はてなキーワード: 歴史上の人物とは
オーゥ。嘘つき呼ばわりですかw
そんなことどっかに書いたかな?
歴史に学ぶ、なんて言ってる奴のいうことのほとんどがこじつけだってことは研究者はよく知ってるはず
そんなことばっか言ってるからそういうのに騙されるんだよ
こじつけじゃないよ。歴史に学ぶことが自分にとって面白く、有用だったと述べる実業家は多い。パッと思いつくだけでも、投資家のジム・ロジャーズ、ホンダの創業者の本田宗一郎などがそう。また、松下幸之助の本にも、ドラッカーの本にも、歴史上の人物が困難にどう対処したのかが具体例としてよく出てくる。和民の社長も青年期に歴史関係の本をむさぼり読んでる。経営者が大好きな小説は決まって司馬遼太郎や塩野七生。
増田のような人にこそ、読解力や、自分の主張にきちんと根拠をつけて述べる、いわゆる論理的な文章作成術を学んで欲しいと思うなー。
まず思想と組織を分けて考えるところから始めたらいいんじゃないかな?
組織だったら、どんな組織があって明治維新からこんな風に変化してきて(そういう意味では福島みずほたんとか歴史上の人物)っていう流れをつかむ。
高校の日本史の教科書レベルでもある程度つかめる。で、現代の状況はこれこれこうなってるなと。
で思想だったら哲学史とかをやさしく解説してある本(おすすめはナツメ社の「図解雑学哲学」)とかをいくつか読んで(できれば記号論とかまで行ってる方がいいんだけど)、それをふまえてこの政治家たちはこうしてるのかとか(そんな風に考えて行動してる政治家とかあんまりいないだろうけどね)。あとは経済学とか社会学とかについてざっと解説してあるような本とかさ。
その辺ふまえて見てみるだけでもずいぶん違うんじゃね?かく言う俺も勉強中なんだけどね。
キリスト教の教義の中で難解だと言われる、三位一体。Wikipediaによれば、「父なる神と子と聖霊が一体(唯一の神)であるとする教理」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BD%8D%E4%B8%80%E4%BD%93
高校時代から思っているのだが、これ、そんなに難しい概念なのだろうか?要するに、「父なる神」と「イエス・キリスト」と「聖霊」という3つのポインタがあって、みな一つの「神」という実体を指しています、ということだけでしょ?プログラミングをやっていれば、すぐに理解できる概念だと思うし、実際、プログラミングの例を引き合いに出して教えるのが手っ取り早いと思うのだけど、そうやって三位一体を教えている事例を見たことがないので、増田に書いてみた。英語圏では、とても誰か既にやっていそうな予感なんだけど、誰か知ってたら教えて。Java風に書くと、次のような感じ。(ポインタじゃなくて参照だけど。)
private Singleton(){};
public static synchronized God getInstance(){
if(singleton == null){
}
return singleton;
}
}
class World{
God Father = God.getInstance();
God JesusChrist = God.getInstance();
God HolySpirit = God.getInstance();
}
簡単に書いておくと、三位一体はキリスト教の基本的な教義で、いわゆるキリスト教は、どの宗派でもこれを認めているものが多い。なんでこの教義が基本的かというと、歴史上の人物であるイエス・キリストが、単なる人ではなく実は神でもあった、ということを信じることに繋がるから。「キリストは歴史上の偉人で神の教えを説いてくれたけど、単なる人で神ではない」という考え方も出来て、実際、この考え方が広まったことがあったが、325年のニケーア公会議というので異端になった。
歴史上の人物(特に百年以上前になくなられてる方たち)については、既にいろんな創作がされてるから、二次なのかどうなのかの境界が曖昧だよね。
ナマモノジャンルの同人活動は、慎重に慎重を重ねてやっている人がおよそ9割ってイメージなんだけど。
