。」
「ああ、そうだろうね(笑。でも地元の子ともそんなに遊んだりはしないよ・・・さすがに中学とかの友達とかとは疎遠になっちゃうし・・・。
増田君、大学の授業楽しい?うち全然楽しくないわぁ。浪人して入ったから最初はがんばろう!って思ったけど、やっぱだめ。つまんない。もうただ単位のために来てる感じ。」
「そう?確かに楽しくないのもあるけど・・・。じゃあ何が楽しいのさ?(笑 最近楽しいことあった?」
「うーん、何にも楽しくないかも(笑」
「えー?そんなことないだろー?生きてるって楽しいじゃん(笑)(意味不明だな・・・)」
「そうだね・・・もうすぐ夏休みだから友達と旅行行くのが楽しみかな。。国内旅行だけど。」
「いいじゃんいいじゃん。(適当)それにさー、うちのゼミ(ゼミが一緒)は結構楽しい感じしない?人間関係もいいしさぁ。」
「そうだね!他のゼミは『ただ授業が一緒』っていうだけの感じだもんね。それに比べてうちの所はアットホームだよね」
(以下略)
今思い返すと暗い話題ばっかだなぁ。
上の会話の改良点とか教えてくれるとうれしい。
あとこの女友達を明るい方向へ持っていく方法を教えてくれ・・・
うちのばあちゃんの場合。
幼児期に、医者であった両親を亡くす。当時の流行病が原因と言われている。
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祖母、妹、弟はバラバラとなり、別々の家に引き取られる。それぞれそこらへんの地主の家だった。
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祖母を引き取った家はとある名家の分家で、本家筋の出戻りの奥さんと、養子に入った旦那さんの間に子供がなく、祖母が養女として家を継ぐことに。
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継母は「なんにも気が付かない人」で、着物は着たきり雀、自分で作ったりもしたという小学生時代。継父は「いい人じゃった」が早くに夭逝。
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女学校に入学、16歳で卒業と同時に(「腕を引っ張られて、無理やりつれていかれ」)11歳年上の祖父と結婚。祖父は本家筋であり、婿養子に入る形で分家を相続。
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祖父は県庁所在地で勤務するも、終戦後の農地改革で農地がかなり接収された上、不在地主はさらに土地が没収されるとなり、地元にもどる。
農作業をしたことのない祖父は農業をせず(営林署かなにかに勤務)、祖母のみが田畑に出て働く。
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子供ができたのは遅かったが、長男・長女・次女・三女にめぐまれる。
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長男が東京の(浪人しつつ)医大に進み、中学から数えて計13年間、仕送りを続ける。
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11歳年上の祖父、喜寿を目前に逝去。以後10年間、畑をしながら独居。
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祖母が90を超えてようやく長男が帰郷。
長男は図らずも、祖母の両親が死んだ原因となった流行病の権威となった。
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94にて大往生。