はてなキーワード: スピリチュアルとは
ホメオパはスピリチュアルの世界だからねー。そこを自覚した上でやってるならいいけど、どうも「西洋医学より優れた医学」とかいう勘違いが見られるから困ったもんだ。
所詮は「鰯の頭も信心から」その程度の効果=プラセボしかないのにね。
日本ホメオパシー医学会だったか見ると、「レメディは源物質が含まれないほど希釈してるので安全です」みたいなことが書いてある。そりゃ安全だろうよと。
ていうか漢方って、せいぜいが経験の蓄積に過ぎないんだよね。
「これを処方したらこの症状に効いた」それ以上のものではない。そもそも最初に処方してみた理由すら謎。
数千年の蓄積があるからこそ薬として機能しているけど、なにしろ機序を理解せずに処方するわけだから普通にやってたんじゃ新たな薬効の発見なんてのはほとんど不可能だ。多分*(結果として)人体実験による数多の犠牲の上に成り立っているに違いない。
念のために言っておくけど、西洋医学だって出発点は似たようなものだ。多分18世紀頃までは、医学ってちっとも理論的じゃない。悪い血を抜いて毒を出すとか。まるっきり今の「デトックス」とかいう妄言と同じレベルだ。
だけど西洋医学は、仕組みの理解を重んじた。「何を処方すれば効くのか」よりも「何が原因で病になったのか」。原因が判れば、それを排除する方法を考えることができる。
今の医学にはかなりの「知識の蓄積」がある。この成分は何故このような働きをするのか。この病原体はどのような仕組みで感染し、増殖しているのか。分子レベルでそれを突き止めているから、逆に分子レベルで欲しい効能をデザインしてみることができるまでになった((それが必ずしも期待した通りに働くとは限らないのが、現代医学の限界ではあるのだけれど))。
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「失礼します」
こんこんと2回ノックをしてからドアを開け、僕は面接室に入った。むだに広く、がらんとした感じの部屋だった。綺麗に拭かれたガラス窓の向こうにはヒルトンホテルが見えて、その向こうには都庁が靄のようにけぶる小雨の中に建っていた。
僕は背筋を伸ばし、用意された椅子のある場所まで歩いて立ち止まると面接官に対し、深くお辞儀をした。そして「ぶっ殺してやる!」と威勢良く啖呵を切ると、席に着いた。そして椅子に腰掛けると、おもむろにゲロを吐いた。これで第一印象はバッチリだ。
面接試験では、まず面接官にインパクトを与えることが重要だ。面接官は一日に何十人もの大学生を相手にしているから、同じような問答の繰り返しには飽き飽きしているのである。僕はゲロを吐きつつも、自己紹介を始めた。「亜細亜大学法学部卒の山西です!人を不快な気分にさせるのが得意です!趣味は飲尿です!」
面接官は僕の自己紹介を聞いた後、しばらく黙って僕の履歴書に目を落としていたが、やがておもむろに顔を上げて言った。「どうしてウチの会社に入ろうと思ったの?」
こういった類の質問に対して、例えば会社の大きさだとか職場環境だとかを、志望の理由として挙げてはいけない。それは消極的だし、保守的な回答である。
「それは…」 僕は少し間をおいてから、「亀の甲羅を利用した占いの結果です!」と元気に言ってそのあと間髪入れずに屁を2回こいた。
こういった発言をすることによって、普段から現実世界を離れて、スピリチュアルな呪術の世界と深い関わりを持っていることをアピールできるし、また、そのあとに屁をこくことによって屁の臭さをアピールすることができるのダ。
そんな風な問答がいくつかあり、やがて面接は終わった。帰り際に面接室の壁を思いっきり殴って、それから「このクソヤローども!オマエらなぞヌゲルゲスに喰われちまえ!」と言って、最後に「失礼します」と言って丁寧に頭を下げてから退室した。
エレベーターで1階まで降りてロビーを抜け、ビルの外に出ると雨は止んでいた。僕はひらきかけた傘をとじて、風の中を歩き出した。
さらに本筋からずれていってしまうかも知れないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070220231453
親御さんにどうやって自分の話を聞いてもらったんだろう。うらやましい。
私は18のときに父親が病死して、以来、母親の稼ぎに父の退職金と生命保険金を切り崩したお金を足して、あまり生活水準を下げることもなく残された家族三人暮らしてきた。私と妹は特に苦学することもなく四大を出してもらいもした(それどころか、私は修士にまで進んだ)。
