はてなキーワード: 上野公園とは
恋人がいないことを伝えると「えっ いそうなのに」と言われる。
だけど、肝心の女の子にはそんなこと言われないし、モーションもかけられない。
久しぶりに好きな人が出来たので仲良くなろうとがんばっていたら、「きめえwww」でバッサリ振られた。
そのまま疎遠になった。
◆
周りの男の子も2年前までは「モテない」「彼女ができない」と悩んでいた。
それが今ではわたしだけ恋人がいない状態に。
「っべーよ… 浮気されてるかもしれねーんだよ…」
「最近ヤッてなくてさー」
わたしもそんな悩みで埋もれたい。
喧嘩して、浮気されて、セックスレスになって、ぐずぐずになるまでその人のことで悩んでいたい。
それから仲直りして、上野公園のベンチに座ってお花見したりしたい。
恋する男の子はかっこいい。
わたしもその一員になりたい。
それだけなのに。
アメリカの主要都市では失業者が町に溢れ、車を信号待ちしているだけで「花を買ってくれ」とか「金をくれ」とかいう物乞いや、「仕事が欲しい」というカードを掲げた浮浪者はもはや珍しいものではなくなっている。
主要都市では失業者があふれ…という話だけど、どこの街のいつの時代だろう。
昔に比べれば圧倒的に少なくなった。ああ、でも日本じゃそういうの一人も見ないね…。
アメリカのある程度の大きさの街だったら、
だいたい何人かはホームレスがいて、お釣りくれとか花かってくれとか、
言われない日はないんじゃないか。
少なくとも、十年前の東部の大学町は、そうだったよ。
それで、日本帰ってきて驚いたのは、
子どもだった時分には、気付かなかっただけかもしれないけれど。
ホームレスいるものね。ただ、今のところ、何かくれ、といわれたことはない。
彼らがコンビニの前にたって、十円くれよ、とか
せびりだしたとき、日本はまたひとつ曲がり角を迎えるんではないか、と思う。
花かっていたんだよ。ホームレスの女のひとから。
だけど、今、駅前でBig Issueを買う気には、どうもなれずにいる。
今日は7時過ぎに起床。
7時半過ぎに朝ごはんを頂く。
毎度のこと東京へは観光に来たわけでは無かったので、とてもブルー。
さすがに今のままお世話になるのはごめんだ。
家に居るのも気まずい。
せっかく田舎から来たのだからいろいろ見て回らねば。
おじさんに、秋葉原に行ってくるといったら
そっちの方に行くなら上野とかアメ横とか雷門とか見てきなさいといわれたのでとりあえず見に行くことにした。
秋葉原は一度入ってみたかったところだったが、やはり一人で行ってもなんか虚しい。
とりあえずヨドバシカメラと近くのファミリーマートと楽器屋とかに行って見た。
楽器屋のドラムとかあるフロアで、小出シンバルの特集がされてたニュース番組かなんかの映像に見入った。
自分はドラムを叩くのだが日本にシンバル職人が居るなんて知らなかった。
DTMのフロアでナノコルグに触って遊んだりした後上野へ向かう。
上野へ行って適当に歩いてたらアメ横についた。すごい賑わいぶりだ。
気持ちの切り替えができていたら何かいろいろ買っていたとこだろうが
すぐに歩いて通り過ぎた。
そして、上野公園へ。
すごい広いかった。とりあえず適当に座ってファミマで買ったタピオカミルクティーとパンを食べたかったので
適当に歩いていたらアコーディオンの音が聞こえたのでそこへ向かうと大道芸人がアコーディオンを弾いていた。
座って聞きながら昼食を食べた。
その後浅草へ向かうものの東京メトロがどこから乗ればいいのか分からず
改札口を通ってしまったのでいったん一駅のって上野に戻ってから浅草へ。
駅から出たら金のうんこみたいなのが見えた。あれってなんなんだっけ?