(サイトだったらアドレスは請求制。←必須条件に等しい感じ。むしろオープンにしている所があったら大惨事モノだ)
歴史上の人物ってどうなのだろうか?実在した人物だけど、既に亡くなって何百年も経っている。
ナマモノよりはオープン、二次創作系よりはひっそりしている印象なんだが…色々と引っかかる。
歴史上の人物で、現在もなお子孫の方々がいらっしゃる所もあるし、…ゲームの影響なのかな?中高生辺りの人達が凄くオープンに干物萌えしているような気がする。
おそらくゲームの中の人達について話しているんだろうけど、”ゲームの登場人物名”と”実在した人物”が全く一緒の名前だから非常に混乱する。
例えば「BASARAの幸村がカッコいいね!」だったら、ゲームの話で盛り上がっているのかぁーで済まされるんだが、
もっと突っ込んだ話で、正宗×幸村が云々とか、下手したらR-18的な内容をオープンにしちゃったりとか…。他人事なんだけど何故か心配になる。
昨今、戦国時代にはまる女性が増えてきている…とか色々と取り上げられているけど、そのブームの原点は萌えなんだろうな、きっと。
ただまぁ…自分で何言っているのか訳分からなくなってきているけど、とにかく衆道・男色は801・BLとは別世界なんだと言いたかった。
唐突だが、耕耘機と書いてなんと読むか?答えは、「こううんき」。「こううんき」と読むのだ。だが、同じ「こううんき」でも、幸運機と書いた場合には別のものを指す。人間である。人はウンコとともに幸運を送り届けるという意味で、「幸運機」なのだ。この背後に横たわっている哲学の深遠さはおそろしく計り知れない。人間とはかくもウンコ臭い存在であるのだ。そうした驚嘆すべき現実存在としての人間のことを滑稽にも、「うんこ製造器」と呼んだ歴史上の人物が存在する。名前は忘れた。原理はこうである。食物を口に投入する。自動的にそこから栄養が吸い取られる。吸収を終えたあとの残りカスが「うんこ」である。この「うんこ」は濃縮されて「濃縮ウコン」になるので要注意だ。油断もすきもあったもんじゃない。その濃縮ウコンは別名ウンコ酸ナトリウムと呼ばれ、発泡剤、乳化剤、洗浄剤として、日用品や工業用途に用いられている。ウンコは、我々の暮らしを陰で支えているという訳だ。これをフランスの啓蒙思想家ヴォルテールはいみじくも、「うんぢから」という言葉で言い表した。ここテストに出るから要チェック。また、濃縮ウコンの質量と噴出速度の関係などの研究は、現代物理学の大きな発達をももたらした。その集大成こそが、うん力学的エネルギー保存則(うんぢからがくてきえねるぎーほぞんそく)、およびマックスウェル・ボルツマンのウンコー方程式である。今やこれらのNewton Undikara学は、世界中の大学生の必修科目となっている。
http://anond.hatelabo.jp/20081106233020
への補稿(生死編)です。あくまでの私が感じる世間の”空気”であり、私の嗜好ではないことに御留意ください。
これまで同様、「世間はそんな空気ではないだろう」というような御指摘があればお願いします。
※なお恋愛編はこちらです。
百害あって一利なしとは言ったものだが、
吸っている人間同士に生まれる連帯感というかノリというか、
そういうものがあるってなんで言ってくれなかったの?
すげえ雑談しやすいぜ?
吸ってる銘柄をネタに初対面の人とうち解けることが出来たりするぜ?
先天的「いいこちゃん」だった俺は、
いいこと一つもないのに。
金かかるのに。
健康に悪いのに。
息クサくなるのに。
喫煙所のあの煙たさの中にいられる感覚も全く理解できなかった。
「こいつら全員馬鹿だ・・・」
そんな自分の考えを変えたのは、
影響を受けやすい人間だからなー。
なんかガツンとくるものがあったんだよ。書いた人ありがとう。
閑話休題。
俺は近所のローソンの自販機でマイセンのオリジナルを購入した。
でも吸い方が全く分からない・・・
ネットで調べた。
「吸いながらでないと火がつかない」なんて教科書に書いてなかったぞ・・・
「意外と灰は落ちずに頑張る」なんて吸わない奴はしらねーよ。
「口の中に煙を入れるだけでは気持ちよくはならない」なんてわかんねーよ。
たばこに関して、なんで知らないことがこんなに多いんだ?