そんなこともあってあまり強く言い出せないのだけど、どうも私の目から見て母親の生活には無駄が多い。父親が生前「母さんは金遣いが荒くてな」と苦笑交じりにこぼしていたことを最近よく思い出す。私と妹の分も含めてだけど、月に数万円は服代に消えている様子(私はおしゃれには関心がなかったので、着ている値段に気が付かなかったのだけど、大学で女友達に指摘されてびっくりした)だし、気が付くと通販で一点一万以上する美容グッズが増えている(どれも一度きり使って終わり)。あと、ストレス発散に歓楽街のバーで月に二、三回朝まで呑んで帰るのだが、その払いも詳しくは言わないが、一度付き合った妹によると二人で二万弱したとのことだ。
一度、さすがにまずいと思って母親と話し合ってみた。しかし、「あんたたち二人を育てるために私がどれだけの重圧を背負ってきたんだと思うの!」の一点張りでヒステリックに怒鳴り散らされ、何度やっても話にならなかった。
たしかに、あまりに無自覚に自分も生きてきたと思う。きちんと勉強して奨学金を貰うなり、学資ローンを組むなりして大学を出ればよかったし、服やその他の面でももっと自立した考えを持っていれば、と今更後悔している。
しかし、そういう暮らしをしながら「お父さんの残したお金、もう使い切っちゃうペースだからさ、老後はあんたらの稼ぎで頼むわね! あんたたちに不自由させないために私の老後の資金を継ぎこんで来たんだからさ!」とか「二人が就職したら、今の借家を出て、あんたたちで三十年ローン組んで老後のための家を買ってよ!」とか、あっけらかんと言い放たれるとどうにも釈然としない。今のところそんな話はどちらにもないが、私や妹が結婚すると言い出したらどうするつもりなのだろう?
こんな状況に追い込まれたからそう思うのかもしれないが、私は、もしも母子という関係でなかったならば、母親のような人間とは一緒に暮らせないと思う。性格的に。派手好きで、見栄っ張りで、他人から認められることに飢えていて、基本的に自分のことを悲劇のヒロインだと考えているタイプ。自分の立場を演技的に規定して、いちいちそれに酔い痴れてしまう。そして「いくつになってもあんたは私の子供」がキメ台詞で、私が前述のような話し合いを持ちかけて、ロジックで母を負かしてしまうと「お前は学歴が私より上だと思って親のことを見下している」と叫び、私が子供の頃に好きだったという子守唄を歌いながらメソメソ泣く(昔の純文学みたいだが、まごうことなく実話だから笑えない)。
経済的な条件で追い込まれてしまったので、よっぽど何か奇跡的なことがない限り、現状の生活形態をあと二十年以上は続けなければならないだろうと思う。そこで、この親をどう教育したらいいのだろう。すごく悩んでいる。「普通」であることにものすごくこだわりのある母親なので、母子関係のカウンセリングなどにも耳を傾けないだろう。あと、自己陶酔しやすいタイプだからか、『オーラの泉』を観て感動しているクチなので、ヘタに刺激してスピリチュアル系に走られても困る(新興宗教なんかに入ったらもっとむしられてしまう!)。ああ……。
「スピリチュアル」を周りに薦めてくるやつの話。
大学の講義なんぞ聞いたこともなく、「女性自身」しか読んでないような下流なOLが、
ちょっと「泣ける」っていう要素を入れたスピリチュアル心理学を読んだ途端に目覚めて、
これはいい、これはいいと勧めまくってくるってだけの話じゃないのかな。
急に高尚さを求めだした的な。
カウンセリングや心理学を専攻している方面からの評判は聞いたことがない。
(あったらゼヒ紹介してください、読んでみます)
出来で言えば圧倒的に、カウンセリング・心理学>>>>>>泣けるスピリチュアルなんだが、
下流OLはカウンセリングや心理学などという高尚な学問に触れたことがないので、
泣けるスピリチュアルで満足している、と見ることが出来るのではないかな。
最近、泣けるスピリチュアルから派生した、「泣けるスピリチュアルじゃないカウンセリング」が話題になっているけど、
学問性を追求していることの現れなんじゃないかな。
あるあるを頭から信じちゃう奴とか
みのさんの言うことは間違いないという奴とか
スロットで10万すっちゃったっていう奴とか
奥さん殴って言うことを聞かせている奴とか
レイプする奴とか
楽しみで人を殺す奴とか
そういう愚か者はこの世にいらないと思いました。
上記条件の適用により真っ先に私の母が消滅しました。私は生まれる前に存在が消滅しました。
母が消滅しなくても私は私より賢い人に比べたら愚かです。愚か者は消えるべきですか。愚か者はどこにいたらよいのですか。