まぁ、いいや雷門へ向かうもののたどり着くまでちょっと時間がかかった。
雷門をくぐって店が並んでるとおりをまっすぐ行って次の提灯あるところまで突き当たった。
お賽銭を入れて拝んだ、あとおみくじを引いた。なんてこった「凶」だった。
途中で電車を降りるの忘れて焦ったけど、気付いたところで降りたら目的地行きの電車あったのでそれに乗ったら帰れた。
戻ってきたのが17時くらいかな・・・
晩御飯を19時過ぎに頂く。
後は話をいろいろした。明日は下北沢に行ってみようと思うとか。
そのあと、親戚宅の近くを散歩した。
東京で仕事探すとかでかいこといったけど、親戚に迷惑かけるし帰るとか
家出して住み込みで働こうと思ったけどそれこそ心配かけるし迷惑だとか。
友人が、じゃあバンド組もうぜとか。専門学校なのに独学でやってきた自分より下手の人しかいないとか信じられなかったけど。
自分はもうちょっと思ったことを遠慮なしにいったほうがいいとガチで思う。
思ったことを言えない、それなのに裏ではぐちぐちいうめちゃくちゃたちの悪いタイプ
事なかれ主義なんだよなぁ・・・安定を求めるが上に言われるがままって言うか・・・
自己開発セミナーとか行ったら変わるもんなのか?とか考えたりする。
どうすれば誰にも迷惑や心配をかけずにうまく社会的に復帰できるのだろうか
4ヵ月で会社を辞めてしまって次の仕事探すにしても何も無いから資格を取ろうとかバイトしながら音楽やるとか
都合のいいことばかり考えてしまう。
だいたいこういうことは昨日にも増田に投稿していて
なんだ、まだ何もして無いじゃん。
自分の甘さがわかってるなら4択。
1)慰めて欲しい
2)甘さを克服したい
4)EASYモードでお願いします
1か3か4→せっかく生まれてきたけど運が無かったと思え。
というのを見つけた。自分は18歳でこの先まだ長いので覚悟を決めればやり直せる
もともと音楽をやって生きたい。
まだその覚悟ができてない。そこがだめなんだろうな。ちくしょう。
この記事の中でも何回も「とりあえず」がいっぱい出てきてお分かりのことだと思う。
24歳女。
学費を払えず卒業、家賃も光熱費も払えずネカフェ難民生活をここ1年ずっと続けている。。
両親はいない。
父親は離別、母親はいるが再婚しており新しい父親と同居が耐えられないので家には戻れない。
派遣社員はしていたが期限切れ。
アルバイトを始めたがすずめの涙。
仕送りも若干してもらっているが都内で家を借りられるほどの余裕はないので今こんな状態。
派遣をしてた時は会社に宿泊していたが毎日続くとさすがに不審がられた。
今のバイト先で泊めてもらえることも多いがそう毎日は無理。
ネカフェは時間制なので、ファミレスで朝まで寝たりすることも多い。
02年8月24日から29日にかけて横浜市で開かれた、第12回世界精神医学会(WPA)の推計によると、世界で日本が実質自殺率1位でした。
マスコミは同年、「自殺4年連続3万人超」「昨年 目立つ経済苦」などと報じました。遺書から動機や原因を分析したところ、「健康問題」が統計のある78年から連続してトップ。次いで2番目に多かったのが「経済・生活問題」で、内訳は多い順に「負債」「事業不振」「生活苦」「失業」「就職失敗」「倒産」でした。
年次別自殺者の推移を見てみると、1978年(昭和53年)から1997(平成9年)までの自殺者数は年2万人台でしたが、1998年には3万2862人に急増します。1997年からの増加率は50歳代男性54%、同40歳代男性33%で、以後この傾向に変化はなく、20003年の自殺者数は3万4427人に達しています。このことから1998年は、自殺者が3万人台に定着した「自殺境界年」、また自殺理由の中で「経済・生活問題」が一気に上昇した「自殺理由境界年」に、当たります。
同年以降、同一グラフ上に完全失業率曲線と自殺率曲線を描くと、両曲線の推移は見事に一致します。また、東京都立衛生研究所は「日本における自殺の精密分析」において、「自殺の増減は景気の動向と密接に関連しているといえよう」と記しています。以上から、自殺誘引の大きい要素の1つに、失業増加があることが分かります。同時にこの動向は、日本男性がマネーを生死の判断基準にさえしているという悲しき真相を、如実に語っています。
命あってこそ!
