「質問よろしいですか」と短文だけよこす輩がいる。
では「だめです」といったらおとなしく引き下がるのだろうか。
私にはどうしても、それが断られる可能性など毫も念頭においているように思えないのである。
その言葉は形骸的なものであり、挨拶であり、意味を持たないことになる。
相手の時間を拘束する口頭のコミュニケーションならいざ知らず、
任意のタイミングで任意に読み進めることができる文面のコミュニケーションで、
わざわざこのような手続きを踏む必要性が私にはいまいち感じられないのであった。
その短文をよこすなら、さっさと質問を投げてくればよくて、
わざわざ「よろしいですか」と聞いたところで、余計に手間がかかるだけではないか。
あるいは、これは一種のフット・イン・ザ・ドア手法なのかもしれないとさえ思う。
つまり、一度「どういった質問でしょうか」と応じてしまったが最後、
どんな内容であれ応える義務が生じたかのような錯覚をもたらすのである。
どれほど答えがたいセンシティブな内容でも、労力に見合わない内容でも、相手するだけ無駄な内容でも、である。
『影響力の武器』において、それは一貫性の原理と紹介されていたと記憶している。
この本を読んで以来、そういう物の見方をしてしまうようになった。
意識的にせよ無意識的にせよ、いかに世人が他人を操作しようとしているかが伺い知れてしまうのであった。
さらにもう一つ気になるのが、なぜそれを公の場で聞かず私的なDMで質問をよこすのか。
それが公益に帰する内容であるならば、天下万民に質疑応答の模様を公開し、その知識をひろく活用できるようにすべきではないのか。
似たような事例で「今お時間よろしいですか」という対面問いかけがあるが ワイは「今はだめ」「◯分なら可能」と言うふうに返しているんだが メールでの「質問よろしいですか」は難...
前の部署の新人くんが、偉い人に電話をかけては「いつも繋がらない」とぷりぷりしていた。 だから俺はアドバイスしたんだ。 いいかい、企業組織ってのは偉くなるほど忙しくなるもの...
オチが秀逸だね 現代の落語だな
これって逆に立場が上の人は好きな時に電話をかけてくるし、今ちょっとって言うとじゃあいつならいいんだよ!💢と逆ギレしてくるよね