http://anond.hatelabo.jp/20070127050730
スピリチュアル・カウンセラーとか信じる信じない以前に、その残念なスピリチュアル世界観と、不思議系アイドルの語る不思議惑星とその不思議社会構造とに差異を全く見出せないのは僕のあたまがかたいせいなの?石頭だからなの?と漠然と思っていたけど、結構みんなそう感じているんだな。
アインシュタインの相対性理論を説明するのは僕には無理だけど、時間が過去から未来へと一元的に流れているものではないことぐらいは、もはや一般常識+αの範囲内だろうに。だから、たとえば過去からばかり転生されてくるってのは変なのね。前世は未来ってこともあっていいわけさ。スーパーナチュラルを身上とすべき世界観が、たかだか高校一年生の物理の教科書あたりの物理法則にことごとく縛られてしまっているというのはいかがなものだろう。
ちょっとそれを考えに入れて、前世、現世、来世の魂が転生を、しかもものすごく長かったり、逆に恐ろしく速い速度で時空を超えてありとあらゆる物質・非物質、エネルギー・非エネルギーのカオスで繰り広げられていると考えてみてはどうなんだろうか。物理学専攻のテクニカル・アドバイザーとかをブレーンに入れて。
でも、難しすぎてわかりにくいと商売にならないから、ロバート・A・ハインラインあたりを読んで少しでも世界観を広げてみてはどうかと。あ、そうだ。確か「ドラえもん」や劇場版「クレヨンしんちゃん」にもタイムパラドックスやパラレルワールドを扱ったエピソードがあったと思うんだが。制作テレ朝絡みだし。
なんてのはド素人の考え方で、ロジックは極めてゆるく、場当たり的にレトリックで華麗に回避というのがプロの詐欺師の手口なんだそうで。僕のように「一に譜読み二に譜読み三、四がなくて五に暗譜」というクラシック挫折型ロック人間には「楽譜なんかポテチも載せられるちょっと便利なコースターだろ」みたいな人のアドリブとかはどだい無理なんだな。へたするとビルの屋上とかでUFO呼んでる痛い人みたいになっちゃうのね。
の三種類が出てくる。
昔は電波系の人がWebのあちこちに離れ小島のようにサイトを作っていて、それを見つけてウォッチャーが喜ぶ、という感じだったけど、最近はカジュアルに信じている人たちがblogで仲良く交流しあっている。
カジュアルな人々はウォッチして面白いというほど電波ではなく、しかしトンデモの伝播という点では電波系より有害だと思われる。批判しようにも、仲間うちで仲良くやってるみなさんにいきなり難くせつけるのも感じ悪いし、ねぇ。
でもみんな「科学的な感じ」(実際は科学ではないのだが)の話って好きだよね。「あるある」も「ガッテン」も女性週刊誌も、みんな最近は「これが身体にいい」「これでモテる」だけじゃなくて、「この数値がこんなに上がってるから身体にいい」(実は他のものではもっと上がってたり)「心理学にもとづく男をおとすテクニック」(それ科学的に研究された“学”じゃなくて単なる思いつきの“術”だよ)とか、そこで科学は別にいらないんじゃないの、という状況でも科学を持ち出すことが多い。統計も然り。「血液型性格判断は10万人のデータを取ったれっきとした統計」って昔トリビアでも言ってた(と思うがソースが見つからない)けど、そんなに母集団がでかけりゃそりゃ有意差出るだろ、と(血液型性格判断は疑似科学か?の●2など参照)。
恋愛についても、吊り橋効果とか好意の返報性とかよく使われるけど、好意を恋愛感情と混同してしまうのは女性のほうが多いという研究もあったりする。女性が同意するから、男性に効果があろうとなかろうと女性週刊誌は特集を組むんだろう。本当の「恋愛の科学」はかなり味気ない。
みんな科学(を装ったエセ科学)を拠りどころにしてるんだから、それを壊されるような話は受け入れさせるのは難しいだろうなあ。「でもそれは現在証明されてないだけで」とか。だから、エセ科学教徒を改宗させるには、科学に替わる拠りどころを提供してあげる必要がある。かといって、そうなりかけてる「スピリチュアル」な方向もちょっと考えもので、そうなると社会的繋がりとか、「古きよき」コミュニケーションなんじゃないかな、とか思ったり。「水からの伝言」を道徳に使うのなんて、道徳心を水に養わせておいて、自分たちは楽しようという意図も透けて見える。エセ科学に科学でぶつかっても、また違うエセ科学の鎧を着込んでしまうだろう。エセ科学を撲滅したいなら、本当の科学を知る人たちが「科学は人生を面白くする調味料でしかないんだから、そんなに頼っちゃいけないよ」と伝える努力をしなきゃいけないんじゃないかな。