人の願望の極致は、マネーにではなく幸福にあります。マネーは単なる幸福になるためのひとつの、しかもニュートラルな手段に過ぎません。東京・上野公園に小屋掛けするホームレスにも幸福な人はいます。マイクロソフトの創始者で、世界有数の資産家ビル・ゲイツが幸福とは限らないのですから。
人は自殺するとき、うつ状態になるといわれています。しかし中には死ぬ前に生命保険に加入するなど冷静に計画を立てていた事例もありました。たとえ多額の生命保険金を受け取っても、遺族は悲しく悔しい思いに苛まれ、屈辱感・無気力感に襲われます。しかも、それらを生涯抱えて生きていかねばならず、いつまで経っても、遺族に春はやって来ないのです。
「自殺する勇気があれば、人生やり直せる」などと、よく人口に膾炙されている警句は正しいのです。仕事の失敗、失業・不治の病などに遭遇したとき、死を考える気持ちは痛いほど私にも理解できます。しかしその試練はあなたにとって、人生に一度の、最高の学びのチャンスでもあるはずです。その苦しみを成長の機会に転じることができたなら、それは人生最高の歓びであり、財宝であり、自信として結実します――。
スポーツでも「ピンチの裏にチャンスあり」と言うではないですか。事実、ノーアウト満塁、絶体絶命のピンチを凌いで、逆転勝利する場面を私たちはたびたび観戦させられます。また命あってこそ、逆転満塁ホームランを打つ至福の瞬間を味得することが可能だし、打たなくても、その希望を常に持ち続けていくことができるのです。
ニッポン人の劣化
日本とアメリカは20世紀後半から21世紀初頭に、絶頂期を迎えた近代科学文明の優等生でした。特に、日本はこの文明の熱心な教徒であり、保守も革新も哲学者もみな、その礼賛者でした。その執念が実って日本は今日の経済大国・技術大国になったのです。ところが、いまわが国は長期不況の下にあり、労働者は失業や賃率の低下・長時間勤務・サービス残業に直面し、またフリーターやニートも増えています。それに加えて、年金受給額の引き下げと負担増、近い将来に予想される消費税率引き上げが追い討ちをかけます。労働者にとって茨の道は長く、さらに厳しくなっていきますが、この程度ならまだいいのです。
亡国の兆候ともいえる事件が日本社会の隅々にまで広がり、それは明示的にあるいはメタンガスの気泡のように、不気味にぶつぶつと隠れて噴出し始めています。たとえば、最近のマスコミ紙面を見てみましょう。「世帯所得、4年連続減」「個人自己破産 24万人」「雇用悪化が家計圧迫」「週50時間以上労働日本人4人に1人」「離婚率上昇中」「世帯の所得格差最大に」「働かない若者、年28万人に急増」「ニート急増、社会の機能不全映す」「不登校10年で倍増」「増える若者のひきこもり」「小学生1割強抑うつ傾向」「日本の高校生 自分は駄目」「検挙率 少年、成人の8倍」「10年で治安悪化86%」などの見出しが踊っています。
さらに憂慮すべきことは、東京都衛生局のアンケートに対し、18歳から24歳の層が「仕事の疲れがとれない」「生活に張り合いを感じない」と答えたことです。他の調査では「授業中じっとしていない」が小学校で8割、中学校で6割、高校で5割、「首、肩のこり」「不登校」「腰痛」「腹痛」が中学校、高校とも8割でした。これはいわば一昔前の老人に特有な症候群でした。日本の若者は、精神的にも肉体的にも確実に老化に向かっているのです。
ともあれ実質世界一豊かな日本なのに、皮肉にもその豊かさ指標マネーを苦にして自ら命を絶つ同胞が後を絶ちません。しかもこの数の陰にはその10倍??20倍もの自殺候補者がいると推定され、日の出の来ない日没を見送るような、なんともやるせない心境にさせられます。
だが、《自殺大国》になったのは不思議でもなければ偶然でもありません。
芝伸太郎は、「日本人」、「鬱病者」という言葉を同意語的に用いています。つまり内向性・律義・几帳面・苦労性・馬鹿正直・融通がきかないなど日本人一般の人格構造を極端にしたのが鬱病者の人格構造だからです。この風土の中で培われてきた繊細な日本人のメンタリティーが、価値観をマネーに置く文明、人間疎外の文明に拒否反応を起こしているからのです。