実質知識ゼロじゃねえか。
読書量の少なさが悪いのか?
いや違う。
思えば、中高時代にたばこを吸っちゃうような知人がいなかったからだ。
大学でもそうだった。
ところが社会人になって面食らった。
みんな「吸える」(←ここ重要)んだ・・・
いろんな人種と付き合わなかった報いだろう。
「なんで体に悪いものを自ら進んで摂取してるんだろう?馬鹿じゃあないのかあいつらは。」
俺たちは少数派だった・・・。
吸い方をネットで調べた。
23で。ああ情けない。
初めてのたばこは緊張した。
久々に緊張した。
少年が初めてたばこを吸った瞬間の描写があったのを思い出した。
自分の周りに大きなわっかが出来て、クラクラして世界が変わったような感覚になる絵だった(一コマ)。
緊張。
俺はくわえた。
火をつけた。
吸った。
音にするなら「クラーン」。
脳に衝撃が走った。
酒を飲んだときと同じような「頭のクラクラする気持ちよさ」があった。
しかし吸った後の苦さ(後味は銘柄によってかなり異なるということを知るのはその数日後。)がキツイ。
息くせえよ。
飯に煙の味が付くよ。
馬鹿じゃないのか?
俺は「慣れる」ことが肝心だと思い、
いろんな種類を試してみた。
吸わないと分からないことがあまりにも多すぎた。
数え切れない。
文化になって当然だ。
たばこのおかげかどうかは分からないが、
「始業の少し前に喫煙所に向かってたばこを吸う」関係の人間が数人出来た。
ちょっとした疑問や悩みや軽い趣味の話がしやすい。
楽しい。
今から駅前のたばこ屋に行く。
人口数万人の地方都市にしては充実したしなぞろえの店(しんせいとか峰とかコブラとかアークロイヤルがあるくらいのレベルだが)だ。
まだ30箱くらいしか買ってない。
少なすぎる。
あのエントリーを読んでなかったら、俺はたばこを知らないままだったんだろうか。
それともどこかにきっかけが落ちてるんだろうか。
んでもさぁ、自分が一体誰のこと覚えてますか?って聞かれると、切なくなるよね。
歴史上の人物を含めたとしても、何千人単位でしょ?いままで、すごい数の人が生まれて来たはずなのに。
もっと狭めれば、自分の曽祖父のこと何か知ってますか?みたいなこと。
自分なんて、世代が、いくつか進めばいなくなるんだよね。
(例えとして思いついたのだけど、学校で、代々語り継がれる人以外はその学校でどんな風だったかなんて、
交流のあった先生が居る間しかわからないみたいな。)
自分自身が、名前とか、業績とかで、この世に名前を残すのは相当難しい。
でもさ、何か影響を残すことは出来ると思うんだよね。影響っていうか、反響っていうか。
自分自身がそこに在ることって、何もしなくても、まわりに何かしら響かせてると思う。
部屋から一歩も出なかった日でも、その部屋の明かりが・・・といった感じで。(何か昔CMが・・・)
んで、出来る限り自分の影響がまわりに良いものでありますようにと願って毎日生きましょうと。
正月なので爺ちゃんばあちゃんから歴史上の人物ががつんがつんでてくる貴重な話しを聞いた。
貴重すぎるので本当は動画でとってストリーミングで流したいぐらいの勢いだ。
もう90を超えてるので、そろそろちゃんと記録として残しておかないととちょっと危機感が出てきた。
今年はメモをとったので今纏めているのだけど、これはブログにアップすべきか否か悩ましい。
実名でやってるやつにのっけるつもりなので特定される情報が含まれてるのはかまわないのだけど、
じいちゃんが若いころになんの仕事をしていたかとか、、、、
とても面白い話しなので載せたいのだけど、自分のルーツをばらすようで恥ずかしすぎる。
郷土史としては公開しておきたいのだけど、
XXXさんが住んでいるところあたりに、自刃したXXX大臣が住んでたとか。
でもこういうのってwikipediaじゃないけど、地域で残しておかないと消えちゃうよな。
超地域特化のSNSみたいのがあればいいんだけど。
伝承口伝SNS。