「政治的対立」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 政治的対立とは

2015-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20150804060446

ん?この匿名ダイアリーに期待した私が間違いだったって事か。

反応できるだけの中身を持った返答ができる人がいなかった、

または私が誰か特定されているために政治的対立から返答したくない人がいる、

それだけの事。

2015-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20150627125159

合理性」という概念について誤解してるらしきブコメがいくつかあるので追記。

合理性は個人の感情や欲求と相反するものではなく、むしろそれを前提にしている。「なぜそうするのか、そうあるべきなのか」という問いに対して、最終的に「自分感情目的しかじかだから」と答えることはまったく合理的だ。合理性にもとづけば、前提(欲求)がちがえばちがう帰結(どうあるべきか)が出てくるのは当然である。だからこそ、お互い求めるものがちがいますね、じゃあどうしましょうねという話ができる。

たとえば、伝統大事にしたい人が「伝統に即さなものを見ると自分感情を害されるから伝統大事にすべきだ」と主張するのはまったく合理的だし正当なものでもある。リベラル立場からすれば、それを認めたうえで、その個人的な欲求が、ほかの人の欲求と照らし合わせたときに押し通すことができるものなのかどうかという話になる。

しかし、保守的思考をする人は、そういうしかたで自分の主張の理由づけをしない。端的に「これが現状だから」「過去こうだったから」という説明しかしない。それではリベラルは納得しないが、保守はむしろそれで納得するのだろうという話。

あとついでにいうと、現代日本(のネット)において「保守リベラル」「右翼左翼」とラベリングされているものには関心がない。もっと根本的なレベルでの考えかたのちがいの話をしている。そして、そのちがいは、従来「保守」と「リベラル」と呼ばれてきた政治的対立根底にあるものだろうと。

保守リベラル」というラベルは、たとえば幕末期の「尊王/佐幕」とか「攘夷開国」と同じように、多様な対立軸をごっちゃにしたかたちでつかわれていて、もはや有意味な内容をもっていないかもしれない。その意味で、このラベルを持ち出したのは失敗だったかもしれない。たぶんノーランチャートのような2軸4象限あるタイプスペクトラムを持ち出したほうがよかった。

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